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北海道生まれが感じる信州の魅力①-里山と神社

◆ 信州支部 前田支部長からの執筆者紹介 ◆

今月の記事の筆者は、私が今関わっている、「表現者塾」に参加する以前、まったく言論という意味で誰とも繋がりもなく「孤立」していたとき、職場で出会った同僚の「加藤達郎氏」です。

加藤氏は、北海道出身で、地元の進学校を卒業後、有名国立大学の大学院まで進学し、アメリカへの留学経験もあるというエリート(私とは対極です…)。

その後、東京で教師として務め、偶然の流れで松本に移住し、そこの職場(学校)でたまたま私と出会うことになりました。

初対面から意気投合し、すぐ頻繁に飲みながら語り合う仲になりました。

そこでの議論は、仕事である教育についてはもちろん、文化、政治、経済、社会、歴史、宗教、心理学……などと多岐に渡っており、まさに「総合」と呼べるものでした。

お互いに「こんな奴がいたのか!」と驚きつつ交流を重ねていくうちに、自然に『表現クライテリオン』の総合的な言論や、保守思想までも深く共有するようになりました。

そして、「信州支部」が立ち上がったときから、ずっと参加し協力してくれており、私にとって心から親友と呼べる存在になっています。

その加藤氏は、民俗学に関心を寄せており、継続的に信州の神社や里山をフィールドワークしています。そこから知った信州の魅力を、今回のメルマガでは共有してくれています。



【コラム】 信州支部 加藤 達郎(教師)

高校卒業まで北海道で過ごした筆者は、高校卒業後、関東で10年ほど一人暮らしを行い、30歳手前で縁もゆかりもない松本市に移り住んだ。


あれから7年…今では信州に愛着を持つようになった。いったい信州の何が私を惹きつけるのだろうか?


北海道の海沿いにある小さな町で育った私は、信州のような田園風景とは無縁の子ども時代を過ごした。自宅から2分ほど歩くと、太平洋が眼前に広がる、そんな故郷だった。


少年時代、一人でよく前浜に行った。野球少年であった私は砂浜で走り込み、疲れたらテトラポットの上で海を見て、回復したらまた走る、ということをよくやっていた。


走り疲れて、何も考えられずに海を眺めていると、海そのものを感じられた。激しく打ち付ける波の様子が、その時の寒さとともに、今でも思い出せるし、穏やかな風の中で悠然とする海の姿も浮かんでくる。


少年時代の経験は、自然に没入し、自然を大いなるものと信じる上で十分であったように思う。すなわち、「自分は自然の一部」であり、「自然は偉大な存在」と信じられる経験であった。


太平洋との感覚は、いくぶんかは恐怖(=死)を感じたが、偉大な自然との一体感を味わう心地よさの方が、大きく心に残るものであった。


おそらく、その過去があったからこそ、今でも自然に没入できる場所を探し求めるのだと思う。そして、それは本テーマである信州の魅力と結びついていく。


話を信州の魅力に戻す。信州には市街地から車で15分も走れば、里山や古い神社がある。信州人にとっては身近で当たり前、そんな里山や神社に魅力を感じる。


故郷で過ごした子ども時代、そのどちらにも触れる機会がなかった。それにも関わらず、私が魅力を感じる理由。それは身近にある里山や神社が、太平洋と同様、自然との一体感を感じさせ、自然への敬意を思い起こすのに十分な場所だから、である。


ただし、里山や神社は太平洋と違う。何が違うか。太平洋に人が手を入れることはできないが、里山や神社は長年、人が手を入れることで守ってきたことだ。


自宅から車で10分、里山に足を踏み入れると、古くから地元の人が大切にしてきた跡を至るところに見つけられる。


ほどよく刈られた田畑周辺の草木、澄んだ小川、適度に光が入るよう間伐された山中、菩薩像や道祖神…長年愛され、手入れされてきたことを実感する。


人工的に植えられた針葉樹の林が広がっていることが多いが(それでも自然を十分に感じられるのだが…)、足を踏み入れて奥に行くと、針葉樹と広葉樹の混交林が残っている場所があり、そこには神聖な光が溢れている。


針葉樹の厳しさを広葉樹の優しさが包み込む場所…日本人の信仰の原点の一つは、きっとこういう場所なのだろうと感じられる。


その場所にいるだけで、気持ちが凪のように落ち着き、活力が湧いてくる。


田舎の古い神社。立派なご神木は言わずもがな、その周囲にある木々や苔からも長い年月を感じる。


多種多様で豊富な植物が存在し、その植物を支える水が水路を流れている。社殿には所々に修復の跡が見られる。自然と人の営みが調和した神社の境内、人里の中にある特別な空間である。


そんな場所が信州にはたくさん残っている。以前住んでいた松本にも、そして現在住んでいる飯田にも。


故郷には圧倒的な自然はあったが、信州の里山や神社のような場所には巡り合わなかった。


どちらも大いなる自然を感じる、という点では共通しているが、人が長年、手を入れてきたという点で、異なる。その空間は自然だけではなく、先祖が長年伝えてきた想いや営みを感じられる場所でもある。


北海道・昭和生まれの私が、生まれ育った地域や時代を超えて、尊さを共有でき、なおかつ人の手によって長年守られてきた…


そんな場所が信州には数多く残されていることに深い感銘を受けずにはいられない。

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