過去は変えられる
- mapi10170907
- 4月13日
- 読了時間: 4分
【コラム】 信州支部 長谷川 正之(経営コンサルタント)
近隣市の社会福祉協議会に勤める友人から、就労準備支援事業の外部講師を頼まれた。お話会という形式で、テーマや進め方について事前に打ち合せをした。
参加者は20歳代~60歳代で、目的は何らかの事情により社会での就業ができないでいる方々に役立つ話しをすることである。
いろんな案を検討したが、直感的に思い浮かんだテーマ「過去は変えられる!エッどういうこと?」に決まった。「過去は変えられない」というのが普通で、逆ではないかと多くの人は「エッ」と驚くだろう。
この奇抜なテーマは、私が経験上学んできたことであり、自分の人生の中で特に三つの「きつかった経験」が、後の自分の人生に解釈を変えて役立っていることを率直に話そうと思ったのだ。
何かしら聴き手の心に変化が生じればと願い、そのうちの一つの話をここで共有したい。参加者にはシーンと聴いてもらい、感想も多くいただいた。
今から50年以上前の私の中学生時代のことである。中学3年生の修学旅行は東京であり、男子生徒は4班で行くことになった。
班分けは、まずリーダー4人を投票で選び、教室の4隅にそれぞれ立ち、他の生徒が希望のところに行って決める。私はリーダーの一人に選ばれ緊張気味に佇んでいた。が、想像できないことが待っていた・・・。
クラスの男子生徒たちは、他の3人のリーダーのところへ全員が行き、私のところには誰も来ない、ゼロ。頭が真っ白になった。心臓がドキドキ。消えてしまいたい。少したって、何人かが移って来てくれた、正直あまり覚えていない。忘れたい心理が強烈に働いたのだろう。
大きなショック。男子全員からイジメられた(リンチだ)と思い、深く傷ついた。孤独で心を閉ざし、このキズが長く尾を引いた。そして、他人には気づかれまいと、心の奥底にしまい込んだ。
しかし、大人になりいろいろな経験をし、私はこの出来事から次のことを学んだ。
「一人でいても、さみしくない男になれ」「徒党は組むな」「集団に依存し過ぎるな」。この出来事は、「仲間からのイジメ」ではけっしてなく、「一人でもしっかり立つ(生きる)」を学ぶ機会だったと「解釈が変わった」のである。過去は変えられるのだ(時間がかかったが…)。
ここまで話したストーリーは、お話会前日の夜までに整理したものである。そして、深夜ふっと目覚め、ある考えが湧き、以下のように付け足してストーリーを完成させ話した。
続きである。
「しかし、もう一つの解釈が、突然私に訪れた。それは『私のところにクラスメートが一人も来なかったのは、たまたまの偶然だったのではないか。一人でぼう然と突っ立ている私を見た何人かが、ハセ(当時の私の愛称)を救わないとこのままではヤバイ、孤立する!と駆けつけ助けてくれたのではないか!』。この出来事は、『心からの友を得る機会』だったのだ!」
…っと。確かに、その班のメンバーの何人かは今も心友である。
この、反対ともいえるほどの解釈は、今までの私には全く浮んで来なかった。話す機会を与えてくれた友人や聴いてもらう参加者に何とか役立ちたいという思いが、新たな解釈をもたらしてくれたのではないか。
今現在において、この出来事をこうまとめて解釈したい。
「生きていくには、一人でしっかりと立つのが基本。その上で、友のピンチには駆けつけ助け共に生きる。組織の中には埋没せず、徒党も組まぬこと。」
キャッチフレーズ的に言えば、
「厳しくなければ生きていけない。優しくなければ共に生きられない。」
あとの二つの話しは、「大学時代に、福祉施設でボランティア活動中に出会ったこと」と「30年余り勤めた組織を選択定年で辞めた理由」である。どちらも強烈な経験だったが、後に解釈が変わったのである。
話し終えた後、参加者と活発な意見交換をし、「自分を見直すいい機会になった」「元気をもらった」ほか、好意的に受け止めていただいた。最後に、以下のように話を締めくくった。
「その時に思ったことと、後になって新たに思うことは違ってくる。この新たな解釈は、突然やってくる。あの出来事はそういう意味だったのかと。ボーとしていてもやってこない。いろいろな人と会話する、本を読む、音楽や絵画を鑑賞する、自然に触れること(登山や農業他)で誘発されるのだ。」
「過去は変えられる」。その出来事は感謝にかわり、成長した証(あかし)となって自らに還ってくる。私はもうすぐ古希を迎えるが、さらにいろいろ経験し、これからも「新たな解釈」を求め続けて生きたい。
コメント