top of page

被団協の平和賞受賞を素直に喜べない理由

【コラム】東京支部 田尻 潤子(翻訳業)

今年は終戦80年、「節目の年」だといわれている。昨年被団協がノーベル平和賞を受賞したことも記憶に新しい(1月の本稿執筆時点で)。日本社会の「空気」は、これまで以上に「平和への思いを強くする」ものになるような気がする。それ自体は良いことなのだろうが、自分としては引っかかるものがある。


ノルウェーの平和賞授賞式会場にはセレブのような装いの西洋人たちが集っていたが、私は何だか複雑な気分になった。小学生のとき米国の大物歌手たちが「ウィ・アー・ザ・ワールド」を合唱しているのを見た時の違和感と同じだ。この曲の印税の一部はチャリティに使われたらしいが、歌っている人たちは豪華絢爛な暮らしをしているに違いない。合唱中、背景の巨大スクリーンにはアフリカで飢える子供たちの姿が映し出されていたと記憶しているが、経済大国の一流シンガーらとの凄まじいギャップに、私は子供心にも「何かおかしい」と感じていたのだった。


それ以上に私がいつも違和感を覚えるのは、憲法九条支持者などの日本の「平和主義者」が、「平和」や「反戦」を叫んでさえいれば、祈ってさえいれば、願ってさえいれば、訴え続けてさえいれば平和でいられるなどと考えているらしいことだ。


戦争論・宗教学が専門の石川明人氏は次のように指摘している:


『わが国では、戦時中は「必勝への信念」が重視されたが、戦後はそれが、単純に「平和への信念」へと切り替えられた。「信念」が好きなのだ。「戦争」も「平和」も、道徳感覚と結び付けられ、情緒で語り、情緒で説得しようとする傾向が強い。事実や論理を詰めることよりも、「感動」することを求め、それで満足してしまうという点で、戦中も戦後も結局のところ根本姿勢は変わっていない。良いか悪いかはともかく、これも日本の文化的特徴なのかもしれない』(※1)


軍隊にとって士気は大切なものだが、それでも圧倒的な軍事力の差を「精神」だけで何とかしようとするのは無茶苦茶な話だ。これによってどれだけ多くの人が――軍人・文民を問わず――苦しめられたことか。


石川氏はさらに次のように述べている:


『平和の構築や維持というのは、戦争や軍事と同様に、人間や社会の状況に対する具体的な働きかけに他ならない。そうした意味で、「平和」への取り組みは、「戦争」への取り組みとあくまでも同じ地平にある。したがって、「必勝への信念」でもって戦争に勝とうとしたことが愚かだったとするならば、「平和への信念」でもって素晴らしい社会を構築しようとすることもどこかずれている。平和な社会をつくってそれを維持するには、戦争と同様に、冷徹な戦略、戦術、そして十分な装備と補給が必要であるだろう』(※2)


先に引用した指摘どおり現在の「平和主義」と戦時中の精神論が(向いている方向は逆でも)根底でつながっているのだとすれば、日本人が平和賞受賞を無邪気に喜んでいてよいのだろうかという疑問が湧いてくる。


米国の国章に使われている白頭鷲の片方の足は平和の象徴であるオリーブの枝を握っているが、もう片方ではしっかりと武器である矢を握っている。これは言うまでもなく、基本的には「平和を望む」とはいえ、いざとなったらいつでも国を守る用意があるという意味だ。自分は、武器を手放すべきでないと考えざるを得ないのだが、「平和主義者」には、丸腰の国家が外交上有利に立ち回れる策とやら何かあるのだろうか。国連安保理で拒否権を持つ常任理事国すべてが核保有国であることをどう説明するのだろうか。二次大戦後の戦争・紛争が核兵器を持たない国で起こってきた(※3)ことについてはどうだろう。これはMAD/相互確証破壊が効いている証ではないのか。これらについて納得いく説明ができない限り、理想や理念だけを声高に叫んでいても核兵器も戦争もなくならないし、結果的に我が国の安全をただ脅かすことになりはしまいか。


「平和主義者」に手厳しいことを色々述べたが、こんな私とて、被爆者の方々が経験した塗炭の苦しみを決して忘れてはならないという点に異論はない。しかしそれでも国家の安全保障を考える際は少し頭を冷やす必要がある。とはいえ、日本の核武装は現実的ではないという意見も多々あり、それらにも一理ある。また、核廃絶が無理ならば、核兵器を無力化する技術を開発すべきだという見解もある。いずれにしても、日本国民一人ひとりが考えねばならない問題だと私は思う。




<注釈>

※1 石川明人「私たち、戦争人間について 愛と平和主義の限界に関する考察」/創元社/268頁

※2 石川明人「戦争宗教学序説 信仰と平和のジレンマ」/角川選書/260~261頁

※3 非核国同士の戦争、あるいは核保有国が軍事介入した戦争が多い。ただし核保有国が間接的に関与した戦争(代理戦争)は数多く存在する。例外として核保有国同士である印パ間での紛争(カシミールを巡るものなど)があるが、全面戦争ではなく局地的な衝突にとどまっている。


Comments


©2022 表現者linkage

bottom of page