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戦後80年目に観た『火垂るの墓』の感想

  • mapi10170907
  • 10月27日
  • 読了時間: 3分

【コラム】 岐阜支部 林 文寿(NPO職員)


 今年の8月15日、終戦記念日に民放のテレビでは映画『火垂るの墓』が放映されていた。 途中からになってしまったが観てみた感想を残したいと思う。


 この作品については、小学生時代に悲惨すぎる印象しかなく避けていた。菓子売り場でサクマドロップスを目にすると悲しくなっていた。

 そのくらいに戦争が引き起こす悲劇を子供心に刻み込んだ作品だった。それに関しては今回も変わらず残った。現在のウクライナやガザの地でも同じような境遇の兄弟がいることを考えると胸が痛くなる。戦争という現実は弱者ほど涙を流す。平和のありがたみを感じ、ひとりの親として我が子にはそんな苦しみを味わわせたくはない。


 46歳にして改めてこの作品を観て感じたことを付け加えてみる。幼い妹は栄養失調で死んでいった。しかしそれが、虚しく無念に死んでいったのか。もしかしたら彼女は幸福だったのかもしれないとも想像した。

 それは、彼女の兄が死の最後までそばにいてくれたからである。彼女のために最後は狂いながらも懸命に尽くした兄がいたことだ。(もしも兄がもう少し賢ければ、彼女は命を落とすことはなかったかもしれないが、それは仕方がないことなのだろう)

 自分のために本気で涙を流してくれる人がいて、その手を感じながら死んでいくこと。それが短い命であったとしても、彼女の死に暖かなものはなかったのだろうか。彼女は不幸で恨みだけを残し虚しく死んだのか。長生きをしなければ絶対に幸せとは呼んではいけないのか。


 子供の虐待ニュースを耳にしない日はない現代日本。しつけと称して過剰な暴力を行う親。子供に食事を与えずに衰弱させる親。育児放棄で能面のような子供にしてしまう親。誰もそばにいてくれず、自分の笑顔に気づいてもらえず、優しく手を差し出してもらえず、孤独に死んでいく子供がいるこの社会。

 セツコは戦争の犠牲になって死んでいった。しかし戦争のない、いわゆる平和なこの社会では、親にその素直な笑顔を奪われ続ける子供。愛を与えるべき役割のはずの親に虐殺される子供がいる。(戦前にそういった境遇の子供がいなかったとは言えないが) 笑顔を奪われた子供よりも、セツコの方が豊かな人生だったのかもしれないと私は想像を禁じ得ない。


 完全に底の抜けたこの社会では、幸せを定義することが愚問なのかもしれない。 この虚無の時代に「自分のために本気で涙を流してくれる人がいて、その人の手に触れながら、温もりを感じながら死んでいくこと」に対するリアリティを感じることが難しくなっているのだろうか。 それは本当に生きているのだろうか。もしかしたら死んでいるのだろうか。


 平和で豊かなこの社会。平和を守った80年。誇るべき80年。


 空襲で母親が殺されて、父親は戦線から戻らず、そして兄と妹は社会の陰に寂しく死ぬ。そんな悲劇はこの平和な80年の日本社会ではなかった。でも狂った悲劇が起こり続ける、平和な日本社会になった。

 なぜこんな平和な国になったのだろうか。その根っこを理解しない限り、虐待のニュースは消えないだろうし、少子化が止まることもないだろう。絶望しかない場所に子供たちは生まれたいと思うだろうか。その想像力が私たちに残っているのかどうか。


 戦争は悲劇に違いない。しかし腐った平和も悲劇なのだ。セツコの死に暖かさを見た、戦後80年目の『火垂るの墓』だった。

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