阪神タイガース優勝に見る、願う国の姿
- mapi10170907
- 2023年12月7日
- 読了時間: 6分
【コラム】 関西支部 N
阪神タイガースが18年ぶりのリーグ優勝と38年ぶりの日本一に輝いた。
今回の優勝には日本を取り戻す手掛かりがあるように思う。
今年、阪神の選手、在阪メディア、ファンは皆一同に優勝を「アレ」と呼んだ。岡田監督の「優勝というと意識しすぎるからアレで」という言葉に端を発し、在阪各局は報道規制の如く「アレ」と言い換え、選手らも「アレに貢献できるように」「アレに向けて」と、本当に「アレ」が合言葉となった。
リーグ優勝翌日、丁度藤井先生が出演されていた夕方の番組では「アレ」には暗語の効果があったのではと言語心理学専門家のコメントが紹介されていたが、確かに「アレ」には絶妙な効果があった。
家族や友人、職場など其々の関係の文脈の中でそれぞれの意味を持ち使われる「アレ」。通じるのは身内の印。「アレ」を使うことで選手、メディア、ファンとの関係が例年よりも縮まっていたように思う。
少し負けが続いた時でも「アレ」という言葉のおかげか空気が重くならず明るかった。負けが長引くことがなかったからだろうが、空気が明るかったから負けを引き摺らなかったのかもしれない。
「アレ」が浸透する背景にはマジックが点灯しながら優勝を逃した2008年のストーリーがあった。一昨年も好調で「優勝してまう」などという特番が放送されたが、最終的に優勝をさらわれた顛末もあり「意識しすぎたらあかん」というストーリーが球団を取り囲む人たちの間で共有されていたところに岡田監督の「アレ」がハマった。
ストーリーの共有、ストーリーを象徴し束ねる合言葉といえば「国土強靭化」だ。藤井先生の講演で初めて国土強靭化の話を聞いたときには「これだ!」と思った。当然のこととして行うべきものだと思ったし、何より目に浮かんだ光景は美しく「めっちゃ面白そう」だった。
毎年球団にはスローガンが掲げられるのだが、「アレ」はA.R.E.と書かれてスローガンにまでなってしまった。
スローガンと定められたわけではなかったが、岡田監督がスローガンのようにいつも言っていたのは「普通にやる」だった。「普通にやったら勝てる」「普通にやるだけ」「なんで普通にせえへんかなぁ」。負けた時にも勝った時にも兎に角「普通にやる」。
これまでの球団のスローガンは「熱くなれ!!」「超変革」「挑む 超える 頂へ」等。
「打って出る!」と同じく威勢ばかりで足元が疎かなようで苦手だった。阪神電車などで目にすると借り物を着ているような恥ずかしさもあった。「アレ」の方が阪神の性分に合っているし、「普通にやったら勝てる」の方が着実で自信に繋がりそうだ。
「打って出る!」と遠くばかりを見る政治家や官僚、知識人、財界、メディアに「普通のことを普通にやってくれ」と憤り、呆れ、諦めを感じた人は多いのではないかと思う。国民がずっと望んでいるのは「普通のこと」だ。
災害に見舞われた地域の復興や防災に予算をしっかりつけて真剣に取り組む。復興や防災に必要不可欠な地元業者を守り、良い仕事をしてもらうためには談合も必要である。
国の動脈として新幹線や道路をしっかり通す。血が通えば地方にも活気が戻る。活気が戻れば地元で働くことができ、更に活気付く。インフラが整えば、また整える過程では経済も成長する。そうすれば結婚して家庭を持てる人が増え少子化解消にも繋がっていく。少子化が解消されていけば年金や社会保障の心配も減ってくる。更に子供を作りやすくなる。
なんで普通にせえへんかなぁーーそりゃ負けて当然である。
岡田監督のもと、普通にやって優勝した阪神タイガースの何が嬉しかったかって、願う国の姿をそこに見たことだ。
阪神タイガースの選手には他球団ほどのスーパースターはいない。最後の最後に決勝打を放ってはくれたが助っ人外国人もアテにできる存在ではなかった。今年スタメンを張った選手の殆どは生え抜きだ。移籍してきた選手も現役ドラフトで、大金で獲った選手ではない。どれだけ調子が良くても8番で固定され「恐怖の8番」と言われた木浪選手に象徴されるように、各々が自分の役割を果たし、全体の攻撃に流れがあり、チームの結束で勝ち進んだ。
中野選手の遊撃手から二塁手へのコンバートは大きな話題となり、それが当たった。今シーズン不動だった4番については、当初監督は違う選手も考えていたらしいが、選手らが慕って集まる様子から皆が認める4番は大山だと「見えた」という。野球を熟知した岡田監督が選手をよく見ていたからこその采配だ。
また、四球の査定を上げるよう球団に取り付け、チームの出塁率を伸ばした。(0.322リーグトップ。四球数494。2022年は0.301リーグ最下位(中日タイ)四球数358)「四球はヒット1本と同じ」と、言葉だけではなく「査定を上げる」という裏付けがあったからこその伸びだということを様々な解説者から聞いた。言行一致の岡田監督のことを信頼して選手も戦いやすかったのではないかと思う。
8月の試合中に起きた岡田監督の審判への猛抗議。平田ヘッドコーチはその試合を今季の分岐点に挙げた。監督の怒り、ワンプレーに拘り勝負に執着する姿は選手には新たな発見だったのではないかという。優勝後、ある選手は監督の姿に勝利への執念を感じて、自分の意識も変わったと答えている。本気の姿は人を動かす。藤井先生の本気の姿に感化されたことがきっかけでクライテリオンの読者になった人は私だけではないはずだ。
アレという言葉も、采配も、四球査定も、猛抗議も、全てが「勝つ」という言語ゲームの中で行われていた。とても明快で、プラグマティズムそのものだと感じた。日本シリーズでは、不調と故障で長く登板の機会がなかった湯浅投手が重い流れを変えたり、最終戦では今年芳しくなかった青柳投手が先発の役目を果たし監督の勝負勘が讃えられたが、プラグマティズムであったが故にデータを超えたものが天啓のように監督の目には見えていたのかもしれない。(ヒーローインタビューでウケ狙いをする選手に対して、自らの思いや考えた言葉でファンに答えるよう指導したことなどからは「勝つ」以上に野球界や野球そのものが最上位にあることも窺える)
岡田監督と選手たちとの関係も印象に残るものだった。選手らが監督と直接言葉を交わすことはあまりなく、コーチを介したり、試合後等のインタビューが監督の意を知る場となっていたという。必要以上に選手と親しくなって情が移ると起用にも影響し勝負に徹しきれないと語っていたことからも分かる通り、選手との関係も「勝つ」という言語ゲームの中で適度な距離が保たれていた。
平田ヘッドコーチによると、選手と喋らなくてもずっと見ているのが岡田流コミュニケーション。実際に選手は「よく見てくれていて、言葉がなくても起用法で気持ちが伝わる」と答えている。
上述の番組では藤井先生が岡田監督を昭和の威厳のある父親と喩えられていたが、まさに威厳のある父親の元でどんどん伸びていく兄弟たちというチームだった。
浜崎先生が出演された動画でご自身の師との出会いを、カップリングした時に力能が上がった、見晴らしが良くなったとおっしゃっていた。「自分の野球を広げてくれた。皆が野球にのめり込んでいた」ある選手のこの言葉などはまさにそういう喜びを感じていたということだろう。
しっかり見ていて適切に導いてくれる指揮官の元で力能を上げていく選手たち。
力能を上げたいーー自覚の有無に関わらず、日本人が1番望んでいるのはこれではないだろうか。
イチローが「日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしい」と引退会見で語ったが、チーム作りの時点から面白い野球を存分に見せてもらった。本当に面白かった。
日本人は面白いことに飢えている。
国というものを熟知し言行一致した信頼のおける宰相の元、力能を上げて存分に働き国や共同体を強靭にする。最高に面白いはずだ。
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