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信州支部便り 9月版

【コラム】 信州支部 前田 一樹  ※信州支部メルマガ配信より転載

 信州支部 お問合せ:shinshu@the-criterion.jp


▼9月1日配信 「無際限の自由」によって人生を無駄にしないためにー「宿命=必然性」について考える

自由には限界があるばかりでなく、その限界がなければ、私たちには自分が自由であると感じることさえできないのです。この限界をとりはじしてしまうと、自由は自由ではなくなり、苦痛となります。無際限な自由は、じつは自由そのものにとって、邪魔者とさえなるのです。

(福田恒存『私の幸福論』「自由について」)


最近、「必然性」について考えることがよくあります。というのも、日々の仕事以外にも、趣味や言論、またその関連の付き合いなど雑多なことに手を出し、つくづく「時間を浪費している」と感じることが何件か重なったからです。


さらに、自分が疲弊するだけでなく、他者を巻き込み関係者した方を不快にさせてしまうこともあったため、ますます反省するに及んだ次第です。


このようなことが続いたことで、自分がやるべきことの「必然性」というか、生き方の筋おける「文脈」を冷静に考え、一つひとつことを実行することの大切さをいやというほど痛感しています。


「自分にとっての必然性を見極める」ことは、当たり前のことのように思いますが、公私にわたり多様に「選択肢」が広がった現代では、「自由」が拡大したことで、真にやるべき「必然性」を見極めることは困難なことに思えます。


「必然性」について考えると、真っ先に思い浮かぶのが、福田恒存の「自由と宿命」についての考えです。そこで、引用したのが冒頭の福田の言葉です。


この「無際限の自由」というのは、まさに現代の「インターネット社会」が象徴するように、素早く手軽に情報を得たり、物を購入したり、SNSなどで拡大した人付き合いができたりといった状態だといえます。しかし、それにどっぷり依存し続け、そこで時間を浪費することは、生き生きとした「自由」を失ったしまうことになります。


事実、主要な「ネット・ビジネス」は、ほぼ無料で様々な利便性の高いツールやエンタメを提供することを通じて、


【利用者(ユーザー)の「注意」を獲得し、それを、欲しがっている側(企業)に売る】


「アテンション・エコノミー」というモデルによって成り立っています。よって、常に私たちの「注意」を獲得するために、あの手この手の利便性の高いツールやコンテンツがふんだんに用意されることになる訳です。


また、ネットに限らず、一般的に自分の「自由」を優先し過ぎると、勢い様々なことに手を出すこととなり、それに多くの時間やエネルギーの費やすことになります。


この過剰になりがちな「自由」を枠づける、「宿命」について真剣に考え、それが積極的に求められることになります。「宿命」は、家族、仕事、生活上の必要など既に与えられているものであり、また「宿命」は「必然性」と言い換えてもよいものだとも考えられます。


それらを仔細に論じることはできませんが、「無際限の自由」を枠づける「宿命=必然性」を見極める「目」を持つことが、「自由と宿命=必然性」の平衡のなかで、「無際限の自由」に流れることなく、自分が担うべき責任を果たしながら生きていく要になるはずです。


そんなことを考えている中、最近注目しておりご紹介したいのが、近江聖人と呼ばれた江戸時代初期の思想家「中江藤樹(1608~1648)」の言葉です。


藤樹は、「学問」について、こんな言葉を残しています。


「学問は『明徳』を明らかにすることを主意真髄とする。明徳は、われわれ人の形をしているものの根本であり、主人である。この主人が暗ければ、あたかも主君がばんやり者で家来が無秩序であるようなもので、その人の思うこと行うこと、みな天理に背き、もっぱら明利の欲が深く、親をも親とせず、君をも君とせず、ただひたすらに自分に利があり人には損害をあたえことに知恵を働かし工夫をし、お互いに争ったり奪い合ったり、云々」。

(中江藤樹『翁問答』「学問の本意」)


ここで「明徳」と言われているものこそ、先の人生における「自由と宿命=必然性」に平衡をもたらす「目」と捉えられます。


藤樹の学問は奥が深く一概に語ることはできませんが、それが「学問の真髄」なのだとしたら、それを忘れることなく、自分の力の及ぶ範囲で藤樹の言っている意味での「学問」に励み、己の「必然性」を見極め、それを生きたいと思っています。


「自由と宿命」とその見極めの問題は、普遍的なテーマですので、誰にとっても思うところがあるはずです。皆様のおかれましてもなにがしか考える材料になっていれば幸いです。



▼9月9日配信 「個人の生き方」と「共同体の行く末」を繋ぐ学問・思想

日本の「政治、経済、社会、文化」にわたる総合的な凋落に不安を持ち、緊縮財政による長期不況、国際関係における劣勢、伝統文化の衰退など深刻な問題が山積の状況を知るにつけ、たびたび感じるのが、


【「学者」でも「官僚」でも「政治家」でもない一般人が、このような公共(パブリック)な問題について思い煩う必要があるのか。庶民がどうしようない問題について詳しく知ってもどうしようもないのではないか?】


という疑いです。もちろんそれは「必要」というわけではありません。しかし、「日本」という共同体に生まれ育った以上、属する「共同体の行く末」について関心を持つことは当然であると言えます。


そういった「現象的な問題」の詳細について知り、疑問を持ったり意見を表明したりすることの前に、意図せず生まれ、意図せず死んでいく「本来的に不安」を抱える存在である人間には、


【自己の生き方について対自的に考えるための「思想」が必要なのだ】


と考え続けてきました。どんな職業、年齢、立場、国籍の違いを越えて、存在的な不安を感じ取ってしまう人間は、そのような「不安な生」に対策を立てねばならず、その意味で「思想」を持ってしか生きられないということです。


そして、「ただ生きる」のではなく、当人にとっての「悲しみが少なく、喜びが大きい方へ」と向かおうとするのは、人間が本来持っている傾向であり、そのための「羅針盤」である考えの基準のことを「思想」と考えることができます。


同時に「喜ばしさ」の方に向かってくため、状況に応じて「思想」を進化改善する営みが求められます。


そのように「生き方」の次元で「思想」捉え、また「共同体」が「個人」を育み、「個人」が「共同体」に影響を与えるという「循環的関係」のなかに、共同体の現況として「政治、経済、社会、文化」に関する知識を位置づけることができれば、「学者、政治家、官僚」でなくても、公共(パブリック)の問題に関心を持つことの意義が見いだされるように思います。


以上はこれまで漠然と考えていたことですが、これまで同様の考えを表現した文章に出会っていませんでした。ところが、前回のメルマガでご紹介した、中江藤樹の『翁問答』にそれに触れる内容がありましたので、それをご紹介をしたいいたします。


「そもそも学問は、心の汚れを清め身の行いを善くすることを本来の実態とする。文字のなかった大昔には、いうまでもなく読むべき書物もないから、ただ聖人の言行を手本にして学問をしたのである。世も末になった学問の本実を失うことを恐れて、書物に記して学問の鏡と定めてから今日まで、書物を読むことを学問の書門とするのである。」(中公バックス 日本の名著11『翁問答』、96-97)


私が「思想」という言葉を当てたところを、藤樹は「学問」という言葉を当てていると考えると、「思想=学問」の目的は「心の汚れを清め行いを善くすること」だと定義しています。さらに、書物を読むことが「学問」だと考えられているが、それは「モデルとなる言行(生き方)」が不明瞭になった後、学問を代替するものであると大胆に言っています。


「その心が清らかで行いを正しくする思案工夫のある人は、書物も読まず一文字も解らなくても学問する人なのである。その工夫がなければ、四書五経を昼夜手から離さずに読んでいても学問する人ではない」(同然、97)


こう考えると、「学問」は必ずしも多読を要しないことになります。学問の「要点」を明確にするための極端な仮説とも考えられますが「学問=思想」は、まさに「良く生きること」そのものであることが見出されます。


しかし、これはで「学問」がごく個人的な営みになり、展開力がなくなっていまいます。藤樹はそれについて、「学問と政治の一致」に言及するなかで、


すべて世間のことで学問にはずれたものは一つもない、(…)学問は明徳を明らかにするのを全体の根本とする。明徳は、天地の有形のもの以外にも通じ、上もなく外もなく、神明にして測ることのできないものであり、天下国家を治める政治は明徳の神通明用の要領であるから、いわば政治は明徳を明らかにする学問であり、学問は天下国家を治める政治でもある。もともと、一にして二、二にして一のものと心得るがよい。(同前、87)


と言っています。学問は、「個人の生き方の問題」から、政治という「大きな共同体の問題」まで含んでいるものであるということです。この短い引用を積み重ねただけで、「学問=思想」というものが持っている根源的な意義が整理されます。


最も欧米の「学問観」というものはこれとまったく違ったものだと思われますが、私にとっては藤樹の「学問観」は納得できるものであると同時に、学問への志を後押しされるものがあります。


そして、私が『クライテリオン』を読んでいてもっとも敬服しているのは、毎回様々なテーマを扱っていながら、「個人の生き方と共同体の行く末」の問題が、ときに近ときに離れながらも切れてしまうことなく緊密な関係を保っていることです。


この「個人の生き方と共同体の行く末を繋ぐ線」を意識しつつ、『クライテリオン』を読むことでまた違った気づきがあるかもしれません。参考になれば幸いです。



▼9月10日配信 部活動の地域移行に反対!ー次世代に「ツケ」を残す本当に情けない政策

昨日(9月9日)「表現者塾」にて、次回、学習会のお招きしている、九州大学の施光恒先生とお会いする機会がありました。その際、最近、先生が『産経新聞』の「正論」に書かれた記事について話が及びました。


そこで、文科省が推進している「部活動の地域移行」について反対の記事をまっとうな見地から主張をしたにも関わらず、「反響」が思わしくなかったと感想を漏らされていました。


先生としては、この記事は「無料の会員登録」をしなければ、書き出しの部分しか見えないようになっていたため、単に地域移行に反対しただけで、教員の多忙化の解消に対しての配慮がないように思われてしまったのではないか、と話されていました。


そこで、今回は記事の紹介を兼ねて、この記事を読み、私が思ったところについて書いていきます。気になった方は、お手数ですが無料登録をしていだき、記事を読んでいただければ幸いです。


まず、施先生は、「部活動の地域移行に反対する理由」について3つ順に挙げていきます。


【第一に、日本の伝統である「全人教育」の理想が崩れてしまう恐れがあるからだ。日本の教育は「知、徳、体」のバランスある発達を重視する。


子供の十全な成長とは、いわゆる勉強だけでは得られない。身体を鍛えたり、感性を豊かにしたり、思いやりの心を育んだりするなかで得られるものだという考えに基づいている。】


これは「日本における教育の伝統」でもありますが、「人間存在」そのものが、特に思春期は様々な環境要因(スポーツ、芸術、文化、仲間からの感化)から影響を受け、その出会いを吸収し、かつまた反発することを通じて「自己を形成」していくものであるとも言えます。


特に、部活動における同年齢の同質性の高い集団のなかで、スポーツや文化活動に打ち込むことを通じて、「物事に取り組む基礎的な姿勢」を学んだり、大会に向けて努力し、目標を達成したり、挫折を経験することはその後の人生にける大きな財産となります。


しかし、それは「地域に移行してもできるだろう」という指摘もあろうと思います。それに対して、


【第二に、よく指摘されることだが、地域に移行してしまった場合、生徒が享受できる部活動の多様さや質について地域間、家庭間で大きな格差が生じる恐れがある。


都市部には指導者も多く、施設も豊富だ。だが地方はそうではない。地方の生徒は、参加できたとしても非常に少ない種類の部活動しか経験できないのではないか。


都市部でも、もし民間事業者が担うとすれば、家庭の経済状況によって参加を断念する子供が増えるであろう。】


という懸念を挙げています。


いままでは安定した経済基盤がある「学校」という主体が、部活動を行う環境の提供から実際の指導までを担ってきたため、とくに、地方において「公立学校」があることで、かろうじて部活ができる環境が成立していたところが全国には多いと思われます。


一例として、私が現在住んでいる、長野県「木曽郡」では急速に過疎化も少子化も進んでおり、現在でも部活動が一校では成り立たず複数校で連携しやっている部活もあります。そのような、山間地域や過疎地域の学校では、今後、部活動をできる環境が提供できなくなることが予想されます。


そうなると家庭の経済的豊かさによって、教育環境に大きな格差が生じることになります。


【第三に、学校から、勉学だけでなく、友情や師弟関係など多様で豊かな人間関係を体験する共同体的性格が失われてしまうのではないかという懸念もある。】


私としては、これが一番懸念していることで、学校から部活動を無くしてしまえば、主には「勉強しか残らない」ことになり、それでは、受験対策をもっぱらにする「学習塾」と変わらなくなってしまうと同時に、学習になじめない生徒にとっては、自分が存在意義を見出す場所を失ってしまうこともありえます。


上記の3つの理由を挙げた後、最後に最もシンプルかつ根源的な「解決策」を提示します。


【どうすればよいのか。部活動の地域移行を進める主な理由が教師の多忙さの緩和であれば、一番真っ当な解決策は、教師の数を増やし、一人の教師が教科も部活動も余裕をもって指導・監督できるようにすることだ。


この当たり前の解決を阻むのは、教育的考慮ではなく経済的考慮である。昨今の政策の基本路線は、緊縮財政だ。】


つまり、この問題の根底にあるのは「緊縮財政」であり、財務省が主導する、「金の節約というケチな政策」を実現するため、「教員の負担を緩和するとういうもっともらしい名目」のともに、これからの世代にとっての貴重な教育環境を奪い取ろうとしているわけです。


なんとも情けない話です…


しかし、そうも言っていられません。なぜなら、もちろん「緊縮財政」を推進している「財務省」と、その路線を現場におろしている「文科省」が悪いのですが、最後にその「問い」は私たちに返ってくるからです。


現在の多くの大人世代は、良い思い出も苦い思い出も、ときに教師や友達との関係での悩みも、試合に勝った喜びも負けた悔しさも、初恋の思い出も、一生続く友人も得てきたかもしれない「部活動」という環境を、これからの世代から奪う政府の政策に対して「反対の声をあげる、あげげないのか」と。


教育の問題は、とかく授業において何を学ばせるかという、「教科内容」の問題のみが取り上げられ勝ちですが、その根源には「緊縮財政」という経済の問題が非常の大きく作用しています。


私も一教師として、部活動の問題に限らず、自身の現場から「積極財政」の必要性に対して声を挙げていきたいと思っています。できうるならば、この「情けなさ」を自身に問いつつ、ご一緒にそれぞれの立場から「反対の声」をあげてていきましょう!



▼9月22日配信 自然との回路を持つことの意味について

先日の3連休は休みをフルに使って、木曽に住んでいる間に必ず実現したかった、「中央アルプス(木曽山脈)縦走」をしてきました。


歩いたルートは「北の『茶臼山』から南の『仙涯嶺』まで」で、百名山である「木曽駒ケ岳」と「空木岳」を含む「中央アルプス」の主要部を縦断することができました。


3日間とも絶好の天気で、「中央アルプス」の稜線に沿って、左右の眼下に雲海が垂れ込める木曽谷と伊那谷を見下ろし、周囲の御嶽山、乗鞍岳、北アルプス、南アルプス、八ヶ岳、富士山などを周囲に名山、山脈を眺めながら、3000m級の山々の頂上を繋ぎながら気持ちよく歩いてきました。


日常とは隔絶し自然に囲まれた環境にどっぷりと入り込み、その醍醐味を味わった3日間となりました。


しかし、帰りの「南駒ヶ岳」からの下山ルートが高低差があり思いのほか大変で、さらに、何とか登山口まで降りてきたところから、重いザックを背負って「14㎞」の道のりを歩いき木曽谷の駅まで行き着かねばならず、最後の最後で体力的に追い込まれることになりました。


その駅までの帰路の道のりをまだかまだかと歩きつつ、やっと、人家が見え車の音などが聞こえたときには、「やっと、駅に帰り着きそうだ」と分かり安堵を覚えました。


そのとき、「日常の文明を離れたくて自然に入った自分が、人家や電車などの文明に帰れることに安心感を覚える」というのは、面白い心理であると思い、


「人間は文明から離れたい衝動と、文明に帰っていきたい衝動を持つ、そんなアンビバレントな存在であるのか」


という考えが浮かびました。


人間のなかにその両方の衝動があるのなら、日常から離れた「自然(非文明)」との回路を持つことは、日常の「文明との付き合い方、バランスの取り方」を見直す機会になります。


そんなことを思い、やはり、自分にとっては「登山」は単なるスポーツやレクリエーションを以上の意味を持った活動であることを改めて認識しました。


皆様にとっての「自然(非文明)」との回路は何でしょうか?


今回のメルマガでは、最近、YouTubeにアップされた、藤井編集長が「表現者塾とは何か?」を、非常に分かりやすく説明されている動画や、いよいよ来月に迫った、信州支部企画の「第5回信州学習会」をご紹介したようと思ったのですが、今回はこれまでとして、次回にゆずりたいと思います。



▼9月28日配信 信州学習会で語られる「ありうべき自前の国家構想」ーグローバル化と国際化の峻別と日本の国柄の認識

来月に迫った「第5回信州学習会」の紹介文を書きました。すぐに「クライテリオン・メルマガ」で配信されるのですが、そちらのメルマガをとっていない方もいるかとも思われますので、一足先に「信州支部メルマガ」をお読みいただいている皆様にお届けいたします。


===以下「第5回信州学習会」の紹介文===


表現者塾信州支部より、来月行われる「第5回信州学習会」についてお知らせをお送りさせていただきます。


5回目を迎える今回の学習会では、『クライテリオン』でもおなじみの、九州大学教授で政治学者の「施光恒先生」に講演をしていただけることとなりました。


テーマは、「自前の国家構想を考える―柳田國男を手がかりに―」です。


なぜこのテーマになったかという経緯をお伝えしつつ、この度の企画の趣旨についてご案内いたします。


施先生は政治学者として言論人として、日本が進めている「グローバル偏重政策」に対して一貫して警鐘を鳴らしていきました。反対に、日本が「政治、経済、文化」において独立を保ったうえで相互交流をおこなう、「国の際(きわ)」を意識した、「国際化」を提唱してこられました。


つまり、世界との関係の仕方には、


①自国の「政治、経済、文化、社会」の特徴を捨て、すべてを資本・ビジネスの論理によって平板化させてしまう「グローバル化」

②自国の「政治、経済、文化、社会」の特徴を維持し、その上で人物金の交流をおこなっていく「国際化」


という、2つの方法があり、この概念の峻別こそ、これからの日本の行く末を左右する極めて必要な「キーコンセプト」だということです。


というのも、現在の日本では世界と関わり方が、「①グローバル化」しかないと思われているため、英語偏重の教育、外国人労働者の受け入れ拡大などが推進されていますが、「①グローバル化」と「②国際化」という2つの選択肢のどちらが望ましいかと問われれば、後者を選ぶ方が多いはずだからです。


しかし、その路線を選ぶために、絶対に必要な条件が、


「そもそも自国の特徴(国柄)とは何なのか」


ということを日本人自身が認識していることです。


それが見失われてしまえば、この自国の特徴を守るという方向性をもった「②国際化」という方法が成立せず、ひたすら、「①グローバル化」に流され、果ては日本が自滅的に溶解していくのをとどめるすべはありません。


そして、その「自国の特徴(国柄)」が近代化の中で失われていくことに危機感を持ち、後世の記憶をとどめ「国造りの基本」としてほしいという願いのもと創始されたのが柳田國男の「民俗学」でした。


柳田國男の「民俗学」には、昔を懐かしむだけの「懐古趣味」といったイメージがありますが、官僚であり国連にも出向していた経験のある柳田は、上記のような「国際的な見地」から、近代化のなかで日本が存続していくことを願って「民俗学」を創設したと考えられるのです。


こうして、「国家構想」という点で、施先生と柳田國男が繋がり、柳田國男が旧飯田藩藩士の養子になったことから、ゆかりのあった信州「飯田市」で、施先生に柳田國男の業績をベースに、これから日本がとるべき独立を保ちつつ世界と関わる「国際化のビジョン」について語っていだくこととなりました。


また、「南信州」というより日本古来の文化風習が色濃く残る地方においてこそ、日本の「本来の国柄」について語っていただく意義はあると思われます。


長野県内はもちろん近隣の地域にお住まいの、グローバル化と国際化の違い、ありうべき「自前の国家構想」について関心のお持ちの方に、施先生の講義を直接、聞けるこの機会にご参加いただけるのをお待ちしております。


===紹介文、以上===


来月ご都合がつきましたら、信州飯田に足をお運びいただければ幸いです。




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