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『防災マップと子供に託す思い』『田んぼで思う』

◆ 信州支部 前田支部長からの執筆者紹介 ◆

まずは、長谷川氏のブログから略歴を引用させていただきます。

1955年生まれ、長野県埴科郡坂城町出身。長野県信連勤務後、政策研究大学院大学で公共政策修士を取得。長野県や上田市で統一ブランドの創設や農産物マーケティングを推進。また、小学校PTA会長や地域活動にも積極的に取り組む。現在、中小企業診断士・公共政策修士として「長谷川戦略マーケティング研究所」を立ち上げ、企業や行政のマーケティング支援に従事している。

以上のような多様な経歴を持ち、現在は「長谷川戦略マーケティング研究所」を立ち上げ、地域密着の「経営コンサルタント」として活躍されております。

主に経営に携わっておられる、長谷川氏ですが、伝統や文化についても造詣が深く、なかでも、中島岳志先生の「保守思想論、伝統文化論、共同体論」などに注目しておられました。

その中島先生が「西部邁先生」の弟子であったことから『表現者クライテリオン』に、そして、信州支部の立ち上げメンバーの紹介で「信州支部」とも繋がりができました。

以後、お忙しいなか信州支部の定例会や学習会に参加し議論を深めつつ、側方からご支援をいただいています。

経営という現場から地域社会の実態を経験的に把握し、その上で伝統文化や地域の風土という視点も持ち合わせた、長谷川氏の「見解」は、都市の経営者やコンサルタントとはまったく違った視点を、読者の皆様に提供してくれるものと思っております。



【コラム】 信州支部 長谷川 正之(経営コンサルタント)


■『防災マップと子供に託す思い』

一昨年、私は住んでいる坂城町の地区区長を任された。230戸ほどで、アパート入居者を入れれば800人くらいの区民である。


コロナ禍のなか、年間行事の一部は中止したが、新規に取り組んだこともある。「防災&魅力発見マップ」を作り、全戸に配布したことだ。


2019年の19号台風でわが町も被害を受け、区民の防災意識が向上。その対策としてマップ作成を思い付き、地区の魅力や歴史も織り込んで非力ながらなんとか完成させた。


このマップはA3版1枚の表裏計4頁で構成。ハザードマップ、地域資源(神社・寺・道祖神・花の見所等)を写真入りで表示し、「字(あざ)」(町や村の中の一区画の名)も由来を調べて書き込んだ。


とりわけ、用水と「字」を記入してみると、その意味が俄然光ってくる。例えば、「押出」という「字」は、沢が越水して土砂を押し出してできた扇状地であり、用水・沢や上流の堰堤(小さなダム)との関係が大変よく理解できる。


このマップを作った思いは、小学生にこの地区を知ってもらい災害から命を守ること、故郷はどんな所か心に刻んでほしいことだ。そこで、マップを携え地区を回るウォーキングイベントを実施し、保護者や児童は年長者の解説に真剣に聴き入った。


コロナ禍で失われている地域共同体がここにあると実感し胸が熱くなった。子供たちには、この地区の川や田んぼや畑で魚やオタマジャクシ、昆虫や鳥等と遊んだ記憶を大切にして欲しい。


そして今、考えていることがある。


私は、地元小学校のPTA会長をやり、その後正副会長会を結成し来年で20周年を迎える。その機会に、保護者や児童に話したいことがある。そのテーマは「SDGsとアニミズムとアニメ」であり、話す内容はこんな流れだ。


SDGsの大きな柱は地球環境の保全。森林・河川やそこに住む多様な生物を守り育んでいるのは世界で3億人とも言われる先住民族である。地球の多様な生物の80%は、世界の先住民族が管理する地域で発見されているという。


彼らの主要な価値観は、アニミズムという「すべてのものの中に魂が宿っているという思想や信仰」である。それは、日本人が古代から八百万の神を崇め、洪水や干ばつ・地震他に襲われつつも自然と共存して生きてきた精神と親和性を持つものだ。


このアニミズムは、アニメ(アニメーションの略)と同じラテン語の語源「アニマ」(霊魂や魂)であることを知っている日本人は、どれくらいいるだろう。


世界を席巻する「日本アニメ」は、トトロ・もののけ姫やドラえもんなどのロボットとも、人間の友達・仲間であり自然と共に生きている。日本人の世界観は独特で、人間中心ではなく生と死の区別も曖昧だ(「君の名は」他)。


日本アニメは世界でも絶大な人気だが、アニメに親しみ日本文化や伝統を継承して欲しい若者に、敢えて先住民族や第三世界の若者たちと交流し、SDGsの根幹である「アニミズム」の価値観を共有(確認)してほしい。


その若い担い手は、都市部ではなく、歴史的に「辛苦と涙によって都会を養ってきた田舎」で、自然と共に育った若者に託したい。


地区の子供たちは、防災マップでこの地を知り、命と自然環境の保全を考える。そして、SDGsとアニミズムとアニメをつなげて、世界の先住民族らと交わり日本人の価値観を磨いてほしい。小学生にどう分かり易く話すか、ワクワクしながら思案している。


私は来年古希を迎えるが、ある本の中の一文を最後に記す。


「世間を変えるのに、若い人にあまり期待はしない。世間と戦うには負担が大きすぎる。むしろ定年退職した人はそろそろのびやかに、世間に抵抗して、好きなことをしたらいい。」


この言葉を心に刻み、行動したい。



■『田んぼで思う』

自宅の周りの田んぼは、急速に休耕地が多くなってきた。耕作者(委託者を含め)の高齢化で続けられず、放棄地も目立つ。


以前は4月の桜色風景に続いて、5月には田んぼに水が引かれ緑色の早苗が植わり、農村には新しい息吹が満ちていく。心が弾んだものだ。


田植えの準備で田起こししている景色をぼんやり眺めていたら、かつて小学生の娘を水田に連れていき、草取りしたことを思いだした。たぶん、こんなやり取りをしたように思う。


娘は、田んぼに這いつくばって草を取っている私にこう言った。


「お父さん、スパイダーマンみたい」


前日に映画館で観た「スパイダーマン」の主人公が壁を這い上る動作に似ていたのだろう。


除草剤を撒かず、無農薬にこだわっている私を描写した一言に親子を感じ、妙に頭に残っている。


しかし、その後の半日這いつくばった「水田のスパイダーマン」が考え続けたのは、娘の意外な次の言葉。「田んぼに水が入ると広く感じるね…」だった。そこで、考えた理由を、こんなふうに日記に書き残している。


・空や景色が映り、光が反射して地面の時よりも立体感が出て、広く感じる。

・苗が列になって植えられていると、見た目にも近い所と遠い所がはっきり強調されて、遠近感が出て広く感じる。

・水が入り苗が植わると水面がさざなみ、苗は風で揺れ動いて見えるから、広く見える。


それ以上に私がこれだと思いついた理由がある。


「水田に空が映ると、山国の人間は、実はその水に映ったブルースカイが憧れの海につながっている」とイメージするからではないか。


そして、水は上流から流れてくる自然の賜物で、国民の共有財産。個人の田んぼという私有地に、共有の水が流れ込みつながることで、他の田んぼと一体という共有地意識が芽生え、視界が拡大し「広い」という意識を持つのではないか。


以上、25年ほど前に考えたことだが、今も同意できる。水田は、暮らす人々の感性を養い、連帯感を醸成する、「故郷の臍(へそ)」なのだと。


今、改めて思うのは、信州などの山国は、戦後の高度成長時代に加速した沿岸の都市部形成を、「人材と食料の供給」で支えたことだ。結果、大消費地となり、そこに「上流社会」が生まれた。


しかし、人口減少社会の今、自然エネルギーの利用や自然環境の保全、地震・災害等のリスク回避の面からも、山国での生活に価値を置く人々が現れ始めている。


都市への人口シフトが、逆に「カムバックサーモン」のように、標高の高い山村地に逆流(カムバック)してくると私は予感している。


足るを知る生活と精神活動に価値を置く、文字通り「上流社会」が新たに立ち上がってくるのではないか(インフラ整備が後押しすればなおさら)。そんな勝手なイメージを楽しく思い描く。


また、「田とは何か」を字典で調べると(字典・白川静著「字統」「字通」)、田は区画の形(一夫の耕作面積)とある。一方、田へんの「町」は、「まちという市街」の意味で用いているが、もともとは「あぜ道」の意。町も田から派生していて、私は納得する。


漢字には、「田」「米」「禾(いね)」を部首に持つ熟語が多く、日本人の価値観が農業を基盤にしているのは確かだ。


中でも、私が大切にしている漢字は、禾(のぎへん)の「私」。


エッと驚かれたかと思う。「私」とは「ム(すき)を用いて耕作をする人」をいう。日本人である限り、「自らのルーツは耕作者である」ということを知っているべきだ。そこから民族の自覚と連帯が立ち上がってくると思う。


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