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信州支部便り 5月版

【コラム】 信州支部 前田 一樹  ※信州支部メルマガ配信より転載

 信州支部 お問合せ:shinshu@the-criterion.jp


▼5月7日配信 拘置所からの手紙―現象の奥にある保守思想の核心―

「拘置所から手紙が来ているんだけど、お前宛てでいいの?」と、ある日、実家の父から確認の電話が入りました。


身に覚えがないとは言え「何かやってしまったか!」と考えたものの、宛先に「表現者塾信州支部」とあると聞き、表現者塾に関係する手紙であることが分かりましたが、いったいどんな要件なのか気がかりでした。


しばらくして、赴任している木曽から実家の松本に戻ったとき、内容が確認できました。


その手紙は、ある拘置所からのもので、差出人は「Kさん」という方でした。Kさんは、長野県生まれの方で、本人が言うところによると、「社会に適合できずに自分勝手な動機から罪を犯してしまった」とのことで、現在は「刑事被告人」として勾留生活を送っているとのことでした。


問われている罪ついて詳しいことは書かれていませんでしたが、犯した罪を深く悔い反省していることが、その丁寧な筆跡と文章からくみ取ることができました。また、信州の地に生きて帰りたいという強い希望も書かれていました。


そして、どこかで保守思想誌『表現者クライテリオン』を読む機会があり、是非これからの人生を考える糧として「保守思想」を学びたいと思い、自分の故郷で活動している「表現者塾信州支部」があることを知り、その思いを私宛の手紙に託すに至った経緯も書かれていました。


それに対して、私は「こんな自分でお役に立つことがあればやりましょう」ということで、自分なりにその方に「保守思想」をお伝えすることを約束する旨のお返事お送りしました。


方針としては、「保守思想」に関する小テーマを設定し、その要点を解説した文章としてお送りする形にするのが、Kさんにとっても理解しやすく、私にとっても自分の考えを整理してお伝えするには適当であると考えました。


ということで、以下がKさん宛てにお送りした文章になります。本メルマガの読者の方々にとっても、「保守思想」について考えるヒントになればと思い共有させていただくことにしました。ご一読いただければ幸いです。


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K様へ


いただいたご要望にお答えしまして、「保守思想」について、私が理解している範囲でお分かりいただけるよう、毎回テーマを設け、それをご説明する文章をお送りしたします。


まず、始めにお伝えしたいテーマは、


【保守思想は目に見えない『生命の躍動』を重視する思想(考え方)である】


ということです。ここを初めに押さえておくことが、「保守思想」を理解するうえでのとても重要な点になります。


なぜかといいますと、「保守思想」と言った場合、ざっくりと分けまして傾向の違う2通りの意味があるからです。


①長年続いてきた、「目に見える」伝統行事や生活習慣などを、なるべくそのままの形で保ち守る志向。

②外側に見える物事ではなく、直接「目に見えない」内側の生命の躍動を保ち守る志向。


「保守思想」というと、①「目に見える伝統行事や生活習慣をなるべく変えないように保ち守っていく考え方」というイメージがあります。


実際、私自身も、関心を持ち始めた当初は、「保守思想」をなんでも変えることをよしとする「改革思想」の反対として位置づけ、古い伝統や習慣を大切にするといった意味での政治的なポジション(立場)と捉えていました。


またその考え方の延長線上に立って、現在ある日本をよりよい状態に保ち守るための、政治、社会、経済、文化といった各領域における急激な変化を押さえた政策パッケージを「保守思想的な政策論」だとも考えていました。


しかし、時間をかけて「保守思想」に親しむにつれ、そうた「現象面」の奥にある、行動の主体である「有機体」に焦点を当てることが重要なのだと分かってきました。


日々起きる様々な出来事の背後にあるのは、結局は実体をもった個人や、その集合である家族、地域、国家などの共同体といった「有機体」であるからです。


そう考えることで、現象面も視野に入れつつも、一段深いレベルから各分野の諸問題が繋がりを持って見え、「保守思想」の考え方が深く理解できるようになりました。


さらに、その主体である「有機体」の核にあるのは、「生命」の働きとしか言いえないものであり、もしも、現象面でなにが望ましい現象があるならば、そこには「生命の躍動」があり、逆に問題となる現象があるのであれば、その原因は主体の在り様としての「生命が衰弱」にあることが考えられます。


個人を例にとると、一人の「有機体」としてこの世に生み出され、もともと持っていた傾向に加えて、周囲の人や環境から影響を受けながら育っていった結果、一個の主体として、仕事、生活、趣味など様々な領域で行動していき、その結果が人生模様という現象として現れてきます。


その有機体の活動の現れは、多種多様な可能性を含んだものでありながら、その根本を辿ると「生命の躍動と衰弱」によって規定されていることが分かります。


簡単に言うと、その主体が「元気であるか病気であるか」ということです。「元気」であれば、様々な問題を解決するために積極的に行動できるでしょうし、「病気」であれば問題解決にあたることが不可能になるのは誰でもが経験によって分かることです。


よって、この根本的レベルである「生命の躍動と衰弱」に着目し、望ましくは「生命を可能な限り躍動」させるように努めるのが、「保守思想」においてもっとも根源的かつ重要な命題になるわけです。


もちろん保守思想のおいても、現象面(政治、経済、社会、文化)の様々なトピックについて語られますが、そのような政策や政治判断は、その背後にある各主体の「生命の躍動と衰弱の状態」を見極め、できる限り主体の生命力を旺盛に発揮するために、環境改良を目指していくプロセスであると見る事ができます。


そう考えると、「保守思想」は、Kさんにとって社会全体への見方・考え方を養うものであると同時に、一人の主体として、深くこれまでの在り様を反省し、そのうえでこれからの人生において、自分の生命をより望ましい状態に変容させていく方向性を示してくれる思想であると言えるでしょう。


一先ず今回のところは、保守思想が主体(有機体)の「生命の躍動と衰弱」を見極めるところに主眼があることを知っていただき、次回から、望ましい「生命の躍動」をどう引き出していくかという方法についてお伝えしたいと思います。


思うに任せない心身の状況であると存じますが、ご自身の「生命の状態がいかにあるか」に注意を払いつつ日々を過ごしていただければ幸いです。


▼5月14日配信 1/280万ー歴史を信じる思想の力ー

「この巨大な街から、表現者塾に足を運ぶクライテリオン読者は一人もいないのか…」


と、毎月、長野県から高速バスで東京の「表現者塾」に通う際に、途中休憩のためにバスが停車する山梨県にある「双葉サービスエリア」から、「甲府の街」と雄大な富士の山を眺めつついつも寂しく思ってきました(「表現者塾」については下記参照)。


というのも、私(前田)が毎月、東京で開催されている「表現者塾」に通いはじめて今年で「5年目」になるのですが、「長野県」から通い続けているのは「私一人だけ」であり、また長野県より東京に近い「山梨県」から通い続けている方も知りません。


そこで単純に考えると、長野県の人口(令和5年現在201万人)と山梨県の人口(令和5年現在79万人)を足した人口のなかで、この地方(2県)から表現者塾に足を運ぶほど熱心な「クライテリオン読者」の人数は、


【1人(前田のみ)/約280万】


という結果がでます(未成年も入っていますが一つの参考として)。


2011年に『表現者』(現『表現者クライテリオン』)に出会ってから、雑誌や執筆者の先生方の書籍、ネットやテレビなど各メディアの情報から学んでくるなかで、『表現者』(同上)が論じている各領域の政策や保守思想が、多数派だと考えたことはなく、一読者として周囲と共有できない孤独感を漠然と感じているだけで、住んでいる地域に実際どれほどの読者がいるのか分からない状態でした。


しかし、2018年から「表現者クライテリオン体制」となり、2019年から日本中(実際、北海道、九州、沖縄から来る方もおられました)から熱心なクライテリオン読者が集まる「表現者塾」がスタートしてみると、熱心な読者の横の繋がりができつつも、その人数が可視化されたことで、「ここまで少数なのか」と愕然とする思いがしたのも事実です。


もちろん、「表現者塾」に足を運んでいなくても、全国に熱心な読者はいるはずですが、問題山積の現在日本が置かれている状況に“素直"に疑問を持ち、情報を収集している人物であれば、何らかの機会に、『クライテリオン』に行き当たり、雑誌を読めば読むほどに出会えるものなら執筆者の先生と直接対話をしたい。もう一歩進んで、自分もその「思想運動」に多少なりとも参画したいという気持ちを持つ方がもっと増えても不思議ではありません。


その人数がこれほど少ないとなると、「思想」とうものは、


【単純な数の力である「政治」とは、別種の次元で働く力である】


と、認識する他ありません。


冒頭の一例として示したように、単純に「頭数」だけで考えた場合、まったく「政治的な力」を持つには及ばないからです。では、「思想」はどのように働く力なのでしょうか?


難しい問題ですが、最新の『クライテリオン5月号「岸田文雄」はニッポンジンの象徴である』にある、以下の一文がヒントになろうとか思いました。


【〔思想が〕すべきことは一つだろう。その壁の向こうに閉じ込められている心に呼びかけ、徐々に、その孤独を解きほぐしていくことである。その努力の末に、果たして瀕死の日本人が息を吹き返すことがあるのかどうか……それこそ、歴史を信じるしか仕様がない。】


(浜崎洋介「私たちの「からっぽ」を乗り越えるために 戦後日本人論」末尾の段落より引用、〔〕内は筆者補足)


ここから分かるのは、まず「思想」は人の「心」に働きかけるものだということです。そして、それは人々を「孤独」という「瀕死の病」から解放し、息を吹き返しより活力にあふれた生命への転換を誘うという形で効果を発揮するものであるということです。


最後にとりわけ重要なのは、それは「歴史」という時間の連続性のなかでこそ働くものであることが、「歴史を信じる」という凝縮された一言によって明確に示唆されていることです。


それを踏まえて、「政治」と「思想」の違いを、私流に平たく言ってしまえば、


【政治は「横」に働く力であり、思想は「縦」に働く力である】


と定義できます。


確かに、現在生きている世代の人口からすれば、クライテリオンに関係する「思想」に関心を持つ人々の数はものの数でありません。


しかし、「歴史」という物差し、縦軸から見ると、何千年もの時間の積み重ねにおける、名もなき人々と、過去の日本と世界中の偉大な思想家達との連帯を併せれば、その内に蓄えられている人類の叡智としての「思想の力」というものは図り知れないものであることが分かります。


「歴史を信じる」という言葉の真意もそこにあるでしょう。もっと言えば、それは積極的に信じなければ見えてきません。


私はそのような意味での、「思想の力」というものを信じています。だから、虚無的になることなく、諦めることなく「表現者塾」に通い続け、信州支部の活動においても、それに関心を持つ方々と学びを共有できる場を引き続き運営していきたいと考えています。


皆さんにとって、「思想」とはどんな意味を持つものでしょうか?


このメルマガをヒントにお考えいただければ幸いです。さらに、一歩進んで表現者塾に何らかの形で参加していただければ、これ以上の喜びはありません(東京に通わなくても、オンラインの動画会員などもあります)。


▼5月21日配信 童話に例えるコロナ騒動―王様は裸だと認められない国民―

王様「いや!わしだってもう裸だと分かっとる!だから、いままで通りに接してくれ。」

国民「王様そんなことおっしゃらないでください。私たちがこんなにも王様の服を褒めてきたのですから、今しばらくそのままでやっていきましょう」


2020年に「コロナ騒動(あえて、「コロナ渦」とは呼びません)」に入ってから、これは人間心理の弱点を突いた、アンデルセンの童話『裸の王様』に例えられるのではないかと考えてきました。


以下、説明のために、「裸の王様」の登場人物を、今回の「日本のコロナ騒動」に当てはめてみましょう。


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①裸の王様=冷静に見れば、【はじめから「裸」だった】

コロナウィルス=冷静に見れば、【はじめから「5類相当の感染症」だった】


②見えない服を作った職人=王様は見えないが、【とんでもなく素晴らしい服を着ていると、煽りに煽った】

メディア=コロナウィルスの被害は通常のインフルエンザと同等だが、【とんでもなく強毒であると、煽りに煽った】


③物語の国民=見えない服を作った職人に煽られ、【疑うことなく、「王様は服を着ている」と思い込み、そのように行動した】

日本国民=メディアに煽られ、【疑うことなく、「コロナウィルスは強毒である」と思い込み、そのように行動した】


④真実を言った子供=素直な心と知性で、【王様は「裸」だと言った】

過剰自粛を批判した知識人=素直な心と知性で、【コロナウィルスは弱毒であり、「適切な対応(5類相当)」を取るべきだと言った】


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この対応関係だけで、これまでの「コロナ騒動」を「裸の王様」になぞらえて捉える視点がどういったものかお分かりいただけたと思います。


違うのは、『裸の王様』では「真実を言った子供」の言葉で、国民が目覚め沈黙の呪縛から解き放たれるのですが、日本では逆に「過剰自粛を批判した知識人」が、さんざん叩かれるという展開になったことです。


しかし、最近日本で起きている事態はさらにそれを超えています。


というのも、私の周囲を見ていると、5月8日(月)から5類に変更されたにも関わらず、いまだに生活でも仕事でも趣味でも「マスク」を着用している人々が大多数を占めているからです。しかも、最近は30℃に迫る夏日もあり生理的にも辛いはずです。


先の童話に例えると、「裸の王様」がもう、いいかげん自分は裸であると認めているのに、いまだに「国民」の方が、必死に「王様は裸でない!」と思い込みたがっているという格好になります。


これは、もう童話が指摘しているところの人間心理の弱点などという範疇を超えた【おぞましい病気】に罹っていると言って差し支えありません。その証拠に観光で日本に訪れる外国人のほとんどが、どこ吹く風でマスクなぞしていません(当ったり前ですが…)。


では、その【おぞましい病気】は何でしょうか。様々な視点からの説明が考えられますが、「保守思想的」に言えば、これは福田恆存が指摘した、日本人の【過剰適応】であると言えます。


【過剰適応】とは、とにかく「目の前の現れた状況」に付き従うことしかできない人格の形勢で、現状の外側に視点を持たない事態を指します。そうなると、距離をとって現状を眺めそれに応じて行動を調整するということが全くできなくなります。


そうなった原因を詳細にいま論じる力量はありませんが、これも福田の言葉を借りれば、「宗教性=己(自分の視点)を超えたもの」があるのだという実感をともった思想が日本人に希薄だかこそ、引き起こされる事態だと考えられます。「日常性」の外部に「宗教性」という視点があれば、それが現状を突き放す土台となりえます。


もともと日本人に「宗教性」が欠けているとも考えられますが、過去の日本人の中に宗教性を秘めた偉人が数多いたことを想起すると、明治より「近代社会」に入り、長い時間をかけて有機体的に形成されてきた日本社会が全面的(社会、経済、文化、思想)に激変することで、日本人が持っていた「宗教性=己を超えたもの感覚」を育む、文化社会的な契機が失われたのだと考えられます。


では、その恐るべき病から「癒える」にはどうしたらよいでしょうか?


「過剰適応」が、「『宗教性=己を超えたもの」の欠如」であるとするならば、やはり、私たちの内面から始めていく他ありません。そして、そこにこそ「思想」や「哲学」の効用というものがあります。


最後にそのことを示唆している、哲学者G・ドゥルーズの言葉をご紹介します。いささかでも、思想や哲学の意義について皆さまに考えていただく参考となれば幸いです。


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哲学は力をもたない。力をもつのは宗教や国家、資本主義や科学や法、そして世論やテレビであって、哲学はけっして力をもたない。(…)しかし、そのかわりに哲学は戦いなき戦いをたたかい、諸力にたいするゲリラ戦を展開する。


(…)哲学にできるのは折衝をおこなうことだけである。哲学以外の諸力は私たちの外にあるだけでは満足せず、私たちの内部にまで侵入してくる、だからこそ、私たちひとりひとりが自分自身を相手に不断の折衝をつづけ、自分自身を敵にまわしてゲリラ戦をくりひろげることにもなるわけだ。


それもまた哲学の効用なのである。


G・ドゥルーズ『記号と事件 1972-1990の対話』、7-8頁より引用


▼5月28日配信 終いには山河に還る―信州人のクライテリオンー

人は皆 山河に生まれ 抱かれ、挑み

人は皆 山河を信じ、和み、愛す、

そこに 生命(いのち)をつなぎ 生命を刻む

そして、終(つ)いには 山河に還る

(五木ひろし「山河」より)


昨日(27日)から、長野県の南部の街「飯田市」に滞在しています。というのも、クライテリオンに執筆者されている先生方を長野県にお招きして、半年に1度のペースで行っている「信州学習会」の次回の開催地が「飯田市」に決まり、その下見に来ているからです。


長野県は大きく分けて「北信、中信、南信、東信」という4つのエリアに分かれています。各エリアには基幹的な行政施設が置かれ、エリアごとに生活圏が整備されています。さらに、長野県は山脈や峠で区切られているうえに南北に縦に長いため、他の地域を訪ねることがあまりありません(長野在住の方にとっては当たり前の情報ですが、県外の方向けに書いておきます)。


今回は、昨年に続いて2回目の滞在でした。幹事を務めて下さる地元の方と、14:00頃に飯田市内の会場の候補地の下見を終えた後、折角訪れたのだから、校外にも足を延ばしましょう。ということになり、飯田市の中心地から、車で30分ほどの距離にある、有名な景勝地「天竜峡」を案内していただきました。


現地に着き気持ちのよい森を小径を歩いていくと、木々の間から、「天竜峡十勝(「天竜峡」の主な見どころとなっている10個の巨石)」のなかでもっとも巨大で、「天竜川の深淵に住む竜が、ある時天に昇った。その崖に突然できた『龍の化身』」と伝えられ、シンボルとなっている「龍角峯(りゅうかくほう)」が敢然と姿を現しました。


その巨岩は見れば見るほど、まさに「龍」が天に昇っていく姿そのままの壮観な形状をしていました。


さらに、単に景色として素晴らしいというだけではなく、体の内側に入ってくる、「場のエネルギー」というものもありありと感じました。それはまったく私の「感覚」でしかないのですが、それを裏づけ資料を公園内にある資料館で見ることができました。


それは、地質学による「天竜峡」の成り立ちに関する動画で、


①「天竜峡」はおよそ、「2500万年」から、現在の中国大陸から地殻変動によって離れたその後の日本列島となる陸地が移動していき、海底で西の「フィリピン海プレート」とぶつかり合った結果、陸地が隆起し、数百万年かけて、3000m級の山脈「南アルプス(赤石山脈)」と「天竜峡」が形成されてきたこと。

②南アルプスを始点として、天竜川は太平洋まで流れ込み、そのまま海底奥深くの海溝まで繋がっており、南アルプスの頂上と海底の終点とを合わせると、「標高差約7000m」の超巨大な山脈の入り口に「天竜峡」が位置していること。


などが解説されていました。


つまり、2500万年かけた地球規模のプレートの移動が生み出したのが、「天竜峡」の景勝なのだということなのですが、それを、何千万年というスパンで発生してきた「地球規模の莫大なエネルギー」が凝縮している場所であると捉えると、人間の生命力を内側から活性化する、いわゆるパワースポット的な機能があっても不思議ではないと考えた訳です(それでも、個人的な推測の域を出ませんが…)。


そして、このような自然エネルギーが凝縮している場所を訪れ、日常生活で疲れた「生命」を復活させ、活力を充填するのが、観光地の本質的な効用にも思われました。


その後、「天竜峡」から再び飯田市に戻り、「懇親会会場」を決定するため、飯田市内の居酒屋やスナックを数件梯子しました。


歩きながら飯田の街の様子を見ると、土曜日の夜にも関わらず、通りにはまったく人気がなく、地方都市の衰退を如実に感じたのですが、入った居酒屋の中は何故が満席で、そこではこの街に生きる人々の活気を感じることができ少し安心しました。


懇親会にもってこいの「居酒屋」が見つかり引き上げる途中、店の佇まいに惹かれて「響」というスナックに誘われるようにふらっと入ると、ママがお一人で30年間、営んでいらっしゃる大変落ち着くお店でした。


ママから飯田の街の移り変わりなどについて聞きながら、勧められて適当に歌を歌っていると、自分達以外にいたお客様が、本メルマガの冒頭で引用した、五木ひろしの「山河」という曲をしみじみと歌われており聞き入ってしまいました。


初めて聞いた曲でしたが、その歌詞は「山河」に心を寄せ、それとともに生きる人間の心情を歌いあげており、日中に訪れた「天竜峡」で感じた自然のエネルギーと信州の山河と共に暮らしてきた人々の生活が繋がり、「信州人」の生き方を歌っているように受け取られました。


そんなことから、歌詞に一節「終に山河に還る(自然に還る)」ことこそ「信州人」の根源的なクライテリオンなのだと思いがけず実感した一夜となりました。


さて、その次回の「信州学習会」ですが、日程は【10月8日(日)】の開催を予定しております。会場や講師の先生などの詳細は追って告知いたします。


講義内容はもちろんですが、信州飯田の歴史や自然も併せて感じていただける機会にしようと考えていますのでご期待ください。

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