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信州支部便り 2月版

【コラム】 信州支部 前田 一樹

※信州支部メルマガ配信より再編集した内容となっております。

【信州支部】 お問合せ:shinshu@the-criterion.jp


▼2月5日配信

今回は、「地域経済」について書いていきます。というのも、現在、仕事の関係で長野県の山間地域である「木曽郡木曽町」に住んでいまして、そこで繋がりのできた地元の30代、40代のこれから地域を支え盛り上げていく若手の方々と、飲みつつ、主に地域経済、「いまとこれからの木曽」についてザックリ議論する経験をしたからです。


メンバーは私以外、「自営業者、地元飲食店の従業員、地域おこし協力隊」と、どの方も木曽の行く末について漠然とした不安感と、地域の過疎化・少子化がますます進み、暮らしや経済が先細りになっていくことに対する危機感を持っていました。

そして、特に「経済」に関しては、コロナ渦の以前は中山道を中心とした「インバウンド需要(外国人観光客)」で潤っていたところがあったため、それの復活に期待をするしかないのではないか、という話になりましたが、その反面、今回の「コロナ渦」でインバウンド需要に頼ることの「脆弱さ」も実感したとの意見もありました。


そんな議論のなか、地域経済の状況をおおざっぱに俯瞰する視点としてでてきたのが、以下のように「地域経済を3区分で捉える見方」です(木曽町は観光に力を入れているため、そこに焦点を当てています)。

 ①:地域住民経済

 ②:国内観光需要

 ③:外国人観光客需要


この見方から、現在の地域経済の状況として、①は「少子化、過疎化」によって、②は「不況(長期デフレと現在のスタグフレーション)」によって縮小しているため、③に頼るしかないとなっているのだが、これは「本来、逆である方が健全な地域経済のはずだ」、という話になりました。


つまり、まず第一にその地域で暮らす住民の「暮らしと経済」に安定的な活気があり、そこに、「国内観光客」が来て土地のよさを体験し経済に潤いを加え、その後に「外国観光客」の需要が【おまけ】としてついて来るという構造になることこそが、外需に依存することなく、住民にとっては何より安心して、その地域に暮らし続けていける環境ができ、その結果、過疎化も止まると考えられたからです。


しかし、この考えは現在の日本社会では、受け入れがたいことが予想されます。なぜなら、

【地域(とりわけ地方)は補助金に甘えることなく、サービスを向上させ、「国内観光客」も「外国人観光客」も、他の地域との競争に打ち勝って、多くの客を呼び寄せ地域を潤わせてみろ!】

という、自由主義的な「競争原理」こそが、現在の経済におけるスタンダードな考え方だからです。


その帰結として、ある地域が消滅してしまってよいのでしょうか?そんなことになれば、消滅した地域の人々の暮らしやそれまでの伝統文化、土地の暮らしとの関係のなかで守られてきた自然環境は永遠に失われてしまいます。

それを回避するためには、地方公共団体(この場合は木曽町)が地域の暮らしと経済を下支えし、観光業や接客業も支援をしていく、「積極的な財政政策」を行っていくことが必要なのではないか、という話になりました。


以上のような、大きめのテーマを議論した後、「はたして今の自分達にできることは?」となったとき、まことに平凡ではありますが、

【現在の状況が問題だと感じている地域の人々が、特定のテーマを設定せずに、それぞれが問題だと思っていることについて語り合う、飲み会を継続していくことが基本であり、出発点になるのではないか】

という結論になりました(マザー・テレサの言う「シンク グローバリー アクト ローカリー」の精神ですね!)


特定のテーマを設定しないのは、設定してしまうと関心のある方しか集まらないし、かしこまってしまって本音の部分をなかなか出し合うことができないからです。大きな力になるか分かりませんが、財出を求めるにしても、住民からのまとまった意見が必要ですし、何か前向きな変化が生まれるとしたら、このような「自主的な共同体からである」と考えています。

私は長期的に木曽地域で暮らしていくわけではありませんが、残りの赴任期間中もこのような地元の方々との関係を大切に、自分のできることで貢献しつつ、多くのことを学びたいと思っています。


▼2月11日配信

2011年に起きた「東日本大震災」より、「日本の現状」に関心を持ち調べる中で、『表現者』と出会い、それ以後、雑誌はもちろん、執筆されている先生の書籍やネットでの発信から、日本内外の「政治、経済、社会、文化」について多くのことを学んできました。

そこから分かったのは、明らかに【日本は危機的状況にある】ということでした。


といっても、課題がない国などないのでしょうし、それらを乗り越えていくことこそ、「国家という共同体の営み」そのものであると言えるので、課題があること自体は問題ではありません。

では、なぜ日本は「危機的状況」であると言えるのか。それは、

【大多数の国民が、日本レベルの諸課題に対して、我がこととして認識せず、自分としては何ができるのかを本気で考えていない】

からだと思っています。


確かに、「デフレ、スタグフレーション、コロナ問題、安全保障、外交、歴史問題、教育問題……」などなど、一国民がどうこうできる問題ではなく、それらについていちいち考えても、まったくなすすべもないため無意味であるとも言えます。

私自身、「政治家でも官僚でも学者でもさえもないのに、日本レベルのそんな大きな課題について思い煩ってもしょうながい」と考え、「国の心配をする前に、自分の心配をしろ」と何度も何度も自分に言い聞かせてきました。

なので、「日本レベルの課題」に対して、自分の置かれている立場における必要以上に思い煩うのは、明かに「行き過ぎ」であるのはよく分かります。


しかしまた、自分が間違いなく「日本という共同体」の一員であること、その共同体を構成する一人ひとりの考えと行動が、その共同体の行く末に影響を与えるというのもまた事実でしょう。

よって、

【適度な距離感をとりつつ、「日本レベルの課題」を認識し、自分の立場においてできる行動をとる】

ことが適切だと考えています。そして、これは国民国家を形成する国民の「常識的な態度」だと言えます。


そう考えると、現在の日本では、「日本レベルの課題」について、「我がこと」として捉えられていないか、「必要以上に思い煩っている」かになってしまい、「つかず離れずの距離感」を多くの国民が持てていないことが危機を招いているのだと言えます。

「2021年」から活動を継続してきた、「表現者塾信州支部」はそんなことを考えてきた自分なりの「答え」であり、運営を続けていくことが、自分と国家レベルの問題、より大きく言えば、「思想」との関係における「適切な距離」を探し続けていくことだと考えています。


▼2月19日配信

数年前から、趣味で「登山」を始めました。こそから「登山⇒冬山登山⇒クライミング⇒バックカントリースキー」と山の活動にどんどんのめり込んでいます。

それを通じて分かってきたことは、ご存じの方には当ったり前の話なのですが、

【長野県は、登山をやる人間にとって圧倒的な天国である】

ということです。


なんといっても、数多の名峰の有する、「日本アルプス(飛騨山脈、木曽山脈、赤石山脈)」があり、「百名山」という全国の名山百選のうち「31座」、およそ3分の1が長野県内に密集しているというとんでもない好環境だからです。

しかし、こんな「天国」にいながら、長野県在住者で登山をしないという方はもちろん沢山いますし、長野県ならではの中学校行事である「学校登山」が大変だったという経験から登山嫌いになり、「二度と登山というものをやらない」という話もよく聞きます。


なぜ登山の話を持ち出したかというと、「保守思想」が「人は個人として成り立っているのではなく、他者との関係によって成り立っている」とする、その「他者」の1つに「住んでいる土地との関係」がると考えたからです。

それを長野県において考えてみると、「山(自然)との関係」に置き換えられ、「山(自然)の価値や魅力」にどれだけ、気づいているか認識しているかが、保守思想的な「他者認識」のバロメーターになると思ったのです。


別に、「長野県に住んでいる方の誰もが登山をやれ!」と言うのではありません。しかし、登山をやらなくても、どの程度「山(自然)の価値を認識しているか」が重要であり、その認知の程度は低いと言わざるを得ないわけです。

さらに、その原因について思いを馳せると、

【現代人が認識する価値は、主に【意識的なもの(人工的なもの)】に焦点が当てられており、土地の自然や文化といういう、【無意識的なもの(自然なもの)】が目に入ってこない】

からだと思われました。「ああすればこうなる」という思考だけで社会が作られているという、「都市化」(養老孟司)というコンセプトとも繋がります。


人工的なもの都会的な商業施設、イベントというものは、広告を通じて「意識」に入ってきます。しかし、「無意識」である、山も含む自然(より広げれば歴史や文化)は、こちらから求めて能動的に探索しないかぎり見えてくるものではりません。

そのように、「意識と無意識の関係」を考えると、自分を支えている「他者=自然=無意識」に目を向けていくこと、その存在を深く認識することが、「保守思想」における重要な態度だと分かります。そのことを「登山」を通じて気づかされました。


最後に、登山道具専門店「カモシカスポーツ松本店」で長年店長をされ、いまでは松本市内で「酒と雪」という居酒屋を経営されている、マスターの一言をご紹介します。

https://saketoyuki.therestaurant.jp/

【長野県の山には「世界レベル」の魅力がある。しかし、その価値の認知度の低さ、アピールできてなさも「世界レベル」だ!】

痛い言葉ではありますが、逆に言えば、長野県には、まだまだ発揮されていない潜在的な魅力があるということです。


これからも、己を成り立たせている「他者=山(自然)=無意識」に関心を向けて、観念ではなく経験的に「保守思想」を深めていきたいと思います。保守思想にお持ちの方は、お住まいの「土地」という「他者」の存在、魅力に目を向けてみて下さい。


▼2月26日配信

先週2月18日(土)、信州支部の2月定例会が開かれました。今年より、開催日を【偶数月第3土曜日】、会場を【信州支部事務所(前田宅)】とし、新しい体制となってから初の開催となりました。今回はその内容を簡単にレポートいたします。


■レポート発表(1部)

まずは、毎回参加してくださっている、K氏から、昨年の10月定例会で行っていただいた、長い伝統を誇る「霜月祭り」についての続きにあたる内容のレポート発表がありました。

今回は、昨年の「12月4日」に、実際に遠山郷の集落でおこなわれた「霜月祭り」に行き、その現場で体験してきた祭りの模様と、そこから考察したことを伝えて下さいました(霜月祭りについては、以下のHPをご覧ください)。


レポートの内容から要点だけを抜粋してご紹介いたします。

1.「公」を通じた世代間交流

祭りでは、若者衆が「主役」、古老衆は「脇役」となり、全員で祭りの成功に向け、「公のために働く」ことを通じて、若者と老人の世代間交流が自然と行われていた。彼らの顔は皆凛々しく、落ち着いていて熱意に満ちていた。

2.夢と現実の狭間の世界

曖昧な音階の横笛と太鼓、火、煙、湯気、ほんのり明るい空間、ゆっくりとした踊り、お面…言葉では表現しきれない大切なことを感じ取り、理屈ではなく「信じる」こと、空気に流されない「故郷」という原点が得られる場となっている。

3.祭りが続いてきた理由

儀式が単調で長い、眠い、寒い、煙たい、危ない、ものでありながら何故祭りは続いてきたのだろうか?それは、①神仏や自然への感謝と祈願、②先祖とのつながり、③共同体の維持、④庶民の欲求の解消(エネルギーの発散)といった意義があったからではないか。


発表の後の感想では、「公の存在」「世代間交流」「故郷という原点」「己を越えたものを信じること」など、どれも現代日本から蒸発していっているものばかりで、全てではないにしても、この祭りが内包するものから学ぶことは多いのではないか、といった議論が交わされました。

発表してくれた、「K氏」に感謝しつつ、この内容をここだけにとどめず、できるだけ広範囲に共有していく方法を探っていきたいと思います。


■「2023年1月号」についての議論(2部)

次に、今年から定例会で「『クライテリオン』の前号」について議論する時間をとることに決めていましたので、【2023年1月号ー特集「反転の年」2022-2023戦争、テロ、恐慌の時代の始まり】の中から、参加者それぞれが気になった記事、多くを学んだ記事などについて話し合いました。


1.二〇二二年に「大事件」は起きたのか “第四次世界大戦"の視点から/外山恒一

コロナやウクライナ戦争は、大きな転換となる事件ではない。戦争状態は、日本においては、「1995年のオウム事件」から始まっており、世界においては「9.11」からである、という意見に教えられることがあった。そして、少々の出来事を笑い飛ばしてしまう、「昭和のおおらかさ」を取り戻そう!そこを保守に期待したい、という提言に意を同じくした。


2.戦争を知らないオトナたち 第二回 死線上の男たち 地獄に咲いた、生命の輝き/小幡 敏

この記事を読んだことで、思い立って『死の島ニューギニア』を手に取った。戦争中の極限状態の描写から、想像もしなかった人間の一部(人間が人間でなくなる状態)を垣間見た思いがした。死ぬよりも辛い現実状況の中でも、やはり何としても人間は生きようとする。戦争の良し悪しを言う前に、まずそうした体験者の現実をリアルに見ることが重要だと知った。


3.人はなぜ「故郷」を求めるのか? 人の「強さ」と「弱さ」の由来をめぐって/仁平千香子×藤井 聡×浜崎洋介

これまで仁平さんの連載原稿を読んで来て、非凡な書き手であることを感じていた(特にスタイベック『怒りの葡萄』の批評は素晴らしかった)。それが書籍となり出版されたことを喜ぶとともに、その著書『故郷を忘れた日本人へ』も読んでいる。リベラルから保守へ転向した経緯なども書かれており敬意を深めた。これからのますますの活躍を期待したい。


■飲み会(3部)

ここまではお酒を交えずに行い、その後は、お酒も入ってざっくばらんな社交の場となりました(このONとOFFのメリハリは保っていくつもりです)。

毎回それぞれが日々の生活や仕事について、また社会について思っていることを存分に話すことができる社交の場のありがたさを感じる時間になっています。


一先ず、今回の定例会レポートはここまでです。ご興味を持たれた方は是非お気軽にご参加ください。

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