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信州支部便り 9月版

  • mapi10170907
  • 2024年10月13日
  • 読了時間: 9分

【コラム】 信州支部 前田 一樹  ※信州支部メルマガより転載


▼09月02日配信 庶民における理想〈思想〉と現実〈仕事、生活〉の折り合いについて

のっけから「愚痴」になってすみません。


今年度から「仕事」の異動で、長野県「飯田市」に移動してき以降、「職場環境」がよくないと感じられ、「同僚」ともうまくやれない、「仕事」もはかどらないといった状況が重なり、「無力感」を感じ落ち込むことが多くなりました。


そのせいか、信州支部の運営や、表現者塾への参加、読書など、いままでやっていたことが手に付かず、退勤後、帰宅して酒を飲んでは何もせず寝て、休日はぼーっとネットを見続け、「あれこれしなければ」と思いつつ1日が経ってしまっていた……ということが何度もありました。


そして、こんな日々の「生活」ではダメだと自分を責める…という、スパイラルに入っており、それは今も変わりません。


もちろん、「仕事」においていままで確固とした自信があったというのではなく、30歳から、現在の「特別支援教育(障害児教育)」の世界に入り、志が低いと言われればそれまでですが、「世間のはぐれ者」であった自分でも社会の一隅においてできる役割を果たすのだ、という気持ちで取り組んできました。


それと並行して、20代から関心をもってきた「思想」の領域で、表現者塾への参加(2019年~)、信州支部のスタート(2021年~)など、尊敬できる先生方との繋がりや、信州支部メンバーとの関係といった、広がりや深化が見られてきました。


つまり、ここ数年、「仕事は仕事。思想は思想。」という、2重性を生きてきました。


またそれは、「思想に関心を持つ一介の庶民」として、当然の在り方だと考えもきました。大学教授、作家、ジャーナリストなどでない限り直接「思想的」な学びを活かす機会というのはないからです。


しかし、自分の手の届く範囲の中で両立できていると思っていたのが、苦しくなってきました。


「仕事」や「生活」においてこんな恥ずかしい在り方をしている自分が、何を偉そうに「思想」などと何を言っているだ、と。


今後、「職場環境」が変われば、また、元のバランスに戻るものとも思い、耐えていくしかないと観念してはおりますが、やはり、この「2重性」に折り合いをつけることに取り組んでいきたいのが素直なところです。


今回は単に「愚痴」っぽくなってしまってすみません。


しかし、恐らくですが、「思想」に関心を持つ方の中には、私のように、日々の「仕事や生活」とのギャップを感じている方がいるのではと考え、書かせていただきました。


これからも、同様の「私事」や「愚痴っぽい内容」の文章になってしまうかもしれませんが、「思想に関心も持つ、名もなき庶民」が、「理想〈思想〉と現実〈仕事や生活〉」にどのように折り合いをつけようとしてもがいているか、という一つのサンプルとして、お読みいただければ幸いです。



▼09月14日配信 苦しみの「ダブルスタンダード(理想と現実)」を乗り越えるためにー初めてのカウンセリング体験

先週9月7日(土)、思い立って、プロの臨床心理の「カウンセリング」を受けてきました(その一部をご紹介しますが、細かいやり取り部分は変更しています)。


20歳から「座禅」をやったり、「ヨーガ」をやったり、「読書」をしたりと、独学で試行錯誤してきており、いままで「カウンセリング」の必要性を感じていなかったのですが、前回のメルマガにも書いた通り、最近、


「現実(仕事、生活)と理想(思想、趣味)」


を2分する戦略(ダブルスタンダード)に、いよいよ精神的、肉体的な限界を感じていたため、思い切って受けることを決めました。


受けてみて、単に話を聞いて、気休めの言葉をかける、傾聴や肯定だけでなく、「仕事」に関して、少し話を聞いただけで、


「職場環境があっていないね」

「いまは頑張っていられるけれど、長期的に見るといまのままではもたないね」


とズバッとおしゃり。


「公務員には、その職業に適した性格があるが、あなたの性格にはあっていないと思います」


そこまで言うものなのかといった調子で、


「そもそも、適応しようしなくてよい。あなたは本来、職場に合わせることはできないのだから、まずきついものだと思っておけばいいのです」


と、歯に衣着せぬ言葉をいただきました。


また、少し生い立ちを話したことで、


「あなたにとって、身近なところにモデルとなる人物が必要だね」


と即答。その後のやり取りは、


私「登山ガイドの資格を取るための講座を受けたのですが、その講師の先生が、近くに住んでいて、よい人に思えました」


カウンセラー「その人いいね。漠然としていても、その感覚を大事にするといいです」


私「でも、フリーターでインドから帰ってきた後、苦労して大学を卒業して、教員免許をとって、公務員試験にも受かって、これまで努力してきたものを投げ捨ててしまうのはもったいとか思っています」


カウンセラー「私も10年以上、理系のエンジニアとして務めた後、キャリアを変えて、臨床心理になったのです。まったく畑違いに思えても、使えるスキルは沢山ある。そうもったいないと思わなくてもよいのでは」


などなど、実践的なアドバイスがバンバンと飛び出す、あという間の90分でした。


印象的だったのが、


「私は、長く病院に勤めてきたけど、患者さんのことを嫌いになったことは、一度もない。でも、同僚の医者や事務職はとっても嫌いだった」


とおっしゃっていた言葉です。


つまり、いわゆる、「病む人」は、人間的な心を失っていないから、現代社会で苦しんいるのであり、プライドの高い医者や事務職は、そんな人間的な心を失って、カチコチに「出来上がっている人間」だと、言いたかったのです。


はじめて「カウンセリング」というものを受けたため、比較はできませんが、もしかしたら特異なスタイルの「カウンセラーさん」なのかもしれません…


過度の期待は抱かずに受けてみたところ、自分にとって懸案であった、「仕事」に関する方向性について相談ができ、とてもすっきりしました。


いただいたアドバイスをどう生かしていくか、それは今後の自分が決めていくことです。一先ず、はじめのカウンセリングは、非常に有益な体験になりました。


私の場合は、緊急性の高い「ケース(症状)」ではないため、間をあけながら、今後も継続して、じっくりカウンセリングを受けて行こうと思っています。



▼09月22日配信 「不惑」を前にして思うー幼少の記憶との邂逅

子日く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲する所に従いて矩を踰(こ)えず。

(加地伸行 全訳注『論語』、講談社学術文庫、36頁)


この言葉を知っている方は、誰しも節目の年齢を前にして、その意味を自分自身に当てはめて反芻するのではないでしょうか。


私も今年度(令和6年度)で「不惑」といわれる「40歳」。とくにこの言葉の意味を考えることが多くなっています。


思うところは多くありますが、私にとっては、「山」が大きな存在として立ち表れてきており、今後もより深く山と附き合っていきたいと考えていることろです。


「北アルプスの玄関口」とも言われる、長野県松本市に生まれ育ち、山はいつもすぐ目の前にありました。


登山に親しむ家庭ではありませんでしたが、記憶に残っているのは、10歳前後の頃に連れていってもらっていた、白馬のスキー場から見た光景です。


リフトに乗って白馬の山から下界を見渡すと、近隣の町や遠方の街は遠のき、山間に隠れ、ただ地平線まで雪に覆われた、山が広がる果てしなく広がるばかりでした。


「長野県ってのは、山ばかりなんだな」と、つくづく思い。ただどこかその「光景」に魅了され、吹雪の寒さも気にならず、スキーやスノーボードのスピード感が心地よく、スキー場に行くのは楽しかった。


ただ、その「記憶」は目の前の現実―十代・二十代の絶望、葛藤、混乱、模索―に忙殺されるなかで忘れられていきました。


しかし、三十にして生計の見通しが「立」ってから、登山やスキーを通じて、山に帰ってきたことで、そこに自分が幼少のころ無意識に惹かれていた世界があったことを思い出しました。


三十代半ば、北アルプスの「燕岳(2763m)」に初めて一人で登ったとき、頂上で見た、完全な快晴の空と、北アルプスの神々しく、崇高な山々の姿に感動した瞬間、涙があふれて止まらなかったことの意味を求めました。


そして、いま「山の世界」に迷いなく入っていける。それが自分にとっての「不惑」であることを確信しています。その先に「天命」がることも…


皆様におかれましても、いま一度、孔子のこの言葉の意味を考える機会にしていだければ幸いです。



▼09月23日配信 祝・信州支部メルマガ登録者100人突破!

今月(9月)で信州支部が配信している、「信州支部メルマガ(以下、「信メル」)」の登録者が「100人」を越えました!


これまで登録、購読いただいてきた皆様に心から感謝いたします。


思えば、2021年に開催した「信州・松本シンポジウム」( )の参加者で、アンケートのメルマガ配信希望の欄に、ご自身のアドレスをご記入いただいた皆様に向けて、


「せめて、長野県内のクライテリオン読者の繋がりを作っていきましょう」


と呼びかけ、集まる日時や会場をお知らせする配信することから、「信メル」はスタートしました。


それに応えて、長野県内の数名の読者の方にお集まりいただき、「表現者塾信州支部」が誕生しました。


次に、その仲間とクライテリオン執筆者の先生をお呼びした学習会を、「上田、長野、塩尻、須坂、飯田」にて開催し、そこに参加してくださった方にメルマガ登録をご案内することで、少しずつ登録者が増えていきました。


そして、読者の集まりや企画の告知をしているだけではなく、少しでも信州支部についてご理解いただけるようにと、代表である、私(前田)から信州支部メンバーによるメルマガ記事の配信を始めました。


現在では、月替わりで他の信州支部メンバー(岐阜支部メンバーも含む)の記事も配信をさせていただいています。


以上のように、信州支部の活動は、この「信メル」とともにあったのであり、「登録者数」が、そのままにして信州支部の活動の広がりを表す指標になっています(「チャンネル登録」をお願いする、YouTuberの気持ちが分かります)。


また、「信メル」の記事を何度となく、クライテリオン本誌にも取り上げて掲載していただき、いまでは信州支部の活動の一つの柱にもなっております。


完全に「0(ゼロ)」から手探りで運営してきている「信州支部」ですが、遅々たる歩みにもどかしくなりつつも、継続することで少しずつ「目鼻」がついてきている実感があります。


しかし、現在の悩みは、


①:配信したメルマガ記事がストックされておらず、WEB上で検索したり見返したりできないこと。

②:メルマガの読者登録フォームをWEB上に設置し、自由に登録していただくことができないこと。


の2点です。


そこで、この問題解消するために、実はいま拠点となる「支部ホームページ」の作成を進めております。


まだまだオープンは先になりますので詳しいことは言えませんが、そのWEB上で拠点をベースに今後の支部活動を展開する予定でおります。


とはいえ、信メルが今後も発信の柱である続けることは変わりません。これからも読者の方に、「信州人ならではの保守思想」をご理解いただける記事を配信していきたいと思っております。


ご登録いただいている皆様には、これからも変わらぬご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。

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