猫について
- mapi10170907
- 9月16日
- 読了時間: 2分
【コラム】 信州支部 御子柴晃生(農家)
猫好きです。物心ついた時から家には猫がいました。猫が絶えたことがない家で育ちました。野良猫から家のなかで飼った猫、今まで全部で18匹です。
印象に残っている猫3匹のエピソードを紹介します。
「さーちゃん」「フク」「とらぞう」
「さーちゃん」は夜中に屋根を伝って僕の2階の部屋の網戸をバリバリと搔きむしり、中に入れるよう催促しました。普段は人に寄り付かない黒猫ですが、その時だけは布団の中に入って朝まで一緒に寝たものです。
「フク」は「さーちゃん」の2匹の子供のうちの1匹で、長毛の黒猫でした。ある日、僕が学校から帰ると子猫2匹がいなくなっており、母に尋ねると捨てたとのこと。僕は大泣きして怒り狂い、探し回りましたが見つかりませんでした。
ところが翌日の朝、玄関を開けたら「フク」が無言で座っていました。自分で帰ってきたのです。とてもうれしい気持ちで学校へ行って帰ったのですが、なんと母はまた捨てたとのこと。しかも更に遠くの場所にです。絶望し、今度こそさよならだと思いましたが、翌日もまた玄関の前に無言で座っていたのです。これにはさすがの母も負け、飼うことになりました。
最後に「とらぞう」。妻と実家の離れ家に暮らし始めたときに飼っていた猫です。ヘンな、変わった猫で、書ききれないほどエピソードがあるのですが、一言でいうと「悟ったような」猫です。
いつも仏のような顔をしており、死ぬ直前には近所の墓地にきちんと座っていました。距離的に行くはずがない場所です。名前を呼ぶと、ゆっくりと寄ってきて「おな~」と鳴きました。その時には「とらぞう」は病気で弱っており、死期を悟って墓場に赴いたのか、などと想像しました。自然とそんな想像ができるくらい、人間らしい猫だったのです。
猫は見ていて飽きません。どの猫も姿かたち、性格もちがう。といってもまったく違うわけじゃない、ある範囲内のかたちの上での違いです。何を当たり前のことをと思われるかもしれませんが、猫を見ていると、この「当たり前」を忘れている自分に気付ける、感じられるのです。
猫はこちらがどんなに働きかけても自分たちの生き方の根本は変えません。そのすがたが僕にとっては本当に「自由」で「幸福」のように見えるのです。様々なコトやモノに影響されて「生きかた」が揺らいでしまう僕にとって、真に「文化的」だと感じるのです。
もし、生まれ変わりというものがあるなら、僕は人ではなく猫、この一択です。
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