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教師は何のプロなのか?心を育てる人間教育は、どんなスキルに支えられているかを明確化せよ!

  • k.inaweofgaulle
  • 2023年7月20日
  • 読了時間: 6分

【コラム】 東京支部 NPO法人 ヒトの教育の会 理事 冨永晃輝


○ 子供をめぐる苛烈な現状


2022年は、日本の子どもたちにとって最悪の1年となった。子供の自死は512人と過去最多になり、不登校も24万4000人と過去最多になった。過去最少の出生数を記録し続けている中、自死と不登校の数が増え続けているのは、由々しき問題である。






クライテリオンの読者の中には、これも緊縮財政の帰結であるとか戦後教育の帰結であると考える方は多いだろう。実際に、日本の公教育に対する国家投資(対GDP比)はOECDの最低水準がずっと続いている。私は、その意見に大いに賛同した上で、同等かそれ以上に着手すべき教育界の課題について述べたい。


○ 心を育てるとは何か?を示せていない教育界


教育界の最大の課題、それは教育界に「どのように心が育つのか?」に対する仮説がないことであると私は考えている。文科省の資料や中央教育審議会の資料を読むと、心を育てるとはどのようなことかに対する理解の記述がないのである。


⽂部科学省は、2017年の「新しい学習指導要領の考え⽅ -中央教育審議会における議論から改訂そして実施へ」の中で、以下のように時代認識を展開している。

近年顕著になっているのは、知識・情報・技術をめぐる変化の速さが加速度的となり、情報化やグローバル化といった社会的変化が人間の予測を超えて進展するようになってきていることである

さらにそのような時代における教育によって育成すべき⼈材については、以下のように記

している。

新たな価値を生み出していくために必要な力を身につけ、子どもたち一人ひとりが、予測できない変化に受け身で対処するのではなく、主体的に向き合った関わり合い、その過程を通して、自らの可能性を発揮し、よりよい社会と幸福な人生のつくりとなっていけるようにすることが重要である。


このように予測困難な時代に未来の創り⼿となる⼈材の育成が必要であるという認識を

⽂部科学省は有している。この現代の教育に対する問題意識は、不確実性が高まっている我が国の危機的な状況を鑑みても妥当と考えられる。こういう時代認識のもとに、教育のあり⽅を模索する我が国の⽂部科学省の在り⽅に頼もしさを感じる読者も少なくないだろう。


しかし、ではこのような人材の育成のためにどんな教育をすべきか?という話になると、またその背後には、どのような⼈間の⼼の発達⽣理に対する仮説があるのだろうか?

先に⾒た「新しい学習指導要領の考え⽅ -中央教育審議会における議論から改訂そして実

施へ」には、「どのように学ぶか−主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニングの視点からの授業改善)−」、「カリキュラム・マネジメント−教育課程を軸とした学校教育の改善・充実−」「何を学ぶか−具体的な教育内容の改善・充実−」と題してそれぞれこれから⽬指すべき具体的な教育のあり⽅について記載されている。


 そこにまとめられている内容は⼤きく⼆つで、⼀つは「主体的、対話的、深い学びを⾏うアクティブラーニングの実践」であり、もう⼀つは「個⼈の能⼒、興味関⼼、キャリア形成に応じた個別最適な学びとその実現のためのICT の活⽤」である。その他に「各教科(・科⽬)等の特質に応じた体験活動を重視して、家庭や地域社会と連携しつつ体系的・継続的に実施する」ことや、「児童(⽣徒)が学習の⾒通しを⽴てたり、学習したことを振り返ったりする活動を、計画的に取り⼊れる」ことを重視していることを筆者は感じた。私は、所属するNPO法⼈内で関⻄と九州の50名ほど教師と⼈間教育の研究会を⾏なっているが、研究会の中で、これらの教育の在り⽅を⽂部科学省、中央教育審議会が推していることが公教育現場において概ね共有されていることを確認した。


 筆者が着⽬したいのは、これらの教育の在り⽅の⽬標についての記載の中に、「⼈間の⼼の発達が何によって起こるのかの仮説」についての⾔及が認められないことである。例えば、「主体的」という学びの態度は、それ⾃体が⼼の発達の結果として可能となる態度である。主体的な学びが、「主体的な学びを推奨すれば実現できる」というのは、トートロジーに陥っていると⾔わざるを得ない。「主体的な学びが実現するために、児童・⽣徒はどのような⼼理的な能⼒を獲得する必要があるのか?」の仮説がなければ、主体的になりましょうと標語を語ることはできても、実際に主体的な学びの在り⽅を実践するには⾄るまい。つまり、⽬的達成のための戦略がないのである。


 次に、「個⼈の能⼒、興味関⼼、キャリア形成に応じた個別最適な学びとその実現のためのICTの活⽤」についてである。この教育の在り⽅については、「予測困難な時代に未来の創り⼿となる⼈材の育成」にどうして繋がるのかについての記載が認められない。筆者は、予測困難な時代とは、個⼈の興味関⼼の範囲外の様々な状況が個⼈に降りかかる可能性がある時代であるはずだから、むしろ興味関⼼の幅を広げるような教育の⽅が必要ではないかと考える。興味関⼼のある分野の深い学びを通して、ある分野についてまとまった理解と技能を得る経験を掴むことは重要なことであると考える。しかし、不確実性の⾼い時代にスペシャリストを育てることを⽬標にしていては、その社会の脆弱性は⾼まるのではないかと筆者は考える。不確実性の⾼い時代においては、状況の変化に応じて各分野の連携のあり⽅を柔軟に変化させることが重要なはずである。そのために必要なことは、様々な分野間の関係を把握して、その関係性によって実社会で⼈間が⽣きていくための必要性がどのように満たされていることを理解していることである。それによって、状況の変化に応じて、何をどのように変化させるかの⾒通しが⽴つはずなのだ。そうであるならば、育成を⽬指すのはむしろジェネラリストではないかと考えられる。


 このように、心の発達の仮説がないことで、「教育によって目指す人間像を、そのために行う教育によって実現できるとは到底信じ難い状態」に陥っている。


○ 現代は、はじめて心がどのように育つのかが明らかになった時代


 本ブログの中で、繰り返し取り上げているが「心は、脳が生き残るために体内外の情報を処理してどのように対応すべきかを予測する過程で動いている」という、自由エネルギー理論・予測誤差最小化理論、「情動は生まれつき脳に埋め込まれているのではなく、概念として学習し、人生の中で活用することで体得するものである」と説く構成主義的情動理論は、これまでにない明確な心の動き方、変化の仕方を示している。

このような業績は、まさに人間教育をどのように行うべきかの国家レベルの指針を示す力を有していると考えられるが、実際に行政機関内部でこのような創造的な取り組みを実行するのは難しいであろう。


 そこで、私は所属するNPOにおいて、人間教育研究会を立ち上げた。

心の生理に基づいた「教育アセスメント」を多事例に対して行い、データベースにまとめます。子供たちの将来を思い、情熱を傾けた先生方がどのように考え、行動したのかをデータベース化し、生物学の知見を用いて分析することで、心を理解した教育を実践する際に必要な着眼点を「教育バンドル(束)」として抽出する。これらの「教育バンドル」を遂行することが、教育者が子供たちの生きづらさや苦しみに心を砕き、一人一人の将来のために何かできることはないかを考える教育者の真心の実践になることにつながると実感している。https://yedds.hp.peraichi.com

 教育者は、目の前の子供の心の動きを理解し、何をしてあげたいのかを考えるというプロセスを有することが重要と考える。その実現の手法ができあがれば、多くの子どもの心が救われ、次代を担う人材は生まれるであろうと信じるのである。

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