信州支部便り 8月版
- mapi10170907
- 2023年9月1日
- 読了時間: 21分
【コラム】 信州支部 前田 一樹 ※信州支部メルマガ配信より転載
信州支部 お問合せ:shinshu@the-criterion.jp
▼8月1日配信 末端から「壊死」する地方と一庶民にできる行動
玄関を開けると、そこにニホンザルの群れがいた…
というほどの、地方である長野県の中でもさらに田舎の山間地域、木曽郡「木曽町」という人口1万人ほどの町に住んでいます。
いずれ異動でここを離れる前に、この土地のことを少しでも知っておきたいとの思いから(単に酒好きということもあるのですが…)、一人で街中の居酒屋に飲みにいくことがあります。
先日は今年の1月に入って街中に新しくできた、「お好み焼き屋」に行ってきました。
お店を営んでいたのは、80歳近くのご夫婦でした。なぜこのような高齢で新しくお店を始めたのか気になり、その訳をお伺いすると、
昨年(2022年)まで、街の中心地で「50年間」、スナックを経営してきたが、ビルの老朽化に伴って、お店を閉めなければならなくなった。しかし、50年間、人と会話する仕事をしてくると、何もない日常は考えられない。夫婦で相談して、自宅の一部を改装し、関西出身の奥さんが得意な「お好み焼」を出す店を開くことに決めた。
とのことでした。そこで半世紀この町の変遷を見てきた、ご夫婦に「木曽町」の移り変わりについてお聞きしました。
以前、木曽町の中心には「役場」と、その周囲に「銀行」が何軒かあり、それを囲む「商店街」も買い物客の出足もあり活気があった。また、近隣の「ダム、発電所、道路、鉄道」などの公共事業のために働きに来ている方も大勢住んでおり、週末の夜は街中賑やかで、ご夫婦が経営していたスナックも繁盛していたそうです。
しかし、いま役場はかつての中心地だった商店街から離れた駅の近くに移転。銀行も別の場所に移ってしまったこともあって、商店街の賑わいも引いてしまった。さらに、それまでの公共事業もなくなって人口も減り、2000年以降、みるみる衰退してしまったとのこと。
お話を伺っていて、役場や銀行が移転しことだけが原因ではなく、経済的に脆弱性な山間地域に、財政支援が行き届いていないことを思うと「緊縮財政」そして、それよって続いている「デフレ経済」はつくづく罪なものだと感じました。
一例として令和5年度の長野全体の「地方交付税交付金」の総額を調べてみると「案の定」、減額されていました。
中山道の関所として、長い歴史を持つ木曽町が、昨今の政府が行う「緊縮財政」の影響で急激に衰退し、静まりかえっている現状目の前にすると悲しくなります。さらに、それをしのぐために身売りをするように、外国人相手の観光経済に頼っている状況もあります。
しかし、多くの人は「これも時代の流れだから仕方がない」といいます。その言葉は、あたかも前近代のお百姓さんが「日照りが続いて凶作なのは仕方がない」、だから、「身売りするのも仕方がない」と言っているように聞こえます。
「日照り」「干ばつ」は明らかに「天災」であり、いかんともしがたいものですが、「緊縮財政」による「デフレ経済」は、決して「天災」ではなく明かな「人災」です。
「眼前の物事」には極めて細かな精神を発揮する日本人ですが、「大きな物事」の判断には思考が働きずらい、その日本人のメンタリティは変わらないのでしょうか。
そんなことを考えつつ、やはり、目の前で、「歴史を積み重ねてきた場所」が、日本を一つの体と捉えるならば、さながら末端から「壊死」していく現状を目の当たりにすると、いかに無力な自分でも、わずかでも一石を投じたいという思いに駆られます。
そこで、今回は「地方に生きる一庶民」が、「積極財政肯定、緊縮財政反対」というマクロな問題に対してできることはなにか考えてみました。
【1、自分ができる範囲で勉強し続ける】
当たり前ですが、まずは自分が「勉強し続ける」することです。といっても、あくまで、「一庶民としての立場」から、経済の基礎的な枠組みを押さえる程度。できる範囲でよいと思っています。
それに関しては、数多の書籍がありますが、『クライテリオン』の議論に関心をお持ちの方であれば、プライマリーバランス規律の問題をテーマに簡潔に「是積極・反緊縮」を支持する論理をまとめた藤井先生の本『〈令和版〉プライマリーバランス亡国論PB規律「凍結」で、日本復活!』をお勧めしたところです。
【2、周囲の人々との会話に励む】
次は一歩広げて、学んだ「経済論」を共有する段階として、身近な人々、「家族、知人、友人、同僚」との会話があります。
しかし、これにはほぼ確実に「挫折感、絶望感」が伴います。というのも、
①「堅苦しい話はやめてくれパターン」=【無関心】
②「優位に立ちたいがための論戦パターン」=【マウンティング】
の、どちらかになるからです。そうならないためには、「話題を押し付ける」でもなく、「マウンティング戦に応じる」でもなく、さまざまな話題を織り交ぜつつ適宜、相手の文脈に沿った会話を心がけていく他ありません。
しかし、このレベルの関係性は、人間関係の距離が近いことから、様々な感情が交錯するため、お互いに「議論の作法(自説に固執しない冷静さ)」をわきまえていない限り、マクロな議論を持ち出すのはあまり適切ではありません。
よって、この段階では相手と関心が重なる部分で、文脈に沿ったコミュニケーションをとることにとどめ、次の段階に行くがよいと思います。
【3、問題意識を共有できる集まりへの参加】
講演会、勉強会、シンポジウムなどに参加してみることは有効です。なぜなら、そこで議論できる仲間見つかる可能性があるからです。
といっても、必ずしも意見を同じくしている仲間である必要はなく、先にあげた「『会話の作法』を踏まえた上で議論できる相手としての仲間」の存在が非常に大切になります。
知らない情報を得るだけでなく、議論を通じて、説得的な議論の仕方を磨き、自分が独断に陥っている考えの修正を測っていくという意義があるからです。
【4、「積極財政」の必要性を訴えている言論人やグループのサポート】
さらに、もう一歩進んで、そのような「講演会、勉強会、シンポジウム」をサポートする側に回るというのも有効です。
それは、自身が指示する議論が、世間に普及するのを後押しするという意義がもちろんありますが、それだけではなく、世論に逆行し、批難を受けるのを覚悟で、世のなかに、「正論(是積極・反緊縮)」を訴えている「言論人」と直接に関わる機会を持つことができるからです。
それは、先ほどの「仲間」とは違った意味で、大きな学びを与えてくれるものです。
というのも、講演や書籍を通じて、言論人が訴える「議論」「意見」を知ることはできますが、実際に交流を持つことは、「人格」に接触することであり、それは「特定の問題」だけに収まるものではありえず、その接点から自分が見えていなかった地平、より総合的な視野に世界観が開かれる可能性があるからです。
【5、積極財政を掲げる政党・政治家を支持する】
この、「1~4」の段階を踏まえて、最後に現れるのが、「選挙によって積極財政を掲げる政党を支持する段階」です。
一般的に、庶民の政治との関わりは、このチャンネルしかない思われがちですが、これは最後に来るものと考えます。上記の「1~4」を行っていなければ、そもそも公共的な視野にたった、政治経済上のバランスの取れた判断をする視点を育てることができないからです。
逆に「1~4」の段階が充実し、バランスのとれた公共的な視点を持つことができる庶民が多数になれば、全体にとってよりよい方向に導く代表が選ばれ、財政政策の問題であれば、当たり前のように、デフレから脱却するために、「積極財政」が行われるでしょう。
以上になります。
今回は、地方の衰退を食い止めるために、「一庶民としてできる緊縮財政問題へのアプローチ」を考えました。
このアプローチは私が、言論誌『表現者』(現『クライテリオン』)と出会い、雑誌が主催する「表現者塾」に参加し、その後、表現者塾の信州支部の運営に携わるようになった、これまでの過程で「経験してきた道のり」でもあります。
そして、このアプローチ方法は、「経済の領域」だけではなく、「社会、文化、政治」などマクロレベルの他領域の問題にも共通するアプローチではないかと思っています。
読者の方も、ご自身の関心を持つ問題に関して、このアプローチを多少なりとも参考にしていていただき、その問題に対して自分なりの一石を投じつつ、新しい関係性や世界観に開かれる経験をしていただければ幸いです。
▼8月6日配信 北海道知床よりー日本百名山と批評という仕事について
先日(8月5日)から北海道に入り、今日は札幌からレンタカーで移動し知床に滞在しています。毎年、夏休みは北海道を訪れており、今年で「3年目」になります。毎年、北海道を訪れている主な理由は、なんといっても「そこに山があるから」です(「海の幸」も最高に美味で、毎回驚かされますが…)。
「1年目」は、北海道の中央、大雪山にある「トムラウシ山」に登りました。初めて登る北海道の山でしたが、山に分け入っていたときに次々に見えてくる、一面の花畑や奇岩の風景と、どこまでも広がり連なる山並みを見たとき、信州の鋭く聳え立つ山の姿との違い、横に広がるスケールの大きさに心を奪われました。
2年目は、「利尻岳」と「羊蹄山」に登りました。「利尻岳」は、海面から突き出た、世界的にみても稀な地形によってできている山です。鋭く尖った山はなかなかハードな行程でしたが、登り切った海のど真ん中の頂上から見た、360度の見晴らしは忘れられないものがありました。
「羊蹄山」は蝦夷富士と呼ばれるほど富士山に似て整った姿をしています。登山当日は霧がかかっていましたが、頂上に着くと霧が晴れ、山頂を囲むクレーターを一望することができ、大変幻想的な光景を見ることができました。
そして、今年3年目は、「羅臼岳、斜里岳、阿寒岳」の「知床三山」を目指して登ります。今週はあいにく台風の影響か天気が優れません。雨の場合は登山を断念せざるを得ませんが、そこは天に任せてその場の状況を見て判断をしたいと思っています。
ところで、これらの山は北海道にある「日本百名山」というくくりで知られる山々です。登山をやる方であれば必ず耳にしたことがある、この「百名山」という名称は、作家で随筆家の「深田久弥」が設定したものです。
そして、深田は、日本の保守思想を代表する人物である、「小林秀雄」のデビューの切っ掛けを作った人物でもあるのです。
小林のデビュー作である「様々なる意匠」は、当時あった『改造』という雑誌の懸賞論文のために書かれたもので、そこに投稿しないかという話を小林に持ち掛けたのが、『改造』に関わっていた「深田久弥」だったのです。
小林はそのとき関西方面に寓居していて、その後の途方を思案している状態でした。よって、深田の働きかけがあったからこそ、「批評家 小林秀雄」が誕生したとも言えるわけです。
その後も深田と小林の親交は続いたようで、一緒に「山越えスキー」に行ったときの模様をユーモラスかつ生き生きと描写した、「カヤの平」という小林のエッセイなどもあります。
さて、そのような深田が設定した「日本百名山」は、同名の『日本百名山』という著書で紹介されたものが元になっています。
その著書によると、山の選定においては、深田自身が実地に登山をして、その山の困難さやコースの眺めはもちろん、それだけでなく、文学や信仰との関わりなどの「文化、歴史、民俗」といった観点を総合的に判断して選定されています。
深田の『日本百名山』に触れた小林の批評文もあったように記憶しておりますが、現在出先のため確認できません。ただ、深田の成した仕事に対してきっぱりとした賛辞を送っていたと記憶しています。
「日本百名山」というのは、登山業界では絶対的なスタンダードを形成しています。登山における「型」と言ってよいかもしれません。もちろん、「型」に囚われる必要はありませんが、初心の段階では、その「型」を受け入れ、余計なことは考えず素直にその山に登ってみる。すると、山に登るという行為の奥の深さ、景色の見事さ、山の姿、動植物、地質、そして、過去の人々が残した信仰の形跡を見て取るといった、登山の勘所がわかってくるのです。
その後、自分にとっての山の楽しみが分かってきたころで、その線にそった登山の楽しみを広げて深めていけばいいのです。それは昔から「守破離」と言われてきたもののそれでしょう。
そのような、登山における「スタンダード」を残した、深田の仕事は、「日本の登山史」おいて、もっとも影響力のある不朽の業績であったといえます。またそれは「批評」という営みがどういった役割であるかを示す、一つの事例ではないかとも考えています。
この場合、登山という行為を通じて山という【自然】と出会い感動を覚える。その経験を重ねることで、他の山と比べる視点を持つ。そこには、本来的に優劣ないのだが、体で積み重ねた美的とも言ってよい経験を元に、そこに宿る【歴史(文化)】という文脈を織り交ぜ、価値の基準を【言葉】によって造形する。
『日本百名山』という仕事は、日本の山をモチーフにした、優れた「批評」としての仕事が成したものだと考えています。そこには、「深田と小林の親交」が少なからず関わっていると想像したくなります。
そんな、深田の仕事のありがたさを頭の片隅に置きつつ、明日晴れることを祈って、明日の「羅臼岳」登山に備えて早めに休もうと思います。皆さんも機会がありましたら、是非お近くの「百名山」に足を運んでみてください。新しい世界が開けること請け合いです。
▼8月18日配信 北海道旅行2023「2つのエピソード」と大きな物語を紡ぐ旅の意義
評論の部では、私は、深田久弥氏の「日本百名山」を推した。これは、近ごろ、最も独自な批評文学であると考えたからである。批評の対象が山であるという点が、たいへんおもしろいのである。(…)著者は、人に人格があるように、山には山格があると言っている。山格について一応自信ある批評的言辞を得るのに、著者は五十年の経験を要した。文章の秀逸は、そこからきている。(…)自分の推薦に対しほとんど全委員の賛同を得て、わが事のように嬉しかった事を憚りながら付記して置きたい。
(小林秀雄、「深田久弥『日本百名山』」、1965年、『読売新聞』に発表)
8月5日(土)に長野県を出発した「北海道登山旅行2023」は、計画通りの日程を終え、8月13日(日)に長野県の自宅に戻ってきました。
その模様を早速「メルマガ」でお伝えしたかったのですが、「夏休み中」たっぷりと時間があると、逆に「のんびり」と無為に過ごしてしまい配信が遅れてしまいました。
しかし、元旦(1月1日)から続けてきた、このメルマガを切らしてなるものかと、何とか気持ちを取り直して書いている次第です。
さて、上の引用文は、前回の「メルマガ(北海道知床よりー日本百名山と批評という仕事について)」で触れた、小林秀雄が当時の「読売文学賞」の選評として綴った『日本百名山』に関する批評文です。
旅の目的は、この深田久弥の『日本百名山』で取り上げられている、北海道の「百名山」の3つ「知床三山」とも呼ばれる「羅臼岳、斜里岳、阿寒岳」を巡る旅でした。
あいにく、雨が降り続いてよい眺望がまったく望めない登山が続き、厳しい状況ではありましたが、引用文にある「山格」というものは多少なりとも体験できた登山となりました。
また、今回はその簡単なレポートに加えて、帯広に立ち寄った際のエピソードを添えてお届けいたします。
1、知床三山
・羅臼岳(1661m)
「知床三山」の中で、はじめに登ったのは「羅臼岳」でした。早朝、知床「ウトロ」の町から、知床の奥地に向かう途中の「岩尾別温泉」から、山頂を目指して登山を開始。
日本アルプスよりも標高が低くても「北緯」が高い分、日本アルプスに近しい高山に見られる植生が広がっていました。低木の下を幾度もくぐり、登山道を流れる水流に足を浸し、ヒグマとの遭遇に不安を感じつつ、狭い登山道を片道約5時間かけて登っていきました。
頂上とその付近には岩石が積み重なった「溶岩ドーム」が形成されており、最後の1時間はその切り立った岩石を登り頂上に到達。
山頂の周囲は濃い霧で周囲は見えない状態でしたが、ただ風はゆっくり気持ちよくふいており、しばらくのんびりしていると、時折雲の切れ間からから山裾をのぞむことができました。
・斜里岳(1547m)
翌日早朝、知床から車で1時間ほど移動し、知床半島の付け根、「清里町」にある「斜里岳」を登りました。
初っ端から頂上の手前まで、常に「沢登り」といったルートで、登山靴をぐっしょりと濡らし、水が流れ落ちる沢の端をよじ登りながら、いくつもの滝を登り越えて、頂上の手前まで登り着きました。
頂上の手前の木が生えない「森林限界」まで来ると、霧雨のなか風速20mから30mの強烈な風がふいていました。何とか一歩一歩と歩みを進めて頂上に到達。頂上の看板にタッチをして少し休憩し、とてもその場にはいられず直ぐに下山しました。
その日は、「清里町」から100㎞ほど離れた、マリモで有名な「阿寒湖」まで移動し湖畔に宿泊しました。
・雌阿寒岳(1499m)
その翌日早朝、今度は阿寒岳湖から「阿寒湖温泉」に移動し、そこから「雌阿寒岳」を目指しました。
一歩ずつ標高が上がっていく優しい登山ルートを登っていくと、森林帯が切れたところで、茶色の岩場地帯が現れたのと同時に、霧雨のなか強風がふき始めました。
構わず登っていきましたが、頂上手前8合目まで登ったところで、普通に立っていると体が飛ばされるほどの「爆風」がふき荒れていたため、また、本来であれば活火山の火口が見える辺りにも関わらずまったく視界も見えなかったため、残念ながら撤退を決めました。
しかし、降りてくる途中、山を取り巻いていた雲が遠のき、なんと雲間から太陽がのぞきはじめました。戻るわけにもいかず、下山すると、この天気の変化を読み遅い時間から、登山を始める登山者も見られ、天候を読みながら日程を調整する柔軟性も求められることを反省とともに学びました。
2、帯広「北の酒場」と偶然の出会い
「雌阿寒岳」から下山して、その日は「帯広」に移動。旅館に落ち着いた後、登山は終わったため、「飲み屋探訪」に出かけました。
最初は、「えふし」という、ご夫婦がやっている居酒屋へ、「厚岸のかき」「えんがわ」「クジラのベーコン」など、ご主人が仕入れにこだわっているとのことで、最高においしい海鮮と、北海道の地酒「国稀(くにまれ)」「二世古(にせこ)」などを、しっかりといただきました。
その後、近所をブラリと歩くと、「ウサギの後ろ姿だけ」の小さな看板と、2階へと続く階段だけがある飲み屋を発見し、「不思議さ」に惹かれて入店(「うさぎのしっぽ」)。女性お一人でやっている、6席ほどのカウンターだけのアットホームなお店で、常連さんとお話しつつお料理と日本酒をいただきました。
その常連さんに「良いスナックはありませんか?」とお聞きすると、隣のビルの「たまご」というスナックを紹介していただき、そこで出会ったのが、「カフェ経営者の女性」「日高山脈に頻繁に通う登山者の男性」の二人組でした。
登山をされる男性は、YouTubeチャンネル(「チーム西遊記チャンネル」)を開設する「ガチの山屋」で、危険を承知の上で、連絡をくれればいつでも日高山脈の山に連れて行ってくれるとのことでした。
一方のカフェ経営者の女性からは、「明日お店に寄っていってよ」とお誘いいただき、実際に翌日、帯広を発つ前、そのカフェにお邪魔しました。
とてもオシャレな店で中に入ると、店員さんから、
「ご予約のお客様ですが?」
「予約はしていません」
「店長のお友達ですか?」
「まぁ友達といえば友達です。スナックで昨日会っただけですが…」
「店長から伺っています」
といって、カウンターの予約札のある席に案内されました。
しばらくして、昨日会った経営者の女性も来られ、お昼をいただきつつお話をし、楽しいひと時を過ごしました。最後には、「また、来年も来なさいよ!」と声をかけていただき帯広を後にしました。
ほかにも、「知床ネイチャーセンター」、「足寄動物化石博物館」、「日高山脈博物館」、「北海道大学博物館」、「三岸幸太郎美術館」などにも寄り、見たり聞いたり沢山の学びがありました。
今回は「北海道旅行2023」から2つのエピソードについて書いてきました。最後に私が感じる「旅行の意義」について軽く触れておきます。
行ったことない地方に行くと、そこにある貴重な観光資源の魅力。農産物や海産資源。その土地の暮らしなどを、「知識」としてではなく「体験」として認識ことができます。すると地域を越えて「日本」という共同体の繋がりが認識でき、遠くで起こっている問題を「我が事」として考えられるのはないかと思っています。
例えば、北海道の「水源地」や「観光地(ニセコ)」が外国資本に買収されているというニュースを時折、見聞きしますが、それも、実際に北海道に行ったことがなければ「遠くで起こった1つのニュース」としてしか認識されず、重きを置かないのではないと思います。その逆であれば、強い関心を持つはずです。
そう考えると、日本という区域は、自明な「行政的制度」ではありますが、その制度を一人一人の国民が受け入れ、支えているという意味では、その土台に「国土と一体となった『日本』という大きな物語」への認識が国民のなかに共有され引き継がれていることが前提とされていると考えられます。
実際に、毎年「北海道」に足を運ぶごとに、私自身、北海道の土地、自然、人、文化などとの一体感、繋がりを実感しています。「旅」にはそのように人々を日本という「共同体」に、自然に埋め込んでいく効果があるのではないでしょうか。
そういった意味で、コロナで移動の自由が制限されていた期間が3年ほど続き、その間、ステイホームの過ごし方も充実しましたが、実際に多くの方が国内を再発見する「旅」に出られることを祈るばかりです。皆様も機会がありましたら良い旅を!
▼8月24日配信 8月定例会レポートー「読みの共有」その意味と意義を信じて
先日(8月19日)に「信州支部『8月』定例会」が行われました。今回は、今月発売したばかりの、『表現者クライテリオン9月号』をベースに自由に感想交流を行いました。
定例会のベースとなる活動内容は、『表現者クライテリオン』の最新号の読書会という形に定まってきました。そのうえで、参加者による「レポート発表」や講師をお招きした「講義」を入れていくという形態が見えてきました。
最新号の「読み」の共有は、とてもシンプルなものですが、上手に行うことで、他者が注目した記事を知り、その理由を聞くことで、いままで自分が関心を持っていなかった、記事や書き手、領域に新たな関心が芽生え、一人で読んでいるより「読み」の幅に広がりと深みが生まれ貴重な学びの場になる可能性があります。
今後も長野県内の「表現者クライテリオンの読者」が参加したいと思える支部活動のベーシックとなるよう、内容を改善すべく試行錯誤を続けながら継続していきたいと考えています。
今週のメルマガでは、当日の様子を簡単なレポートでお届けいたします(参考までに記事タイトルの横に『表現者クライテリオン9月号』のページ数を示しています)。ではどうぞ。
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・鳥兜「公教育にもっと投資を」(P13~)
公教育への積極的な投資の必要性を訴える記事に着目した。自身が現場で教員として働いているため、「非正規教員」が多いこと、給料が少なく残業代もまったくでないことなどに憤りを感じていた。今回の記事で、その根源に、「給特法(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)」があることを知った。「50年前」にできた、この法律に縛られていれば、日本の公教育の衰退は止まらないことを確信した。
・「現代貨幣理論(MMT)には何が見えていないのか?」(大澤真幸、P34~)
概ね「MMT」の「貨幣観」と、それに基づいた「積極財政政策」には納得していたが、MMTを補完する意味でも、さらに、それ以上に「貨幣とは何か」という前提について意義深く学びのある議論が展開されていた。これを機に「貨幣」により一層考えていきたい。
・「債務国家とインフレの政治学」(柴山桂太、P76~)
昨今の経済学は「金融」や「株価」のことばかり語っていて、世を治め民を救うという意味で「経世済民の学」になっていない。よって、学問として「下賤な」ものであると判断している。しかし、柴山先生の経済考は、歴史を踏まえた、総合的な視野から「経済」について論じられ、それが「経世済民」にも直結しており、真の「経済学」であると思っている。そのような経済論に今後も期待したい。
・「私たちはガンディーにはなり得ない」(藤原昌樹、P142~)
この論考の中で、ガンディーが「卑怯か暴力かのどちらかを選ぶ以外に道がないならば、わたしは暴力をすすめるだろうと信じている」と発言していることを知った。ガンディーが一般的に受け入れられている、「非暴力主義」とは違った思想の持主であることが分かり、ガンディーの思想に関心を持った。ここの記事を切掛けにガンディーの生涯や思想について学んでいきたい。
・「『政府による貨幣発行』、その思想の原点を探る」(泉房穂、藤井聡、P58~)
市長が持っている「権限」を使って、市民のためによいと思われる政策を「本気」で行うことで、地域を良い方向に持っていく「政治」が実現できることを、身をもって示した実例だと思われた。地方行政のモデルとなる考え方や政策が詰まった対談内容であった。
・「論拠なき移民国家を憂う」(施光恒、P83~)
近年、「グローバリズム=帝国化」によって、グローバルな資本家や投資家が有利なように、日本を含めた世界中の国々の制度が変更され続けてきたこと、それとは反対に、いま「多数の国々(ネイション)からなる世界」という、各国が自国を大切にするパラダイムが求められることが明確に語られていた。まず、自国の国益や文化を大切にするという、当たり前の考えがなければ、日本が良い方向にいくことはあり得ない。次回の信州学習会の、テーマ「自前の国家構想を考える」にも繋がる論考にもなっており、より当日の講義が楽しみになった。
・「素手で受けとめた戦記」(長谷川三千子、P216)
小幡敏『忘れられた戦争の記憶―日本人と“大東亜戦争"』についての書評。一読、大変力のある文章に引き付けられた。文章から歴史や経験の深みと言葉の重みを感じ取った。
・「歴史作家の慧眼をもってして少年・西部邁を活写した唯一の書」(平坂純一、P217)
保坂正康『Nの回廊―ある友をめぐるきれぎれの回想』の書評。西部邁先生の生涯に関心があり、その少年時代について詳しく書かれた評伝とのことで関心をもった。早速読んでみようと考えている。
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以上が、定例会の簡単なレポートです。その後はいつも通り飲み会にうつり、ざっくばらんに語り合う自由な社交の時間となりました。
定例会は『表現者クライテリオン』が扱っている大きなテーマや問題意識に比して、悲しくなるほど、小さな動きではなりますが、
「0と1とは違う」
という言葉を信じ、10年後、20年後でもそれが、「2になり3になり」ということを夢見つつ、「信州支部」という小さな共同体のなかで、このような問題意識を持った仲間との学び合いの場を大切にしていきたいと思っております。
長野県にお住まいの方は、関心を持たれましたら、信州支部定例会に足をお運びください。また、県外の方であれば他支部の定例会への参加もできます。さらに、お住まいの地域に集まりがなければ、「岐阜同好会」のように、ご自分で読者が集う場を作ることもできます。
何をやっても現実は簡単には変わりません。しかし、粘り強く自分にできる範囲で活動を続けることで、自分自身や周囲に変化を生み出す契機を作りだすことはできます。その意義や遣り甲斐を信じたいと私は思っていますが、皆様はいかがお考えでしょうか?
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