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信州支部便り 10月版

【コラム】 信州支部 前田 一樹  ※信州支部メルマガ配信より転載

 信州支部 お問合せ:shinshu@the-criterion.jp


▼10月7日配信 少数者がつかむ「自己表現」の契機 ー藤井先生の講義から学ぶ言論の意味と表現者塾の役割

毎月、東京で行われている「表現者塾」の動画がYouTubeで公開されています。


この動画は本年(令和5年度)4月の初回の講義でクライテリオン編集長の「藤井聡先生」が、スタートにふさわしく、「クライテリオン無き日本の行く末」というタイトルのもと、「表現者塾とはなにか?」について語られている講義になります。


政治や経済について積極的に語りながら「政治団体」ではなく、「表現者塾」が一体なにを目的としている団体なのか分かりづらいと思いますが、この動画はそのような疑問に対する1つの答えになっています。


また、「表現者塾」が目指す場づくりを、長野県で行うのが「信州支部」の役目でもあるため、「信州支部」の目的についても、同時にお分かりいただける内容だとも考えています。


そうした意味で、この動画を是非ご覧になっていただきたきたく、私がこの講義から学んだこと簡単にお伝えし、動画のご紹介に代えさせていただきたいと思います。


まず、印象に残ったのが、藤井先生が雑誌、テレビ、ラジオといったメディアをフル活用して、旺盛な言論活動を行っているのは、職業的に「大学教授」であるからだと当たり前のように考えていましたが、


「大学教授でも、言論活動をしている人物はほとんどいない」


とこの講義でおっしゃっていて、改めて考えると、それもそうだと納得したことです。


大学教授だからと言って、自分の専門において、メディアから発言を求められる機会はあっても、あれほど重要無尽に、政治、経済、社会、文化にわたって総合的に発言する言論活動を展開している方はいません。


そして、そのような総合的な言論活動に現在、献身しているのは、一重に「表現者塾」に参加し、西部邁先生と関わりを持ったことだとも語っておられます。よって、「表現者塾」とは、そうした「言論」への扉をひらく、または動機付けを得る場所だと分かりました。


また、「言論に関わっている自分と、普段の自分との乖離」についても指摘されています。これは私も毎日、感じていることで、周囲にまったく「言論」についての関心を共有できる人がいず、疎外感を持っているのですが、同じ感覚を藤井先生も昔から感じてきたと語られており、とても親近感を感じました。


言論への関心というのは、現在の日本では非常に「稀有な関心事」なのだということが分かるとともに、逆にそれを共有できる場というというのが非常に貴重なものであると言えます。


以上のことから、「表現者塾」の本質は、現在の日本社会では、なかなか共有できない「周囲とは違った感性と考え方」を持った少数者が集い語りあい、そこで、自らの考えを「表現する場」あると言えます。「表現者塾」という名前がその本質をよく表しています。


ゆえに、それは、人間が関わる、ミクロな人生論からマクロから国家論まで、文化、経済、社会など、様々な領域を含むのになります。


そのことを、私自身が問い続けてきた、


「政治家でも、官僚でも、学者でも、知識人でもない一般人が『言論』に関わる意味」


に引き付けて考えてみると、社会を変革することが言論の目的だと考えると、「政治家、官僚、学者、知識人」でもない人間が、言論に関わる意味はないと言えます。


しかし、上記の表現者塾的言論とは、「思想を表現すること自体が目標」であり、その結果、社会に持つ影響力は副次的なものと考えると、「言論」に一般人が関心を持ち、関わることはまさに「実存」の問題であり、それ自体を目的として取り組む意味があるものだと考えられます。


なので、主婦であっても、学生であっても、サラリーマンであっても、公務員であっても、自身の内側から湧き出てくる関心に応じて、「言論」に関わっていけばいいわけで、あくまで、自分自身に忠実になった結果としての「能動性の発露」として行っていくものだと言えます。


そして、藤井先生にとって、そのような言論への能動性を醸成したのが、「表現者塾」だったのであって、私自身も表現者塾に参加することで、考えや感覚を表現するメディアとしての「言論」と出会い、それを地方で開催していく機会をいただいています。


これからも、「表現者信州支部」という形で、思想を表現し共有する場を、地方で継続していきたいと思っています。社会を動かす力という部分は、あくまで結果として付いてくるものと考え、細々とではありますが、粘りづくよく活動を継続していこうと考えています。


以上、私が藤井先生の講義から学んだ「言論」についての考えと、信州支部を続けていく意義についてでした。興味を持っていただけましたら、是非講義の動画をご覧いただければ幸いです。


▼10月14日配信 柳田國男と保守思想ー大成功に終わった「第5回信州学習会」で施先生の講義から学んだこと

先日、10月8日(日)、「第5回信州学習会」が長野県飯田市にて開催されました。今回もほぼ定員一杯のご参加をいただきました。県内外から足をお運びいただいた方々に感謝申し上げます。


今回は施光恒先生をお招きしましたが、やはり、『クライテリオン』に執筆されている先生方を招いての講義は、お話をお伺いできる貴重な機会となり、長野県地域(近隣の県も含めて)の問題意識、関心を同じくする読者の方が集まるまたとない場となることが実感できました。


また、今回は「柳田國男の思想」を取り上げることで、信州支部のカラーといいますが、「思想」に重きを置いた独自性も確かめることができました。半年に1度のペースでこれからも、執筆者の先生を招いての学習会企画を続けていこうと思っています。


さて、今回のメルマガでは、その概要お伝えしようと思ったのですが、講義の内容はとても簡単にまとめきれる分量ではないので、講義のなかkら私が学んだところを1つだけ紹介させていただきます。


今回、私が新鮮な印象を受けたのは、「柳田國男と保守思想」という一節です。


柳田の思想・民俗学は、柳田の没後、戦前の国家主義から民主主義への転換のなかで、ナショナリズムへの反省という文脈から、「庶民の日常生活や暮らしぶり」を掬い上げた思想家として、主に左翼的な潮流のなかで評価されてきたとのことでした。


私の考えでは、柳田に対する一般的なイメージである、「昔話を収集する好事家のおじいさん」というイメージはここから、出てきたのではないかと思われるものがありました。


しかし、施先生の解釈として、柳田の民俗学には、西洋に対抗する近代化のなかで、急造で作られた「近代国家日本」を改めて自分たちにとって肌に合うもの、身近なものとしての再編しようとするときの参照資料として、「日本人の文化、習慣、習俗を集めて保存」することで、次世代の国家づくりに役立てて欲しいという志向があったとことを教えていただきました。


これは、「保守思想的」な柳田國男解釈であり、国家官僚であり、国連にも出向していた経験がある、近代国家日本の最前線にいた柳田國男ならではの、民俗学への思に近似しているのではないかと思われました。


また、民俗学をベースに「日本人の伝統的な、文化、風習、習俗」とマッチした近代国家の創造というものを考えることで、より柳田の思想も現代的な意味を持ってきます。


単に昔を懐かしむという意味ではなく、日本文化を薄めてしまうという意味での「移民国家化」への危機意識。庶民の暮らしを盛り上げるという意味での「積極財政」など、現代日本における喫緊の課題にも結びついてくるアクチュアリティーが高まるからです。


驚くことに、保守思想の立場から、「柳田の思想」を読み解いた議論というのは、少ないとのことで、施先生の講義を拝聴し、改めて柳田の思想に学びつつ、それを、保守思想との繋がり探究するための重要なヒントをいただきました。


ということで、講義の内容は、もっともっと膨大で幅の広いものでありましたが、今回はこの1点だけを紹介させていただきました。次回は、できうる限り本講義の概要をお伝えしたいと思います。


▼10月21日配信 「第5回信州学習会」第1部:施光恒先生講義「自前の国家構想を考える柳田國男をてがかりに」レポート

前回のメルマガで予告したように、今回は「第5回信州学習会」の概略をレポートしていきます。一つの文章にまとめるのはあまりにも大変なため、箇条書きにて届けいたします。少しでも語られた講義内容のあらましや要点を読み取っていただければ幸いです。


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【1部】施光恒先生講義


〇序

・柳田國男に興味を持った切掛けは、『遠野物語』『日本の昔話』を読んではいたが、小林秀雄の講演『信じることと考えることと』をCDで聞いた影響が大きい。そこで、小林は柳田が『故郷70年』という自伝で、自身の幼少期の神秘体験を何でもないことのように語っていることを紹介し、柳田は「不可思議なことを否定しない態度」を持った思想家だということを知った。


・柳田民俗学を政治学から読み解くという視点は、政治学者の川田稔先生の「政治学からの柳田解釈」に大きな影響を受けた。


1、柳田國男と保守思想


・保守思想は、政治において、意識的・合理的な「理念、理論」だけではなく、伝統、文化、慣習、道徳感覚など「半ば無意識的のもの」を重視する。柳田民俗学は、そうした日本人が積み重ねてきた、「半ば無意識的なもの」を収集した宝庫である。よって、柳田民俗学のリソースを「保守思想」の立場から活用することは十分にできる。


2、柳田民俗学と国づくりへの関心


・柳田には当時のエリート官僚として、明治以来の近代化によって、民衆の倫理や生活文化などが失われることへの危惧があった。そこから、日本人の肌合いにあった国民国家の形成の必要を痛感した。そのような「自前の国家」を形成していく事業を後世の人々に託し、それに役立つ資料を残すために民俗学を立ち上げたと考えられる。


・柳田民俗学の資料は、「有形文化、言語芸術、真意現象」の3部構成となっている。なかでも、柳田は人々の精神世界、人生観、世界観、とりわけ民衆の「固有信仰」としての「氏神信仰」を重視した。


3、グローバル化批判との関連


・柳田は農政学者として、当時(明治)の主流であった、輸出重視の「商工業立国論」と地主制を認めた農業保護の「農業国本論」の、それぞれは庶民からの搾取で成り立つものでると認識し、輸出貿易に依存せず国民経済を豊にする【内需依存型の経済(反・外需依存)】を提唱した。


・国際秩序については、それぞれの国が国民経済を「国内市場重視」にすることで対外膨張圧力を緩和し、各国が連携して自立的発展の道を進むことができるよう協力すべきであると主張した。


4、日本人の道徳的主体性への関心


・柳田は『先祖の話』(1945年)の中で、「私がこの本の中で力を入れて説きたいと思う一つの点は、日本人の死後の観念、すなわち霊は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠方では行ってしまわないという信仰が、おそらくは世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられているとうことである」と語っている。


ここから分かるのは、「日本人の道徳」は、同時代の他者だけでなく、過去の人々(先人)の観点から自分を見ることで完成に近づくものだと言える。また、これによって、自分の存在を歴史的観点(縦軸の観点)で見ることができ、「今の時代において何をなすべきか」「子孫のために何をすべきか」を考え行動することができる。現代日本人はこの視点を忘れているのではないか。


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以上が第1部の概要になります。これを読んだだけでも、柳田が単に「昔話を集めていた好事家のおじいちゃん」ではないことがはっきりお分かりいただけると思います。また、「保守思想との柳田民俗学の繋がり」という線も明瞭に提示していただけたことは、ここでいか聞けない新鮮な内容でした。


この後休憩をはさんで、「第2部」に入りますが、それは次回のメルマガにてお届けいたします。


▼10月29日配信 第5回信州学習会レポート後編ー柳田の思想の流れと質問からのトークセッション

今回のメルマガでは、前回に続き「第5回信州学習会:第2部」のレポートを届けいたします。


2部では、表現者塾生である「粕谷先生」に柳田思想の整理と司会進行をお願いし、ご登壇いただきました。トークセッションを重ねながら事前に募集した質問も扱っていただきました。


誠に雑駁なまとめ方で恐縮ですが、今回の講義のあらましだけでも読み取っていただければ幸いです。それではではどうぞ。


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【2部】トークセッションと質疑応答


〇柳田國男の思想の流れ


・柳田の思想は、


①初期は「新体詩」と呼ばれた新しい形式の詩を発表することから始まった。その時期は「恋愛の詩人」とも呼ばれていた。

②その後、歌と訣れ、専門である「農政学」に邁進する。

③しかし、そこに限界を感じ、後に民俗学として体系化される、日本の各地の土地に根付いている民衆の伝統や慣習の究明に入っていく(民俗学以前)。

④最後に、南島の発見を契機に、それまで収集した知を「民俗学」としての体系化していく時期が到来する。


という流れで整理ができる。そこには、全体として「他界願望(①新体詩、③民俗学以前)」と「経世済民(②農政学、③民俗学以後)」の往復と高まりが見られる。


〇柳田没後から現在までの流れ


・前期:1960年代から70年代は安保運動やその挫折から日本社会を内在的に理解する必要を感じた人々の間で読まれた。


・中期:1980年代でも柳田の思想や見識は高く評価された。教育学に受容される一方、1990年代は植民地行政などの観点から批判もされた。


・後期:2000年から2020年代に入ってなお、柳田民俗学や柳田國男の思想に関する著作は生産され続けており、再度全集が刊行されるなど柳田に関する探究は盛んに行われている。


〇質問①:なぜリベラルは合理的な思考にこだわるのか?


・「リベラル」は自分の「理性」に自信があるため、無意識的なもの、合理的でないものに対して不信感、不満を持つと考えられる。だから、「伝統、習慣」などに否定的になるのではないか。そして、意識して学べないものは、「排他的」だと考えるため、グローバルで普遍的な秩序形成にこだわることになる。


・一方、保守思想は、人間を必ずしても合理的な側面だけで捉えない。それは、集団においても同じで、政治はまさに、多くの人を「動員」しなければならず、それは、合理的な制度や作為だけでは不可能である。よって、秩序形成についても、各国の文化、習慣、伝統などを前提とし、「各国からなある世界」というビジョンを持つことになる。


〇質問②:「国際化ビジョン(各国からなある世界)」は対外的に受け入れられるものか?


・「グローバルビジョン」からすると、移民受け入れが肯定される。しかし、「国際化ビジョン」においては、移民しなくてよいような「国作りの援助」が肯定される。どの地域においても大多数の庶民は、自国を経済的な理由で離れずに、生まれ育った国で暮らしたいのと望んでいると思われる。よって、このビジョンは大いに共感を得ると思われる。


〇質問③:柳田の文章を読んでいると、本質に届きかかっているのに、それを直截に述べることを避けるような印象を持つことがある。その原因はなんだと考えているか?


・推測ではあるが、自分の主張を展開するよりも、全国に民俗学を広めることが第一の目的であり、その基盤を作るために、なるべく敵を作りたくなかったと考えられる。


〇質問④:現在、日本全国の学校で廃校が推進されているがどう考えるか?


・戦前から90年代前半にかけて「国作りパラダイム」が流行っていた時代があった。しかし、それ以後は、いかに国際市場にどう連結していくかという「グローバル化パラダイム」に席捲されている。学校はコミュニティの核であるため守っていく必要がある。そのためには「国作りパラダイム」の復活が必要である。


・質問⑤:他者をおもんばかる日本型の道徳は国際的に理解されうるものか?


・他者の気持ちを理解できることに重きを置く道徳は、西洋においては「ケアの倫理」という文脈に置き換えて理解することができる。文化によって「成長の理念」に違いがある。日本においては、自己主張を重んじる西洋型の道徳を規準にもってきてしまうと、齟齬をきたすのではないかと考えている。


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以上になります。この後は懇親会も開かれ、1次会、2次会ともに20人ほどの方が参加され大いに盛り上がりました(この直接の社交が表現者塾の醍醐味でもあります)。


ところで、私は今回の講義を聞いて、施先生にはるばる九州からお越しただき、柳田の思想や国家構想について語っていただいたことと、柳田が民俗学普及のために全国を行脚していた取り組みと重なるところがあると感じました。


どちらも、将来の「日本及び日本人」のため、過去の遺産を振り返り、後の世代に伝達し、これからの国作りに生かしていくための材料を残すことに献身しているからです。


そのような思いを受け止め、今回教えていただいた「保守思想」と「柳田民俗学」の接線を意識して柳田の著書に当たり、そこから学んだことを、今後も信州支部の活動を通じてこの地域に発信していきたいと考えています。


ということで、今後も信州支部の活動にご注目いただき、関心のある企画がありましたらご参加いただければ何よりです。

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