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機動警察パトレイバー2 the Movie

【お勧め映画と考察】 東京支部 松島 豊樹

 「防衛費」議論から、国防のあり方や財源について世論の関心が高まっている感はありますが、相変わらず政治家・専門家の見当違いが巷を跋扈していますね。

 今回は警察官が主人公の現代劇で、国防サスペンス映画と言える 機動警察パトレイバー2 the Movie(1993年公開)、戦後日本の国防に関する国家・国民の欺瞞について紹介・考察します。


①/3【序章:PKO(国連平和維持活動)

◆物語

 冒頭、1999年の東南アジア某国にてPKO任務にあたる日本の陸上自衛隊レイバー(多足歩行型作業機械)小隊が現地のゲリラと交戦。 レイバー小隊は反撃を許可されず部下を死なせてゆく中、独断で発砲してこれを退けた小隊長「柘植 行人」(告げ行く人)のみ生き残ります。

 彼は3年後、この物語の犯罪「東京における戦時下の演出」の首謀者となります。


◆現実とのリンクと考察

 PKOとは国連の「紛争地域の平和維持」を目的とした活動で、様々な国の軍隊が派遣されています。 日本の派遣実績は2019年時点で1万人以上。

 当初は紛争当事者とならない範囲での介入でしたが、紛争地域の住民保護をせず撤退した事案が批判を浴びた事で、国連自体が紛争当事者となる事を前提としたより積極的な介入がなされるようになりました。 武器使用基準に従った最低限の武力行使のみ認められますが、装備品のミスマッチや指揮系統が国をまたがる派遣先での判断の遅れ・混乱が問題となっていました。


 忘れてはいけないのが、イラクのクウェート侵攻を発端とした1991年「湾岸戦争」で、日本は多国籍軍の軍事作戦に参加しない代わりに130億ドルの資金提供を行いますが、同盟国から「臆病者」「金も少ない・遅い」と誹りを受け、クウェート解放の感謝広告から日本が外されるといった事まで起きます。

 この外交的敗北を払拭すべく日本は安全保障政策の転換を迫られ、1992年にPKOに参加、国際社会の一員として「非戦闘地域への自衛隊派遣」となりますが、悲しいかな日本。 イラク派遣に関する国会答弁で当時の小泉首相が「どこが戦闘地域で、どこが非戦闘地域か、私に聞かれたって分かる訳がない」と語ったり、ペルシャ湾に向かう掃海艇を軍艦マーチで見送ったなどの報道が世論を騒がせていました。(後日判明ですがPKO部隊の日報隠しなんてのも複数)


 あまり知られていませんが、日本全国から集められた文民警察官も75名、丸腰で派遣されています。 その多くが海外経験も無い「普通のおまわりさん」。 当然、安全な地域へ派遣予定でしたが、派遣が遅いタイミングで決定した事で安全な派遣先が残っておらず、危険な地域にも派遣されました。

 停戦違反を繰り返すポル・ポト派の影響が強い地域では、警官の宿舎が自動小銃や砲弾で全焼。(警官は幸い不在) この映画公開の1993年には、カンボジアのタイ国境付近でオランダ海兵隊の軍用車両先頭に車列を組んでいた警官5名が正体不明の武装勢力に自動小銃やロケット砲で襲われ4名が重軽傷、1名が亡くなられています。

 「普通のおまわりさん」が日本のPKO隊員 最初の犠牲者となりました。 理不尽で痛ましい事です。 これらの報道で私も「この国は信用ならない」「自分も何かの拍子に殺される」と恐怖した事を憶えています。


②/3【横浜ベイブリッジ爆破事件】

◆物語

 2002年冬、横浜ベイブリッジに「違法駐車中の車に爆弾を仕掛けた」との通報があり県警の交通機動隊が確認に向かう途中、その車両が爆発、ベイブリッジが破壊されます。 テロとの見方が強まる中、海外ニュース会社の映像により航空自衛隊の戦闘機F-16Jがこの空域に存在していたと世界に報じられます。

 そんな折、本庁警備部 特殊車両二課の隊長「後藤」(主人公)を、防衛庁の陸幕調査部別室の「荒川」が訪ねます。 荒川の提示映像では、件の戦闘機は自衛隊が保有していないタイプのF-16であり、荒川より事件の背景が語られます。


 荒川「我々は1年程前からあるグループの内偵を進めていましてね。 国防族と言われる政治家や幕僚OB、それにアメリカの軍需産業。 米軍内の一部勢力。 まあそういった連中の寄り合い所帯です。 冷戦終結後、拡大の一途を辿るアジアの軍拡競争の流れの中で、一向に軍備の増強を図ろうとしない日本に対して、彼等は根強い危機感を持っていた。 そして、平和惚けの日本の政治状況を一挙に覆すべく、彼等は軍事的茶番劇を思いついた。 憶えてますかね? 26年前、日本の防空体制と国防意識を揺さぶったミグ25の亡命騒ぎ。 あれの再来ですよ。 低空で首都の玄関先に侵攻し、その真白なドアにロックオンのサインを刻んで帰ってくる。 そして作戦は見事に成功した。 ただ一つ、本物のミサイルが発射されたことを除けばね。」


 防衛庁は事態を把握しており幕僚たちは事実の公表を迫りますが、政府は公表を迷います。 第三者の犯行としても犯人は逃走中で状況証拠のみ、事故として公表しても収拾のつかないスキャンダルとなります。 「とりあえず真相の究明に全力を挙げつつ、事態の進展を見守る。」 現場を無視した日和見な判断が今後事態を悪化させていきます。

 後藤は荒川の依頼「ミサイル発射を仕組んだ犯人の確保」を手伝う事となります。


◆現実とのリンクと考察

 荒川の所属する「陸幕調査部別室」に対応している「陸上自衛隊幕僚監部 調査部 調査第二課 調査別室」は情報本部の前身で、主に通信傍受を利用した諜報活動を行う非公然組織です。 1983年の大韓航空機撃墜事件で証拠となるソ連軍用機と地上管制官の無線を傍受していたり、別件で国会答弁に出てきたりしています。


 「ミグ25亡命事件」 東西冷戦下の1976年、ソ連の最新鋭戦闘機MiG-25が演習空域に向かう途中にコースを外れます。 領空侵犯の恐れありとして空自の千歳基地よりF-4EJがスクランブル発進するも、地上レーダーサイトもF-4EJのレーダーも低空飛行の機体に対し索敵能力が低く悪天候も重なり、発見されないままのMiG-25は函館空港に強制着陸してしまいます。

 航空管制官が自衛隊に通報すると「警察に電話しろ」、警察に電話したら「自衛隊に連絡しろ」と言われ、着陸から20分後ようやく北海道警察が到着、函館空港周辺は封鎖されます。 警察は「領空侵犯は防衛に関わる事項だが、国内空港に着陸の場合は警察の管轄に移る」と主張し、駆けつけた陸自や情報収集に来た空自の隊員は締め出されました。 数日後、アメリカより「ソ連軍ゲリラ襲来」の報があり、陸自の部隊はただちに臨戦体勢に入るも、当時は国民の自衛隊への悪感情が今以上に強く、政府は世論に配慮して防衛出動を躊躇、止むなく制服組(自衛官)は独断での防衛出動を決意し準備を進めます。 幸いソ連は来ないのですが、上の判断が現実を踏まえていないと現場は(覚悟の上で)独自の対応を迫られる場合があるという事です。 ツライ・・・

 操縦者ベレンコ中尉の目的はアメリカ亡命であり、それを達成。

 機体はソ連からの即時返還要求に対して、当時最大野党である日本共産党の同調などありますが、米軍は外交慣例上認められている機体検査として機体を分解して百里基地へ移送、2か月後にはソ連に返却されます。

 事件後、早急にレーダー能力改善や早期警戒機E-2C導入が行われ、これにより最新鋭のMiG-25もすぐに時代遅れとなります。 ソ連も国境部の空軍基地パイロットの待遇改善や、敵味方識別コードの設定変更、次期新型戦闘機の開発など対応に追われています。


③/3【「東京における戦時下」の進行】

◆物語

 犯行グループによる空自バッジシステムへのハッキングや電波妨害による「幻の空爆」事件を経て、警察上層部はこの機に乗じて警察の権限強化を画策。 青森県警が三沢基地司令を基地ゲート前で連行した為に、三沢基地は抗議のため籠城に入ります。 更に警察は各地の自衛隊施設を警備名目で監視し、警察と自衛隊との緊張が高まります。

 事態の早急な収集を図りたい政府は、この混乱の責任を警察に押し付け、陸自の信頼がおける部隊に首都圏への治安出動を指示。 都内各地に小銃を抱えた歩兵や戦車が多数配置され、戦時下の様な状況での民間人の日常生活が始まります。 

 そこに犯行グループが軍事ヘリなどにより橋梁・通信インフラを破壊して電波妨害を展開、交通・通信面で首都圏は外部と遮断されてしまいます。

 事態を打開できない日本政府に対し、アメリカはついに軍事介入を決断、在日米軍や第七艦隊が日本再占領へ準備を進めます。 日本は戦後からやり直す事となるのでしょうか。


 本作は主人公たちのセリフが秀逸です。 2つ紹介します。

▽警察官の後藤と自衛官の荒川が語る、守るべき国家・国民

 荒川「かつての総力戦とその敗北、米軍の占領政策、ついこの間まで続いていた核抑止による冷戦とその代理戦争。 そして今も世界の大半で繰り返されている内戦、民族衝突、武力紛争。 そういった無数の戦争によって合成され支えられてきた、血塗れの経済的繁栄。 それが俺達の平和の中身だ。 戦争への恐怖に基づくなりふり構わぬ平和。 正当な代価を余所の国の戦争で支払い、その事から目を逸らし続ける不正義の平和。」

 後藤「そんなきな臭い平和でも、それを守るのが俺達の仕事さ。 不正義の平和だろうと、正義の戦争より余程ましだ。」

 荒川「だがあんたは知ってる筈だ。 正義の戦争と不正義の平和の差はそう明瞭なものじゃない。 平和という言葉が嘘吐き達の正義になってから、俺達は俺達の平和を信じることができずにいるんだ。 戦争が平和を生むように、平和もまた戦争を生む。 単に戦争でないというだけの消極的で空疎な平和は、いずれ実体としての戦争によって埋め合わされる。 そう思ったことはないか。 その成果だけはしっかりと受け取っておきながらモニターの向こうに戦争を押し込め、ここが戦線の単なる後方に過ぎないことを忘れる。 いや、忘れた振りをし続ける。 そんな欺瞞を続けていれば、いずれは大きな罰が下されると」

 後藤「罰? 誰が下すんだ。 神様か。」

 荒川「この街では誰もが神様みたいなもんさ。 いながらにしてその目で見、その手で触れることのできぬあらゆる現実を知る。 何一つしない神様だ。 神がやらなきゃ人がやる。 いずれ分かるさ。 俺達が奴に追い付けなければな。」


▽後藤が警察幹部に対して

 後藤「戦線から遠退くと楽観主義が現実に取って代る。 そして最高意志決定の場では、現実なるものはしばしば存在しない。 戦争に負けている時は特にそうだ。」

 幹部「何の話だ。少なくともまだ戦争など始まってはおらん。」

 後藤「始まってますよとっくに! 気付くのが遅過ぎた。 柘植がこの国へ帰って来る前、いやその遥か以前から戦争は始まっていたんだ。」


◆現実とのリンクと考察

 30年前の映画ですが、間をあけて何度か観ています。 その間、この国のガバナンスや守られる側の国民の見識はどの程度に育まれたでしょうか。 軍事だけでなく、経済・食料・エネルギー・教育などの政策の体たらく、進行中の日本の凋落も決定的敗戦に向けたプロセスではないか。 客観的な実態を踏まえた自律的な改善は行われるのでしょうか。

 もし本作の観賞の際は、劇場一作目を先にご覧いただく事をお勧めします。(人間ドラマがより楽しめる為)

 落語家 立川談志の言葉に「未来とは、修正できると思っている過去」というモノがあります。 「上手い事言うね」とは思いますが未来は良くなると信じたいですし、「何一つしない神様」で終わるのはご免ですよね。

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