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健全な危機感と”じゃこうねずみさん”

【コラム】 東京支部 織部好み


爆弾が落っこちる時 何も言わないって事は

爆弾が落っこちる時 全てを受け入れる事だ

~~~ ザ・ブルーハーツ 「爆弾が落っこちる時」より ~~~


保守思想誌である表現者クライテリオンは「危機」と対峙する、と謳っています。

言論活動による「危機」との対峙。 ここで言う「危機」とは具体的に何を想定すれば良いのでしょうか。

「表現者界隈で取り上げられている事柄」がひとまずの答えになるのかもしれませんが、生活者としての「健全な危機感」、その危機感が「何を訴えているか」(≒課題認識)が肝要ではないでしょうか。

 ※「健全な危機感」単なる不安と異なり、客観的な観察を伴って自分事として捉えた見解。「危機観」と表現とすることも。


資本主義を背景とした、身勝手なグローバリズムの解釈とその実行。 売国行為などによる商品化してはいけない富や故郷なるモノの毀損。

「楽しい日本」を目指す我が国の国政諸施策(外交・軍事・経済・教育・食料・医療・防災・インフラ・災害復興など)は、それぞれの分野において、残念ながら芳しくありません。

私見ですが「国家の自殺」や「国家から国民への殺意」を感じており、リーダー層の無能は言うまでもなく、むしろ確信犯的に状況を悪化させている様に見えています。


いやいや、我々には「清き一票」がある! と言いたいところですが、国民の政治・社会への無関心、組織票や投票率など、心許ない選挙状況が数十年続いています。

一方で、これらの状況が俯瞰して見えている人も増えており、投票以外の政治行動を真剣に考える人も充分とは言えませんが増えているみたいです。


投票以外の具体的な政治行動はこんなところでしょうか。

 ①政治家への具申(選挙事務所や各政党・省庁などへ出向いたりWeb窓口で訴え)

 ②友人関係やご近所共同体での意見・意思表明(町内会など)

 ③署名の発起または協力

 ④デモ・街宣への参加


他にもあると思いますが、それこそ「時処位」で、自分が実行する場合の有効性や美意識なども踏まえ、好きな事を無理のない範囲で実践していくのが良いのでしょう。


とは言え、これらを実行に移すに際して、心理的抵抗感を感じる人は少なくないと思います。

私自身、会社の先輩から「職場で政治と宗教の話はするな」と指導されて納得したものです。 田舎から出てきて会社の人間関係がほぼ全ての生活の中で、話題とならない対象は実在しないのと同じ。 そのうち関心が薄れて「話そうと思っても話せなく」(話す能力が無く)なり、選挙も他人事となった期間がありました。

幾らか正気に戻った気がしたのが、「大衆の病理」と格闘されていた西部邁先生の書籍に触れて、自らの欺瞞やニヒリズムを自覚出来た時でした。


 《ご参考》お馴染みの先生方の興味深い論文です。

   遠藤航輝 川端祐一郎 藤井聡



最近話題に上がることの多い「デモ」は、厚労省や財務省、国会議事堂などで頻度や参加者の増加が顕著に見えます。(政治状況を考えると必然でしょうが) 私自身も何度か参加してみて、参加者は昨年あたりからデモを始めた人が大半であり、昔からの左翼運動の流れではない事、概ね健全な危機感を持っている生活者たちの「個の連帯」である事を感じました。(中間共同体的な支援組織への帰属が少ないのは強みであり弱みですが) 参加者は社会問題への関心も高く、相応の情報収集もされている様子です。 デモ現場では国家観や貨幣観などの議論も散見され、ある種のオフ会的な側面も機能していました。 特に医療テーマではお母さん達の子供を守る意志の強さ、勉強熱心さ、ネットワーク構築力に驚きました。

参加の際の注意点としては、デモの規模拡大につれて変な組織が紛れ込む可能性が高まるので、勧誘や募金などの際には警戒しましょう。 あと、身バレ対策も必要に応じてやった方が良いでしょう。 社会に生活を人質に取られ、不本意を飲み込まざるをえない人は少なくないと思います。


保守界隈では比較的人気がある「テロ」ですが、一定の共感はあるものの、一般的な政治行動の選択肢には(現時点では)入れられないと感じています。 一番の理由は、私自身に覚悟が足りず、自分が出来ない不穏当な事を他人に勧められないと感じるからです。

(故郷を守る為に命を投げ出していただいた先人方には、誠に申し訳なく感じますが) また、暴力は国家の方が本業なので敵うと思えません。 世界の民主化運動の実績ベースで考えても「非暴力」で訴える方が有効性が高いと考えます。


 《ご参考》この辺の議論はジーン・シャープが参考になるかと思います。



リスクを負う事無く能書きをたれる人を散見するのは世の常でしょう。 思想誌「発言者」のタイトルが「表現者」に変わったのは、口先だけに終始しない為の戒め・意思入れがあったのではないでしょうか。 やっている事がその人の正体。 どんな立派なお話も、実践が伴わない「道徳のスタンドプレー」では聞いていて萎えてしまいます。


 《ご参考》(政治行動とは異なりますが)「他者からの助言」に関する考察。 交流分析的アプローチが面白い。


ムーミン谷に住む”じゃこうねずみさん”は「ムダじゃムダじゃ」が口癖の自称哲学者で、私のお気に入りなのですが、現実の世直しにおいてニヒリズムは大敵です。

自らの「健全な危機感」の要請に従った実力行使で居酒屋談義を超え、日本文化とその基盤となる日本人そのものを微力ながら守っていければと思います。


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