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我が内なる偽善

  • 執筆者の写真: 真澄 吉田
    真澄 吉田
  • 2024年6月26日
  • 読了時間: 3分

【コラム】 東京支部 吉田 真澄


恥ずかしいお話をしよう。あの3.11東日本大震災(2011年)が起きたその日のことである。筆者は、港区神谷町の顧客先を後にして、当時赤坂にあった事務所へと戻る途中だった。地下鉄千代田線を赤坂駅で降車し、通称赤坂通りへ向かうため、3a出口への階段を登り始めた時に、これまで体験したこともない、あのシャープでトルクフルな揺れが襲ってきたのである。グラッでもなく、ガタガタでもなく、強いて表現するなら、キーン!グィーン!という感じであった。それはまるで、直下の地下深くで、何か化け物が突然目覚め、暴れ出したかのような衝撃だった。

 

私は、何十年かぶりに「死」を(一度目は、山形県蔵王スキー場国体コースで転倒。木立にあちこちぶつかりなが80メートルほど滑落 中学1年生時)はっきりと意識した。長い階段の登り口で最後尾にいたはずの私は、気がつくと誰よりも早く地上にいた。よく覚えていないのだが、乗降客を掻き分け、掻き分けウォーッとか叫び声をあげながら、まっしぐらに駆け上ってきたらしい。自動改札機の、あのパタパタ動く扉も蹴り飛ばしたような(ゴメンなさい!もう時効ですよね‥。)気がする。

 

そうして、とにもかくにも地上に辿り着き、ハァハァしていたら、植栽のところで高齢の女性が立ち上がれなくなっていたのだ。しかしまあ、人間とは、不思議なものである。私は、その女性に「大丈夫ですか?」と優しく声をかけ、手を差し伸べたりしていたのである。その後、「立っていられなくて‥」と震えるような声で語った女性に、動揺を隠しながら「ミサイルじゃなかったんだ‥。」と意味不明なことを呟いて、その場を立ち去ったのだった。当日は、確か赤坂の TVのある居酒屋で飲み明かしたはずなのだが、前後の仔細な行動についての記憶は覚束ない。

 

ところが最近、ニーチェとダーウィンの思想的距離感をつかみたくて購入した本(『ニーチェ 道徳批判の哲学』城戸淳)を読んでいて、ふとあの日の気まずい思いが蘇ってきたのである。当時だって、不肖中年なりに、パブリックな良識については、一定程度持ち合わせているつもりでいた。しかし私の、あの瞬間の振る舞いは、まさに自己欺瞞そのもの。ニーチェも真っ青になりそうな偽善者ぶりなのである。しかも、学生時代にラグビーなどをやっていたせいか、悲しいほど身体は丈夫なのである。修行が足りなかったのかもしれない。精進が中途半端だったのかもしれない。お盆やお彼岸にも魚釣りに行きまくって殺生を繰り返してきたバチがあたったのかもしれない。さらに絶望的なことに、今また同じような状況下で、同じような揺れに遭ったら、きっとまた我先に突っ走ってしまうような気がしてならないのである。あぁ、進歩していない。天国は遠い。どうしよう。

 

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