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国民主権と言うこと

  • 4月5日
  • 読了時間: 4分

【コラム】 東京支部 深沢 功


2月11日は建国記念日でした。参政党の党員の方が、友人の方に「参政党は国家主権だからダメ」と言われたとか。

たしかに、街頭でビラ配りしていたら「参政党は憲法想案に国民主権を入れないから問題だ」と言われたことがありました。参政党の主張に賛同できない方は、このことを問題視する方が多い様に思います。


「国民主権」とは「王権」に対して、国民が主権者であると言う事で、18世紀後半のフランス革命にその起源があります。民衆を武力で弾圧しようとした王様側に対して民衆が武装蜂起して、フランスの王と王妃を処刑しました。この時からフランスは国民を主権とする共和国に生まれ変わりました。


問題はその後です。新生フランス共和国には、さまざまな問題(周辺国の軍事介入、亡命貴族らによる復権運動、革命路線に反発し王政回帰を訴える民衆らの抗議活動、凶作や経済危機など)が発生し、さらには革命政府が反対する人民(一方のフランス国民)を弾圧し大混乱に陥りました。

そのため国内外の危機に対処できる強力なリーダーシップを求める声が高まり、ナポレオンが帝位について、なんとか治りました。国民主権を求めたのに、最終的には王権にもどるという皮肉な結果となったのです。


ここで、何を言いたいかと言うと、今の私たちにとって、国民主権は理想のように思われますが、一口に国民といっても、一人一人の考え方は一つではなく百人百様ですから、これを一つにまとめるのは大変なことになります。容易に想像がつきますね。


歴史家アーノルド・J・トインビーは民主主義が成立するためには『高いコスト(精神的・経済的・社会的安定)を必要とし、維持の難しさがある。民主主義が健全に機能するためには、国民の教育水準、責任感、そして経済的余裕が必要であり、文明が重大な挑戦(外敵や内部の崩壊)に直面した際、決断の遅い民主主義は維持が難しく、しばしば独裁や強力な権威主義へと移行しやすいと警告しました。民主主義が存続できるのは、文明が比較的安定し、その「贅沢」を享受できる余裕がある時期に限られるというのです。それらが備わっていない未成熟な社会に無理に導入してもより良く機能しないことを指摘しました。(グーグルAI) 』


民主主義という言葉も、「民」が「主(あるじ)」ということで、近代国家は、このことを理想に、運営がなされている、あるいは、それを目指している、筈ですが、「民」が「主」ということは、「王」が「従」ということでもあります。

君主がいる国家「君主国」には、王様と人民、この相反する勢力が常に存在することになります。しかし、そこには一方を肯定すれば、もう一方が否定される。このような二項対立うまれやすく、常に争いが内包されることになります。ここから安定や平和は望みにくいということで、近代国家は、君主を廃して、共和国、民主国という体制をとるようになったのだと思います。


こうした考え方に対し、我が国には「君民一体」という思想があります。「君」「民」も一つと考えることです。

今より2686年前の神武天皇の「建国の詔(みことのり)八紘為宇(はっこういう)」を読むと、そこには、人民は「元元」と記され「おほみたから」と訓読みされています。『(漢文)以鎭元元。(書き下し文)もって、おほみたからを、しづむべし』。


王が民を宝と思う、こんな考え方が、フランス革命(1789年)に先立つこと、1800年以上も前に、すでに存在していたのです。王が民を「元の元」とし、国家の礎(いしずえ)と考え、民は王を「神の使いと崇(あがめ)、慕(したう)、この考え方が「君民一体」です。ここに、二項の対立はありません。二つで一つ、一対(いっつい)なのです。


それが端的に現れているのが京都御所です。京都御所には歴代の天皇が代を変えながら、延暦13年(794)から明治2年(1869)まで1075年間、およそ千年の時を越えてお住まいになられました。その御所の塀は誰でも乗り越えて入れるくらい低いのです。(写真1,2)


写真1


写真2


紫宸殿を囲む、承明門の築地塀は、写真3のように5.5メートルと高いですが、写真4の紫宸殿の大きさに合わせるためには、この高さが必要となったのでしょう。しかし、この高さとて、梯子をかければ簡単に侵入できるので防壁としての機能はありません。狭間(さま)といわれる、塀などに開ける銃眼、砲門の防御用の穴や窓のがなく、まったく無防備なのです。


写真3


写真4


天皇のお住まいに防御設備は必要なかったのです。天皇も攻められることを考えていなかったし、武士も庶民も攻めることなど考えていませんでした。この無防備さこそ、我が国の天皇の存在の実相をよく表わしていると思います。


ここに二項の対立は存在しません。君と民とは一体。このことこそが、我が国の国柄なのです。国民主権という考え方の一段上をゆく、平和の精神であると思います。我が国民が国民主権という名の西洋の価値基準の迷妄から、すみやかに解き放たれることを願ってやみません。

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