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先生の後ろ姿

【コラム】 関西支部 小町



「空も霞の夕照りに....名残惜しけれ....帰る雁がね....」

稽古場に三味線の音と唄が流れます。

先生は、顔の前の空気を少し撫で、それから指先をすうっと前に伸ばしました。先生の指の先には、遠く広がる夕やけ空と山の影、山へ帰る雁の群れが現れます。


高校生の頃から、毎週通っている日本舞踊のお稽古で感じていることを、いくつか書いてみようと思います。


わたしが通っている日本舞踊の稽古場では、先生とわたしの二人きりでお稽古をつけてもらいます。先生が前で踊り、斜め後ろにいるわたしは見様見真似でその踊りを覚えます。

前で踊る先生の背筋はすんと伸び、仕草はひとつひとつ濃やかで、そこにほんのりとした艶が漂います。後ろで必死なわたしですが、いつもその美しさに見惚れてしまいます。


なかでも小さな仕草や微妙な動きにひそむ美しさに、いつも感動します。

針仕事をしたり、墨をすって手紙を書いたり、鏡を覗いて鬢を整えたり、、、とにかく踊りの振りには、日常的なものが多くあります。先生の踊りを見ていると、わたしは普段、思っているよりも荒っぽい仕草をしていることに気が付きます。踊りは舞台の上で表現する芸術の一つなので、仕草ひとつを丁寧に行うことは当たり前なのかもしれませんが、そこにある時間の流れやまったりした空気の動きは、舞台を降りても表現できる、日常でも生きる美しさなのではないかと思います。


日本舞踊には「くどき」という、いわゆる、魅せ場があります。魅せ場と聞くと、一番盛り上がるところ、鳴り物が調子良く鳴っているところを想像されるかもしれません。

が、実はくどきが演目の中で最もゆっくりしているところで、派手な動きはほとんどないのです。伴奏も動きもゆっくりしていて、繊細な表現が際立ちます。拍子にのってリズムよく踊るのでなく、独特の間合いで柔らかく舞うところが「くどき」であるということが、どこか日本らしくてわたしは好きです。「くどき」の舞いの、掴めそうで掴めないところに不思議な魅力を感じます。


その様な、小さな仕草ひとつひとつを丁寧にすることで、日々の暮らしはより濃やかで美しいものになるのだと思います。また、踊りのくどきが決して派手ではないように、人生の魅せ場は派手な場面に訪れるとは限らないのだと思います。当たり前の日常や、そこにある仕草にこそ、その人が持つ「美しさ」が現れる。人々の目を惹くための派手な装いがあふれる現代の表現と比べて、古典が伝えてくれる表現は何と慎ましいことでしょうか。

仕草ひとつが美しくなることで、そこにいる人に自然と伝わるものがあると思います。


先生の「美しい姿」はたくさんの言葉も、派手な粉飾も必要とする事なく、わたしに大切なことを伝えてくれます。

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