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経済問題における改革の必要性について

【コラム】 東京支部 日髙 光

人間社会において何事かを為そうと思えば、必ず先立つものが必要になります。


強い軍隊を作るにも、優れたインフラを整備するにも、技術開発や文化研究をするにしても、何から何まで金、金、金です。


当然、お金が全てであるという訳ではありませんし、金だけでは解決しない問題も多くあるでしょうけども、人が霞を食って生きるわけではない以上、お金の問題は必ずついてまわります。


このお金の問題を考える時、どうしても経済の問題は避けては通れません。


その経済について我が国、あるいは経済学の世界にどのような問題があるかについては、表現者クライテリオンに関心を持つ人々の少なからずは相応の知識・理解があるかと思います。


しかし間違った論理的一貫性をもって構成されている我が国の経済制度の実態について、全体の構造的問題を捉えている人は、実はそんなには居ないのではないでしょうか?


私にはそんな風に思われるので、拙い知識しか持たぬ身で恐縮ではありますが、ここで日本経済が抱える問題のうち全体に大きな影響を与えるだろう4つの問題をとりあげ、景気を回復し安定した経済成長を実現する為の課題について考えてみようと思います。


①労働組合の機能不全について

財政出動によって需要が創出され、これを当て込んだ投資が行われれば、経済は過熱し景気は良くなります。


この点は古典派においても割と通用する常識的な話ですが、実はこの好景気は表面的なものになる可能性があります。


好景気によって企業の利益がどれだけ増えても、経営側が労働者の給料を上げる動機には、実はなりません。


彼らは契約通りの給与を労働者に支払っていて、労働者の働きの評価は経営側が判断するので、利益が上がった事で労働者の待遇が全く変わらないという事は無いかもしれませんが、その気になればそういう事も出来てしまいます。


何時の時代も商人というのは強欲な存在であり、良い仕事をしてさえいれば黙っていても給料が相応に上昇するというのは、あまり現実的とは言えません。


所謂新自由主義的な考え方が浸透した現代においては、一層こうした傾向は顕著であり、実際我が国では実はGDPは失われた20年の最中でも微増傾向ある一方、労働者の所得は減り貧富の格差は拡大してしまっています。


また、新自由主義的な考えに対してケインズ経済学の話を切り出す人も多くいますが、ケインズの主著である「雇用・利子および貨幣の一般理論」の内容は、基本的に労働組合による賃金交渉が正常に行われている前提で書かれています。


労働組合が非正規雇用を守らず、またそもそも形骸化していたり、企業の規模が小さく存在すらしていない場合、需要拡大による投資が増えても労働者の所得は増えず、家計消費が増えず景気は良くならない―というか、労働者達に好景気の恩恵が殆ど届かない可能性が高い。


そして実際に我が国における労働組合の陳腐化は著しく、労働者達は団体交渉の手段を持てずに居る。


この問題は絶対に解決する必要があります。


②独占禁止法の緩和について

技術の進歩は常にその余地があるわけではなく、業界の生み出す財やサービスは、屡々その品質が頭打ちになってしまう事があります。


こうした場合、同業種間の争いは価格競争が主となりますが、談合によってある程度の価格調整が為されなければ、ダンピングのような不毛な価格競争の歯止めが利かなくなってしまいます。


この状態で企業がまともな利益を得るのは難しく、当然そこで働く労働者の給料を増やす資金的余裕も生まれません。


また、2020年のリニア談合事件で議論になったように、極めて大規模かつ高度な技術が要求される事業においては、普段は競争相手であるような企業間でも一致協力し、得意分野の仕事を上手く分配する必要があるが、これを不正と言われてしまうと各企業が持つノウハウを上手く生かせず、余計な金を使って独自の研究をする必要が発生し、恐らくは本来よりも悪い製品が仕上がり、少なくとも金は本来より余計にかかってしまい時間も無駄にしてしまいます。


適正な価格維持や合理的効率的な企業の生産活動などを考えた時、この問題を解決せずに日本が真の景気回復に至るのは不可能に近いとすら思われます。


単に景気回復の面だけでなく、純粋に優れた生産物を作るという点においても、この法律の改正は急務と思われます。


③バーゼル規制について

この規制は、企業が銀行からお金を借りる場合また銀行が企業にお金を貸す場合、企業や銀行の自己資本比率によって貸し借りできる金額に上限を設定するもので、基本的にはバブルやそれによるインフレを強烈に抑え込むために企画されたものです。


この何が悪いかといいますと、本来「アイデアはあるがお金が無い」という人に、その信用性に応じたお金を貸すのが銀行の果たす役割であるはずの所、まず先に「彼らはどれだけの金を持っているのか?」という問題が来てしまって、アイデアや提案者の能力の優劣より資金力が優先されてしまう。


また「いざという時に手元に金が無ければお金を借りられない」という状況であるが故、企業は内部留保を溜め込む傾向を持つようになり、当然労働者への利益分配にも影響します。


最近では公共投資の重要性を叫ぶ声が多く実際その通りなのですが、日本の景気が良かった時代は寧ろ民間の経済活動の方が活発であり、民間企業が政府に代わって負債を抱える代わりに景気を良くしていました。


こうした規制が経済を冷やす事に貢献しても過熱させる事には何の働きもしない事はこの規制の趣旨からして明らかであり、特に今の日本にとっては極めて有害です。


また、この規制において債権はその発行元によっては額面通りの価値がないものと見なされます。大企業のそれはさておき、中小企業はその規模によって債権の実質的な価値が低く見積もられた状態で計算される都合、中小企業ほど銀行からお金を借りづらくなります。


そもそも度重なるバブルの原因は、銀行職員たちの査定の甘さ、下らない接待をはじめとした癒着による「真の財政規律」とでも言うべきものの崩壊が原因である所、過去の制度にケチをつける事で銀行員たちが負うべき責任を擦り付けている節がバーゼル規制にはある故、経済以外の観点からも、この規制には問題があると思います。


また、この規制は国際的なものである都合、新しい取り決めが出来た時には英語でその条文が作成されるわけですが、必ずしもリアルタイムで日本語には翻訳されず、実際私が数年前に調べた時には現行の規制の日本語訳は確認できず、バーゼル2という古いバージョンの規制が辛うじて翻訳されている状態でした。(現在はバーゼル3までの和訳を確認しています。もっとも訳文の内容が本文と合致しているかという問題が残りますが…)


これもまた日本経済の再生を考えた時に巨大な問題として我々に圧し掛かかって来るでしょう。日本単独でどのような対策がどこまで可能であるか、議論する必要があると思います。


④TPPについて

コロナ問題やウクライナ問題で国内産業の空洞化や食料自給率の問題など多くの課題が改めて浮き彫りになりましたが、これらは少なくとも過去の時点において日本の国内企業が海外企業との競争において、生産効率や人件費の問題から勝ち目が無かった事が大きな原因としてあります。


国家経済の強靭性を考えた場合、安易に海外製品に頼るのではなく、国内産業を関税や補助金で保護し、また適切に育てなければならなかったのですが、新自由主義的な発想の下、海外製品に依存する格好になってしまいました。


この流れを不可逆的にしているのがTPPなのですが、その細かい内容は散々議論された事なので、ここでは日本が国内の様々な製品の供給網を維持する為のあらゆる国家的保護が、関税撤廃だの非関税障壁だのといった下らない発想の為に阻害されてしまっている事を書くにとどめます。


内容を見てみると、欲深い者達が寄り集まって只管に「兎に角儲けたい」「絶対に損をしたくない」という欲望丸出しで議論した結果、ちっとも折り合いがつかなかった事情が透けて見える故、この条約に参加した各国が本当にこれに満足しているかは怪しい所があり、脱退も手続き上は容易であるのが救いですが、最恵国待遇なる極めて厄介な条項を盛り込まれた別な国際条約との兼ね合いもあって、これを抜け出す際に強烈な外圧がかかる可能性があります。


我が国の経済安全保障の為の諸政策が外圧によって妨害される原因となる危険な条約故、この対応も緊急性の高い課題と思われます。


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以上4つの問題だけ見ても、間違った一貫性に基づいて作られた制度の厄介さを見て取る事が出来るかと思います。


一つ一つの法律や規制がお互いに複雑に干渉しあい、どれか一つを改善しただけでは、他の条項が障害となって臨んだ成果を出せないどころか、最悪逆効果になる事も考えられます。


幾らか例をあげれば、仮に労働組合の活動が正常化し力強い賃上げの運動が可能になったとしても、値下げ競争や投資の冷え込みによって原資が調達できなければ成果は期待できませんし、独禁法の改正によって価格競争が改善されたとして、投資自体が抑制されていれば経済は伸び悩み、バーゼル規制を何とか出来たとしても独禁法下での過剰競争の解決につながらない以上、そもそも投資するに値する需要を見込めない状況が続く。そしてTPPによってこれらの規制を改革する際に多くの貿易相手国および国際企業からの反発が予測される―といったところでしょうか?


これらの問題は、他の多くを改善しえたとしても、残りの一つの所為で全体が台無しになりうるくらいには毒性の強い問題ばかりであり、しかも所詮経済制度という小さな枠組みの問題と言う事もあって、全てを解決した上でも経済的成功が約束されるわけではないことまで考えると、経済制度というインフラは、可能な限り正しいものに一気に更新する必要があります。


しかしこの様な方針には保守派の一部からは急進的過ぎると批判の声があがります。確かに急進的ではあるのですが、この場合の急進性は保守派の取るべき態度としておかしなものではありません。


この問題において保守が漸進的になる必要があるとすれば、主流派経済学者に対抗する正しい経済観を検討するその時であって、それを実行に移す時ではありません。


様々な制度変更は効果が発揮されるそれなりの見通しがあって始めて実施されるべきものであり、ただ漸進的である事を主義化する姿勢から正しい全体像を作るべく長い時間をかけてチグハグな法制度の害悪を受け止め続けるような事があれば、そこに理性知性は存在しないでしょう。


保守とは理性知性を否定するのではなく、懐疑しつつもどこかでその結論を信じる決断をして問題にあたる態度であり、この決断の根拠こそが歴史や文化・伝統ではなかったか?


ならば、警戒すべきは改革的な法改正ではなく、その後の調整の有無や質の良し悪しということになるのではないでしょうか。


近年良く取り上げられるMMT(近代貨幣理論)は屡々、実行された事のない怪しげなもののように批判されますが、実際そうした制度で国家を運営すれば、幾らかの失敗を目にすることもあるでしょう。


しかし、ここで失敗は許されないなどと思ってしまう態度こそが、寧ろ左翼的設計主義者の発想であり保守に対する無理解からくるものではないでしょうか。


民主主義社会においては、勢い自分達の思想を無謬の者であるかのように喧伝せざるを得ない事があります。しかしその広報における態度とは別に、現実の問題を素直に受け止め長く付き合っていく事は可能ですし、そうした慎重さは求められても居るでしょう。そうした態度こそが真に保守的な漸進的姿勢ではないでしょうか?


少しでも多くの資金的余裕を得る為に、高い利益率と安定した収入を求める企業は、企業間競争に勝利する事で目的を達すべく、労働者に死力を尽くして働く事を強い、その結果とし労働者達は過去よりもずっと多くの事を仕事に捧げる事になります。その結果、労働組合の活動などには時間をさけず、地元の自治会や家族との時間なども考えれば、殆ど蟻や蜂のような存在となってしまい、公共の事など考える暇もない。


この何処から手を付ければよいのかもわからない袋小路に置かれた者達が、突破口だの起爆剤だのと騒ぎ立てるのは、賢いかどうかはさておき自然な事です。


我々はこの自然な感情をその急進性から否定するのではなく、如何にして良い方向へ誘導するかを考えるべきであり、狂ったバランスによって生まれた強烈な反動を漸進主義によって抑え込むのではなく、慣れ親しみ確かめた事のある元の形に上手に戻す事こそが、保守派の為すべき事ではないでしょうか。


その具体的な例が過去に見つからないだろうかと考えた時、私は自分が初めて表現者塾で質問をした日、西部先生から貰った回答を思い出すのですが、そこから先の事はまた次の機会に書く事として、一先ず経済問題とその解決に改革が必要な理由についての話は、ここで区切りたいと思います。

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