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霊性とはなんぞや

  • k.inaweofgaulle
  • 2023年2月25日
  • 読了時間: 3分

【コラム】 東京支部 K.T(都内医師)

 NPOで「生命力と人間」と題して、月に一回2時間、計5回の連続講座をさせていただき、30人以上の方に受講いただいた。受講していただくといっても、私は医者なので生物学の知識は受講者よりあるが、人間として私の方が深みがあるとかそういうことでは全くない。受講者の中には、私の応援を見守る思いで受講していただく方も少なくない。私は、多くの尊敬する方の人生の悲喜交々、それを経た掴んだ信念に、生物学的な世界観によってどこまで迫ることができるかという気持ちで取り組んだ。


 多くの方に支えていただきながら5回を終え、今後の活動にも弾みがついた。その多分は私の情熱を認めてくださったということではないだろうかと思う。実際に、忌憚ない意見をくださいとお聞きすると厳しいお言葉をいただいた。


 一つは、あなたのお話は知的にはとても面白いがまだ智解の段階に止まっていて、体解、心解の段階には至ってないというお言葉であった。さらに具体的に、生命論にはなっているが人間論には至っていないというご指摘もいただいた。


 もう少しお話を伺っていると、その方のお話では「霊性」がなければ人間は、分からないということのようである。


 難しい問題がやってきた、「霊性」とはなんぞや。という問題である。私は、霊性と聞いてただの一言も出てこない。大変な問題がやってきた。


 科学で説明できないものがあるというのはいうまでもないが、それを伝統という言葉に頼ったり、いわゆるスピリチュアリティーの世界に持ち込んだりしても私にとっては、言葉を置き換えたに過ぎないのだ。知性で説明できない運命を、説明できなくても引き受け、理由を説明できない情熱でもって立ち向かっていくというのが人間だとわかる。


 理由が説明できない、因果だけでないといっても何でもありの世界ではないのだ。人間は宇宙の一部であるのであって、人間が理解できているのが宇宙ではない。しかし、人間は宇宙の性質を仰いで生きなければならない。ここに霊性の意義があるのだろう。


 著述家の執行草舟氏は、以下のように記している。


「西洋において勃興したルネサンスは、すべての中心に「人間」を置くヒューマニズムという思想を発生させた。人間を創り上げている崇高なる「何ものか」ではなく、創られた人間がすべての中心に徐々に上がってきたのだ。」


 竹本忠雄先生が、親交のあったアンドレ・マルローがゴヤ記に光を「サクレ(聖なるもの)」とし、闇を「黒ガラス的否定性」として光と闇の関係を表したことについて、日本ではどうなるのかと鈴木大拙氏に訪ねたという。鈴木大拙氏は、西行を引いて

「何事のおはしますかは知らねども忝なさに涙こぼるる」の忝さであると答えたという。


 雲の上のようなお話であるが、「霊性」というのはきっと本来は難しいものではあるまい。しかし、人間が大事と思っていたらたどり着けないのだろう。人間よりも大切なものは何かを思い続けると霊性が生まれるであろうが、その結果人間にご利益があるという形にはすまい。


 霊性について、全く纏まらぬが追求の仕方は難しくあるまい。闇に吸い込まれながら、光を仰ぎたい。



 
 
 

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