top of page

信州支部便り 8月版

【コラム】 信州支部 前田 一樹  ※信州支部メルマガより転載


▼08月10日配信 毎年恒例「北海道登山ツアー2024」

今週(8月7日~8月14日)は、毎年恒例の「北海道登山ツアー」に来ています。


四年目となる今年は、「旭岳、十勝岳、雌阿寒岳、幌尻岳」の4座に登る予定をしており、本日までに「旭岳、十勝岳、雌阿寒岳」に登り、帯広市に滞在中です。


それぞれ、北海道の火山が生み出した、広大で堂々たる山容をしており、本州の山にはみられない独自の魅力を湛えた山々でした。


明日からは、日高山脈の最高峰「幌尻岳」を目指して、山中でのテント泊をしつつ一泊二日の日程で登山をしてきます。


幌尻岳は、「百名山最難関」と言われており、「渡渉(としょう、川を渡ること)、熊との遭遇、道迷い」など様々な困難があります。自分にとっては挑戦的な登山になるのではないかと、楽しみと不安が入り混じった心境でおります。


また、北海道に百名山は「9座」あり、今回の「幌尻岳」でラストとなります。


4年前に「百名山」を目指して、北海道の山に登り始めましたが、4年経って「クライミング(岩登り)やバックカントリー(山スキー)」を始めたりなど、登山の方向性や山との関わりもだいぶ変わってきましたので、来年はどうしようかと考えてもいます。


しかし、それは今回の登山を無事に終わらせてからの話です。


いつもながら登山の話題ばかりですみません。次のメルマガは少し落ち着いた内容でお届けできるかと思います。



▼08月14日配信 信州人が感じる北海道の魅力ー自然(大地)との直な附き合い

先日(8月12日)、1泊2日の「幌尻岳(日高山脈)登山」を終えて無事下山しました。


今回は、特に熊の目撃が多い山域であったため注意しておりましたが、熊の物と思われる、「糞」を見つけただけに終わりました。


行程は、日高町にある「北トッタベツ岳登山口」から登りはじめ、前半「林道歩き」、中盤「沢登り」、後半「岩稜帯歩き」で、体力的なきつさはありましたが、思っていたほどの「困難さ」はありませんでした。


残念ながら、快晴に恵まれることがなかったため、「日高山脈」の全容は見ることは叶わず、時折、雲の切れ間から、遠方まで続く緑に覆われた山並みを垣間見るばかりでした。


ただ、北海道の山はとにかく奥深いため、周囲を「樹海」に囲まれた山中で、危険を回避するために、森や岩、風の状態に意識を働かせ、動物の鳴き声などを聞きながら行動していると、自然の一部に溶け入っていくとともに、自分の内なる「野生」が目覚める感覚に浸ることができました。


下山後は、日高町の温泉に入り、お母さんが一人でやっている「焼き鳥屋」で一杯やり、道の駅で車中泊。毎年のこの登山ツアーから、「登山、温泉、飲み」がワンセットになった旅の形が見えてきました。


そして、昨日(8月13日)、帯広に戻ってきて、昨年、帯広のスナックで知り合いになった方が経営するカフェに、1年ぶりに再訪してきました。


その方とカウンターでお話ししていると、


「近くに、帯広競馬場があるから見に行ってみたら」


と教えていただき、カフェを後にしてから、歩いて5分ほどの、「帯広競馬場」に寄ってきました。


「ずいぶん小さな競馬場だな」と思いながら、レースのやっていない「帯広競馬場」を見終わると、敷地内に「馬の資料館」があったため、何気なく見学することに。


そこの展示と映像から、「世界で唯一そりを引く馬の競馬=ばんえい競馬」の存在を知りまた。また、そこの展示には「競馬」だけでなく、「北海道開拓と馬との関わり」についても詳しく紹介されていました。


それによると、明治期の「北海道開拓」は、まさに「馬力」よってなされ、開墾にともなって、田畑を耕すのも、人や荷物を運ぶのも、全て馬の力によっていたのです。開拓時代の生活はいつも馬とともにあったそうです。


「荷を引く馬」の存在がいつも身近にあったことから、やがて、庶民の娯楽として、北海道各地で「荷を引く馬の競馬=ばんえい競馬」が生まれたといいます。


一時期、「ばんえい競馬場」は北海道に「4か所(旭川、北見、岩見沢、帯広」あったとそうですが、今は、「帯広」だけにしか残っていません。


しかし、私としては、この「開拓の歴史=馬を含めた、大地(自然)との関わり」としての、「ばんえい競馬」を残しているところに、「北海道人のエートス」の片鱗を感じました。


そして、今回のツアーを、「北海道の山」と「ばんえい競馬」との共通点も含めて振り返ってみると、北海道の魅力は、圧倒的なスケールの「自然(山と大地)との直な接触」だと思われました。


確かに、「北海道」の歴史は、本州の各地に比べて浅くはあります。


しかし、地理・歴史的条件による自然との直な否応のない「附き合い」、「接触」から、「北海道人のエートス」が育まれており、そこから発する「文化」も、単に「プリミティブ」なだけではなく、大らかで直観的な性格があります。


現在の「クライテリオン」の前進である、「表現者」を創刊した、西部邁先生も、自分が生まれ育った北海道を、


「文化果てる地」


とおっしゃっていましたが、逆に、そう言い切れるのは、そこで生まれ育った人々にしか見えない「もの」があるという実感もあったのではないかと考えたくもなります。


きっと、戦前生まれの、西部先生が幼少の頃には、街にはまだ多くの馬が闊歩していたことでしょう。


そんなことを考えつつ、「北海道の大地と、そして人」に、これからも魅きつけられ、また来年もそしてこれからも、この地に足を運ぶことになりそうな予感がしています。


皆様もまだ行かれたことのない方は、是非北海道に足を運ばれ。その魅力を堪能することをお勧めしいたします。



▼08月25日配信 大衆化の時代にあらがう価値探究の場

最近、オルテガの『大衆の反逆』を再読しました。


その内容は非常に多岐に渡る浩瀚な文明論であるだけに簡単に要約することはできませんが、その核心にあるのは、「生命論」なのだと理解しました。


今回はそれが分かる箇所の一部を紹介いたします。


「人間の生は、それ本来の性質からして、何ものかに向けられていなければならない。それは栄光に包まれた事業からしれないし、あるいはつつましやかな事業かもしれない。輝かしい運命か、あるいは取るに足らりない運命かもしれない。それは奇妙なものだが、私たちの存在に刻印された不可避な条件である。(佐々木孝訳『大衆の反逆』、248頁)


「生きるとは、何かに向かって放たれることであり、目標に向かって歩むことである。その目標は、私の道のりでもなければ私の生でもない。それは私が私の生を賭ける何ものかだ。(…)もし私が、私の生の内部でだけ自己中心的に歩むつもりなら、進むこともなく、どこにも行けないだろう。(249頁)


この言葉を「大衆論」とつなげると、「大衆」は自分の生を賭ける目標を見失い、自己の中で堂々巡りをしている生であり、「非大衆」は、反対に自分の生を賭けるに値するものを、目標として持っている、少なくともそれを探求し、そこに自分の生を賭けることで、「本来的な生」を生きている、ということになります。


そして、この価値探究は、「自己中心的な歩み」でないのだとしたら、必然的に「議論」によって、他者の目線を織り込みながら行っていくことになります。


じつは今回の『大衆の反逆』の再読は、信州支部が開いている読書会の場で、時間をかけて数人で行いました。


それは、「全面的な大衆化」という価値喪失の現代において、オルテガが「ヨーロッパ文明」とうい遺産を再評価する過程を追うことで、自分達にとって生を賭けるに値する価値を共同で探す営みでした。


結局、自分達にとっては、日本の「歴史、伝統、習慣、言葉」といったものー大きく言えば「日本文明」ーを引き受けていくことである、と。


もちろん、その議論はアマチュア的なレベルにとどまらざるを得ませんが、「価値」の存在を気にかけ、それを探求しようとする、人間が集まり議論できること自体が貴重なことでした。


自分達が社会に対してできることは本当に限られていますが、このような議論を通じて価値を探求しようとする「場」を、残していくのが「信州支部の役目」なのだと思っています。


本当にささやかな共同体ではありながら続けていくのは、本当に大変ですが、そこに集う仲間がいる限り協力しながら継続していきます。

閲覧数:13回

Comments


bottom of page