公務員のコンプライアンス意識を支えるもの -『正統』に関する考察 -
- mapi10170907
- 2023年7月4日
- 読了時間: 7分
【コラム】 東京支部 市井のキムラ
30歳を過ぎて新卒で正社員として入社した会社を退職し、次に従事した仕事は非正規公務員(臨時的任用職員)だった。現在はこの非正規公務員も退職しているが、人生で初めての転職と、公務員という職を経験した中で、公務員のコンプライアンス意識の基盤と「正統」の関係について考えたことがあった。暇つぶしに、当時考えたことを振り返ってみたいと思う。ただし、公務員としてのルールや法律に関して体系的な研修を受けたわけではないので、私の解釈や表現は雑なところがあると思われる。もしも気になる点があれば指摘していただければと思う。また、あくまで私が経験した組織に限った話であり、すべての民間企業および公務員に当てはまるものではないことをご理解いただければと思う。
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その部署では、月に1度コンプライアンス研修が開催されていた。講師役(発表者)は持ち回りで、コンプライアンス意識向上につながるテーマを各自選んで発表するというものだった。当初、非正規の私に講師役は回ってこないだろうと高をくくっていたが、回が進むにつれ、どうやら年度末の3月、当該年度最後の研修の発表者になることが判明した。
テーマについては実は数か月前からなんとなく温めていた。私はコンプライアンス行動規範集を眺めながら、なにか物足りないものを感じていた。上辺のことは多く語られているが、底が抜けているような気がしていた。そこで、その頃読んでいたチェスタートンの『正統とは何か』にかこつけて、「公務員のコンプライアンス意識を支えるものは何か」を論じたいと思っていた。他の職員が、公用車の事故防止や情報漏洩リスク、引継ぎの重要性などをテーマにしていたため、非正規の私なんぞが多数の正規職員も前にして発表する内容としては、やや攻めている気もしたが、むしろ「私は非正規だし、転職して1年目でなんにも知らないし、仕事における長期的な人間関係などに気を遣うこともあるまい」と判断し、個人的な企てを実行に移したのだった。(実際に発表が終わるまで安堵できなかったのは言うまでもない)
民間企業から公務員の職場に来た私は、まず彼らの自信に満ちた仕事ぶりに驚いた。これは、傲慢な態度という意味ではない。私は民間企業の間接部門だったため、ユーザーと直接交渉を行うことはほとんど無かったが、自社の営業員が「自社を長期的に存続させるためのやり方」ではなく「目の前のお客様第一」で仕事をしていることはなんとなく知っていた。時にそのような態度が必要であることは理解しているつもりだが、あまりにも方針がぶれすぎでは?と思うことも多く、私自身も含め営業員自身もあまり仕事に自信を持っていないように見えた。
ところが公務員は、法律や条令といった根拠を元に、的確に相手に説明をしていた。時に理不尽なクレームについても、明確な根拠を示し、毅然とした態度で相手を説得していた。前の会社であれば、お客さんに謝って相手におもねるところだが、公務員はそれをしない(公正の観点からできないといったほうが正確かもしれない)。
長期的なビジョンよりも短期的な成果が重視されることも多い民間企業と、滅多に改正されない法令に基づいた職務を全うする公務員の仕事の質の違いなのだろう。公務員の仕事には必ず根拠(法律、条令、その他公的文書による基準等)がある。言い方を変えると、常識的に考えれば想像できる当たり前のことであっても、根拠が無ければ求められない。そのため彼らは業務を遂行するにあたってよく根拠法令や過去の事例を振り返っていた。
我が国の法体系は日本国憲法を頂点としたピラミッド構造になっており、その下に様々な法律、政令、省令、条令がある。法令ではないが、その他に運用通知、要領、要綱などもある。拘束力の高い憲法、法律、条令ついては、行政機関が決めているわけではなく、我々の代表である議員が議会で議決したもの(=我々が決めたもの)であるから正当性があるものとされる。公務員は法令等に則った事務作業をしているに過ぎないが、このような型(正統)がある限り公務員は自信を持って仕事ができるし、この型を失った仕事はコンプライアンス意識を欠いた仕事と言えるのではないか、と考えを整理していた(※1)。
続いて「臨機応変」について考えてみた。
憲法や法律などピラミッド構造の上位にある法ほど権力はあるが、そこでは主旨やおおまかな方針やルールが決められているだけで、「具体的な内容については政令・省令・条例に従ってくださいね」という仕組みになっている(※2)。そのような体系の中で仕事をしていると、時にイレギュラーなことが起こり、臨機応変な対応が求められることがある。その際の対応が臨機応変なのか場当たり的な対応なのかは、こういう区別ができるのではないかと考えた。私の頭の中では以下のような図でイメージしている。●は具体的な事案、矢印は具体的な事案に対する組織の目線(距離の取り方)を示している。

例えば、臨機応変な対応のイメージは左の図だ。公務員の仕事における臨機応変な対応では、法令等を平衡棒のような軸とし、そこからどの程度ずれているのかを把握した上で、状況に応じた行為を行う。勘のいい方はお気づきかもしれないが、これは西部邁が、綱渡りをする者がバランスを取るために持っている平衡棒を、常識や慣習などに例えていたことにインスパイアされた考えである。
一方で、場当たり的な場合のイメージは右の図だ。状況を取り急ぎ解消するための処置となっており、その時々の最適と思われる対応をしたつもりになっているが、基準とのずれを見失っている状態である。そしていつのまにかその場当たり的な対応が継承され、なぜそのような対応になったのか誰もわからない、ということがよくある。これは組織で働いたことのある人なら共感できる話ではないだろうか。厄介なのは、場当たり的な対応をし続けたとしても、当事者の視点では一筆書きの道を来ているので“一貫性があるように見えてしまう”ということだ。
以上のことから、公務員の仕事においては、左の図のような態度で仕事をしていきたいものですね、という主旨のことをコンプライアンス研修で話した。上長からの評価は直接的には聞いていないが、私が職場の雰囲気に身を委ねてこのような趣旨の発表をしようと思えたのは、当時の上長をはじめとした所属部署の方々の日々の仕事ぶりのお陰である。発表後、同じく非正規職員で年下の方に「発表、面白かったです」と言われたことがとても印象に残っている。たまには異端な企てをしてみるものだなと思った経験である。
※1
この正統という型は静態的なものではなく、動態的な営みである。静態的に捉えてしまうと容易に「これさえやっていればいいんだ」という態度に転換してしまう。
※2
我が国では国と地方自治体が対等な関係であり、地方自治体は独自の条例を作ることができるが、この「地域ごとの基準のバラバラさ」はよく批判される。確かに、統一的な基準があった方が分かりやすいかもしれないが、それさえ行えば万事解決かというとそうではない。
私自身も昔は、「全国で一律にすればいいのに」と簡単に思っていたが、地方の実態がばらばらで統一するのすら困難な場合がある。また、あたかも自分たちの基準がそのまま全国基準になるかのような意識で全国一律の基準を主張するが、そんなことはまずないのである(なお、そうなるように声を上げ仲間を募り政治活動をすることは妨げない)。全国一律の基準を作るためには、民主的な手続きを踏む必要があるが、それには相当な時間がかかるし、その結果は最大公約数的なものになることも珍しくない。一方、地方自治体の条例ならば、全国統一ではないが、柔軟に対応できる可能性もある。
例えば、漬物製造は、多くの自治体において条例に基づく届出を行えば行えるものだったり、あるいはそのような届出も不要だったりしたが、平成30年食品衛生法の改正によって、漬物製造業が新たな許可業種となり、構造基準を満たした施設での製造が求められるようになった。これにより、設備投資が必要となる漬物製造業者も多く、ニュースで話題になっていた。
いぶりがっこ生産農家3割「撤退」も 法改正で伝統的漬物が危機:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASQCH61B0QCGUTIL030.html
秋田名産「いぶりがっこ」ピンチ、農家4割「続けられない」…作業場改修に100万円 : 読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/economy/20220115-OYT1T50144/
許可業種になった背景としては、不適切な衛生管理で製造された「浅漬け」による死亡事故が相次いだことが挙げられる。従来からある保存性の高い漬物は、浅漬けと比べれば食中毒のリスクはかなり低いが、新設された漬物製造業は、全ての漬物製造業者が対象であることからこのようなニュースになったものである。ただし改正法においても、都道府県等が地域の実情に応じて条例で基準を定めることは可能である。今般の食品衛生法改正は、自治体によってばらばらだった施設基準を、全国で平準化する目的もあったことから、ある意味皆様のご期待に応えようとしたものだが、やはり、地域の特性は出てくるものであり、平準化の難しさを実感した事例である。利害関係を調整しながら地道にやっていくしかないのである。
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