top of page

保守思想は死ぬ運命にあるのか? 後編

【コラム】 東京支部 K.T(都内医師)

 前編では、人々がバラバラに暮らすようになる近代化が進むと、保守思想の前提となる「人々が伝統的な良識や文化を共有していること」が失われることに着目した。そうであるならば、西部邁氏が述べていた「文明に共有された、根源的なセンチメンツを拾い上げる」という保守思想の流儀は実行不能になり、保守思想は死ぬ運命にあることを述べた。 (https://mapi10170907.wixsite.com/---linkage/post/保守思想は死ぬ運命にあるのか?-前編)


 表現者クライテリオンの編集員や寄稿される先生方の中には、保守思想の荒廃や劣化を危惧される声は少なくないが、それがそもそも近代化によって人々がバラバラになることに押された結果であるのならば、この当然の帰結にどのように対策を講じるべきかを考える必要がある。


 さて、人々がバラバラに暮らすようになると「文明に共有された、根源的なセンチメンツを拾い上げる」ことが難しくなるという問題にどう対応するか。いくら時代が進んでも、人々が共有できるものがあるのか?を探ることはこの問いに対する答えを示唆するだろう。私は、現代の日本人にとっては「日本人であること」と「人間であること」の二つのみが共有され続けると考える。


 日本人であることは、仮に日本的であることが良くないことと考える進歩主義者がいたとしても、日本人として日本国内にいる限りにおいては逃れられない事実となる。日本的なものをできるだけ排して、欧米流の価値観やライフスタイルをできるだけ模倣して暮らしていたとしても、日本人として日本に生きていることのであれば、「日本人であること」のアイデンティティが消えることはない。


 この構造が最も顕著に出るのは、危機と言語であると私は考える。危機は、個人レベルから国家・世界レベルまで様々なものであるが、概して本人のこういう快適な生活をしたいという設計から逸脱した形で現れる。それは個人の生活の内部・外部いずれの偶然性の発露であったとしても、本人のコントロールできないものが顕現したものとして外部性がつきまとう。つまり、危機とは「遭遇し、巻き込まれる」ものである。この巻き込まれるという経験は、一人では生きていけないという人間の性を突きつけるものである。危機を生き残るために、人間が共に助け合って生きなければならないという状況は、人々が相手の行動を予測し信頼することを可能にするために有用な「共有する価値観」や人々が共に助け合うために「共に創り上げる公的制度=国家」の必要性を際立たせる。ここに、表現者クライテリオンの編集委員が「危機と対峙する保守思想誌」と位置付けた必然性が浮き彫りになる。

 ここでは深く論及しないが、現代の不確実性の根本的な原因に近代化があることを考えると、危機に対峙することで保守思想を生き残らせようという試みは、鮮やかなカウンターである。保守思想とは、文化の形成であり、それは人々の生き残りの血と涙の結晶であることを思うと、思想のための思想として空論化することも防げるだろう。


 また、このような思考・コミュニケーションは日本語によって行われる。日本語自体が変化するとはいえ、この日本語自体が持つ特徴に日本人の人格の特性は影響されるのである。


 次に、「人間であること」である。生物学は、全世界が際立って多額の投資を行い続けている研究分野であり、その進歩は文明の力に支えられて目覚ましい。私は、医師として生物学を生業としているが、生物学が「世界観」や「価値観」に与える(潜在的な)力は絶大であると確信している。そして、その可能性は年々飛躍的に向上しているのだ。


 私は、ヒトの教育の会というNPO法人で活動している。NPOでは、生物学的な立場から「人間の心がどのように働くのか」の解説を行い、教育者のみなさんと人間教育のあり方について研究会を行っている。医師として人間教育に貢献することを目指す時、いつも考えることは目の前の子供、人を「私と別」のものと捉えるのではなく、私と同じ人間(になる子供)として信じることである。非行を犯した少年、いつも不平不満をいう人を社会の問題として、自分達の外側に置くのではなく、彼らも私たちと同じ原理で心が働いていることを忘れてはならないのである。

 

 「私もあなたも同じ人間である」ということは、いったいどんな意味を持つのか?それは、この宇宙の力によって物質から生命が生まれ、38億年の進化を経て人体となって生きていることである。この38億年の進化によって形成された人体という凄まじく精巧なシステムは、「心で生きる人間としての生き方」を志向しているのである。このことが、現代の科学によって論証できるようになっているのだ。


 生命が宇宙の物理化学法則のどのような力によって誕生し、進化してきたのか、さらには人体を形成しているのか、人体がどのように心を創り出して「私たちを生かしているのか」を現代の科学は原理的に説明することができる。私は、これらを「生命力と人間」と題したビジョンにまとめて、NPOで講座・研究会を行なっている。 https://d.kuku.lu/8fd6c0377


 人間は人体が動く「4つの歴史の力」で生きている。この4つの力は、私たちを生かし、守るために働いている。


 一つ目は、宇宙の力である。生命が誕生し、進化することを可能にしたのは、我々の宇宙にこれを可能にする性質があったからに他ならない。物理学は、物質の根源を探究する。その先に見えるのは、因果関係では説明できない世界である。この世には安定した時空間・粒子は存在しない。揺らぎの中の相互作用の中で、私たちが生きている現実世界は「現象」としてのみ存在していることが分かる。現実を創り上げる働きあっての現実なのである。

 こうして現象する物質・時空間の中に、物理学と化学は法則を見出そうとする。しかし、もし全ての物質が法則に完全に従って動いているのであれば、その法則によって説明可能なレベルを超えた複雑な世界は広がらないことになる。

 この問題に対して、イリヤ・プリゴジンという化学者は、「ポアンカレ共鳴」という共鳴現象を発見した。波の性質を持つ粒子は、他の粒子と振動数が近い時に共鳴現象を呈する。この共鳴現象の運動方程式には、二つの粒子の振動数の差の逆数が登場する。振動数の差が極限にまで0に近づく(一方がもう一方を追い抜く)と、振動数の差の逆数は無限に向かって発散する。こうすると、計算不能になる。共鳴現象において、宇宙は未知に向かって「法則を乗り越えて」突き進んでいることが明らかになったのだ。こうして、物質同士が相互作用し、複雑になることが可能になる性質が、宇宙には存在することが明らかになった。


 この根源的な力によって、宇宙は生命をつくり上げることができた。


 これらの性質の宇宙では物質は複雑なネットワークを形成することができる。物質が助け合うチームになることで生命は誕生した(集合的自己触媒集合、ここでは詳細は割愛)。地球上で最初の生命=LUCA誕生以降、生命は一度も絶えることなく、幾度もの大量絶滅の危機を乗り越えて子孫に命を繋いできた。38億年の進化の歴史は、生き残りの歴史と言えるだろう。これらの危機を乗り越えるために有用な身体の機能が人体にまで受け継がれているのである。「38億年の進化の力」、これが二つ目の力である。


 三つ目は、「人類・先祖の歴史の力」である。これはまさに保守思想の根幹に通じる。人間の脳は、言葉を獲得することを前提に作られている。言葉を用いることで、多様な生活様式を可能になるからである。言葉を用いることで、より複雑な行動が可能になり、今何をすべきかを適切に予測できるようになる。人間の脳の「予測」機能は、言葉に支えられている。そして、この言葉は先人から受け継ぐものである。言葉は、自分で創り出すものではなく、生活の中で獲得していくものである。脳科学は、「情動」は「言葉」を獲得しなければ生まれないものであることを明らかにしている(構成主義的情動理論)。


 さまざまな試練を先人たちは生き抜いてきた、それが言葉・文化を生み出す力になった。脳は、生き残るために何をすべきかを予測し続ける臓器である。言葉は、人間が生き残るために機能するから使われて、受け継がれるのである。その言葉の持つ意味には、民族の生き残りの叡智がつまっているのである。言葉を学び、体得していくことが脳の予測の方向性を変えて、人間としての成長を促すのである。これは、決して個人だけの力ではなく、人類全体の力、親・共に生きる同胞すべてを含む先祖の力である。


 最後の力が、「人生の力」である。身体は、全身で人生の出来事を記憶する。例えば、怖い経験をしたら、それを思い出すと体全体が重くなって震えることがある。身体は、脳だけで覚えているのではなく、私たちの人生の様々な出来事を覚える。そして、状況に応じてこれからどうしたらいいのかを予測して、備え、私たちに行動を促すのである。人生で様々な苦労をして、様々な人と触れ、様々なことに思いを馳せ、毎日を生きていくことで、私たちはヒトから人間になることができるのである。


 宇宙には生命力があり、生命力は人体を通して私たちを人間にしようとしている。人体は、私たちを人間にすることで、「守らなければならないものを守り」、子孫に命を繋ぐことを目指しているのだ。私たちは、たとえ一人でいるときも一人ではない。これは比喩ではなくて、生物学が明らかにする事実なのである。生命の力、宇宙の力、文化の力、人生の力が私たちに「守るべきものを守るため」に働いているのだ。この力強い力を生かして、天寿を全うすることに人間の生きる道が見えてくると私は思う。

 

 心を思いのままにしようとするのではなく、人体全体が人生を突き動かそうとする力に耳を澄ませたい。きっと、一人で生きるのではなく、共に生き、未来に向かって守るべきものを守る生き方に繋がるだろう。私たちを生かしている力を実感するからこそ、自分を信じ、他の人を信じることができる。こうした実践に、どうやら人間は「本来の生き方」を感じるようである。


 保守思想は、死ぬ運命には決してない。人間として生きていくということを、探求し、学び、感じ、実践すればするほど保守思想の理想に近づいていくだろう。人間として生まれ、命を繋いでいく。これが全てというべきであろう。



閲覧数:144回

1 Comment


Guest
Feb 17, 2023

宇宙を神と言い換えるなら理解出来なくもないですが、ただの物質で意思を持たないものが、意思を持つ人間を創り出せるとは思えないんですよね。何千年、何億年掛かって奇跡的に生まれたというのはファンタジーだと思います。

Like
bottom of page