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熊野古道から感じるエネルギー

  • mapi10170907
  • 8月10日
  • 読了時間: 2分

【コラム】 信州支部 加藤 達郎(教師)

GWを使い、熊野古道を歩いてきた。熊野古道は身分や老若男女問わず、平安時代から多くの人が熊野三山への参拝のために利用してきた道である。大勢の人が蟻のように数珠つなぎで歩く様子から「蟻の熊野詣」と呼ばれた記録もある。


そんな熊野古道には熊野三山を中心に、高野山へ通じる小辺路、内陸部を通って和歌山へ向かう中辺路、海沿いを通って和歌山に向かう大辺地、伊勢に向かう伊勢路などがある。


今回はその中の中辺路を3時間ほど歩いた。発心門王子から熊野本宮大社に向かう最もポピュラーなコースである。


スタート地点の発心門王子。新緑の若葉が柔らかな雰囲気で迎え入れてくれた。「発心門」とは、「仏の道に帰依する心を発する入口」のことで、熊野本宮大社の神域はこの発心門が入口らしい。


きっと畿内から熊野詣でをした先祖たちは、発心門王子を見て、熊野に来たことを実感したのではないだろうか…そんな思いを馳せながら熊野古道を歩き始めた。


美しいシャクナゲの花を見ながら参拝者の方とお話したり、立派な石畳道に感動したりしながら、ゆったりと歩みを進めた。


熊野の森には、シダ植物を中心に多様な植物が生きていた。その一方、多くの杉が植えられていることも分かった。森から大きな生命力を感じつつも、おそらくは、シイやカシなどの照葉樹林が本来はもっと存在しただろうという考えが浮かんでくる。


シイやカシが自然発生的に混交している姿は、現在の姿より神性を感じさせるに違いない…と、若干複雑な心境を抱きながらも、熊野の森からエネルギーをいただいた。


道中、茶屋に寄ってお茶をいただいた。そこで働くお母さんが清々しく、快活な方だった。シャクナゲの前で立ち話をした方にも茶屋で再び行き会い、しばしの社交。おそらく、お二人とも70歳を超えるお年だと思われるが、その姿からエネルギーが溢れていた。


今回は半日ほどの熊野旅行であったが、そんな短い時間でも熊野の自然を感じ、歴史を感じ、人を感じる時間となった。時代は変わり、人も変わっていくが、その中でも日本の根幹にある自然や信仰、文化、そしてそれを受け継ぐ人はまだ残っていると思う。


熊野にも長野県同様、その源泉が枯れずに残っている。そういうものに触れることでエネルギーをもらい、自身の在り方が整っていくのを感じた。


今後もそうした源泉に足を運び、自分なりに日本とは何か学び、考えを深めていきたい。

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