保守に改革は不可能だろうか ~ 正統な保守および成熟した国家になる為の二律背反 ~
- hikanore
- 2023年4月2日
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更新日:2023年6月5日
【コラム】 東京支部 日髙 光
2015年春頃、私は表現者塾で初めて質問の手を挙げた。その内容を一言で言うと「成熟した国家とは一体どの様なものか?」といったものだった。
西部先生は質問に対し、何故か名誉革命の話を始めた。名誉革命についての具体的な事は言わなかったが、ただ只管「あれは本当にうまくやったものだ」と当時のイギリスを称えた。
当時の私には意味が解からず、質問の経緯がその回の講師であった榊原先生による国家や経済に関する主張に対して幾らか批判的な内容だったのもあり、上手くはぐらかされたのではないかとも考えたが、今思い返すと実に西部先生らしい良い回答だったと思う。
現代日本が抱える様々な課題、およびその解決への道を考えた時、この解答の意味する事や、その延長線上にある話が保守的な人間にとって非常に重要な内容だと考えるに至ったので、それについて書いてみる事にした。
名誉革命といえば、保守思想の祖とされるエドマンド・バークが、そのきっかけとなった著書「フランス革命の省察」にてフランス革命の比較対象として大きく取り上げた革命である。
仮にフランス革命を未熟な国家の営み、名誉革命を成熟した国家の営みであるとし、これを軸としたフランス革命批判が「フランス革命の省察」だとすれば、この本には保守と成熟した国家の二つを同時に理解する鍵があると思われる。
ここで革命や保守とはどのようなものだったかについて、ざっと振り返ってみよう。
そもそも改革だ革命だというものは、基本的に現状に不満を持った急進派がやるもので、良くも悪くも安定した社会を素直に味わい生きている保守的人間が企むような事ではない。
保守的な人間は急進派が主張しがちな新しい理論を簡単には信じる事が出来ない。急進派が言う様な理想的展開がその通り実現すると俄には信じられず、それらを一度引き取って慎重に検討するか、時に最初から拒否してしまう事すらある。
合理的説明だとか、幾らかの利便性だとかいう浮ついた部分的進歩の約束よりは、全体の見通しが立ちやすい今までの生活を大事にしがちである。
では、そんな保守的な人間の一人であり、またその思想的祖の座に就いたバークは一体どんな理由で名誉革命を支持したのか?
十七世紀後半、イギリスは清教徒革命後のクロムウェルによる独裁をようやく脱して、正統な王位継承者であるチャールズ二世を迎えた。しかしイギリスの民衆や議会の多数派が英国国教会の信徒なのに対し、長らくフランスに亡命していたチャールズ二世および弟のジェームズ二世はカトリック教徒であった。(王達の信仰については諸説あるのだがここでは省略する)
清教徒革命の経緯も踏まえ、絶対王政の復活を警戒し、またカトリックの復興も警戒していた英国民および議会と国王チャールズ二世の関係はギクシャクしていたが、弟のジェームス二世に王位が継承されてから、いよいよ問題が表面化し、国王の権限と称して法律の勝手な執行や停止を乱発し、大臣のポストに次々とカトリック教徒を強引にねじ込み、常備軍の設置や徴税・裁判・議員や陪審員の選任・教会への干渉などにおいても法的根拠のない権力の濫用を繰り返した。
これだけの事態を前にしても一応イギリス王室の正統後継者という事で擁護する声もあったが、世継ぎに恵まれなかったジェームス二世に嫡子が生まれた事を切っ掛けに、カトリックの王の横暴も当代限りと思って耐えていた国王擁護派も反対派に合流し、オランダに嫁いだプロテスタント信者の王女メアリー二世およびオランダ総督ウィリアム三世を新王とする革命に至った。
それでもやはり英国議会にとってこの革命は後ろめたく、歴史的に危険である自覚が在ったようで、過去の王位継承との齟齬が極力生まれないように、また敢えてこの革命を起こさざるを得なかった理由としてのジェームス二世の十二種類の悪行を書き記した権利の章典が、王位の継承や国民の権利に関する法律として作成された。またその法律は過去の法律の文言をそのまま採用するなどして、可能な限り過去の立法者たちの意志を引き継ぐ態度を示した。
それが本当に全て正しかったかは解らないが、この急進的な中にも見える歴史・伝統を重視し可能な限りそれを残そうとした態度、少なからず急進的にならざるを得なかった理由まで記録に残す真摯さ、そして元々あった様々な党派の対立を議論による合意にて乗り越え、極めて少ない犠牲で革命を成し遂げた点に、保守的な・成熟した国家の姿がある。
その姿に倣うべきところ多きが故に、西部先生はこれを成熟した国家とは何かについての解答としたのだろう。実際、理想と現実の間で悩みに悩んだ保守的人間の選択として、非常に優れたものであったように思われる。
ここで、我が国の現状に目を向けてみたい。
大東亜戦争の敗北を期に生まれた戦後憲法、急激な近代化の中で分断され続ける都市部と農山漁村、間違った理論の一貫性に基づいて作られた混沌とした経済およびその法制度、それら全てが原因となって失われゆく伝統、現代日本には急を要する大規模な改革がそこかしこで必要になっている。
その一つ一つについて、名誉革命の様にその歴史的経緯や事実の羅列、どうしてもそうしなければいけない理由について、一つ一つ調べ上げ、列挙し、可能な限り歴史と伝統に反しないよう注意した上での改革案を作る事が、保守派に不可能であろうか?
また、その答えが整った暁には、まさに革命の如く事を運ぶことは保守派には許されないだろうか?
私自身はこれは可能であり許されるものと考えているのだが、こうした問題提起をした際、少なからぬ人々から、主に福田恆存の名文 私の保守主義観 を根拠とした反論が為された。
私の保守主義観 は保守派には比較的知られているし、国会図書館などで検索すればすぐに読める5ページほどの短い文章なので、詳しい内容についてここでは解説しないが、これを基にした人々の反論は次のようなものであった。
・保守派とは、慣れ親しんだ伝統的社会に改革の火の手が上がるのを見て、初めて自分を保守派と認識する様な存在であり、自ら改革を行おうとするようなものではない。
・保守派は合理性に傾倒してはならない。人間は少なからず非合理的な存在であり、それ故に合理的な計算に基づいた改革論は不確実性が高く信用に値しない。また急進的であるが故に失敗した時の影響も計り知れない。それを警戒してこその保守である。
・保守派は態度によって人を納得させるべきであり、イデオロギーによって承服させるべきではないし、そんな事を出来ない者である。
・大義名分は改革主義のものである。保守派が大義名分を掲げるという事は、それによって隠さねばならない後ろめたい何かがあるものだ。
…これらは一応 私の保守主義観 に書かれた内容を反映してはいるし、実際保守にはそうした面がある。しかし、ここで私は西部邁著 思想の英雄たち にあるハイエクによる保守派批判と、それに対する西部先生の批評を引用・紹介したい。
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私がこの中間の書(ハイエク著 法と立法の自由 を指す)において注目したいのは、その末尾に加えられている 追論・何故私は保守主義者ではないのか という章である。
そこで彼は保守主義をごく通俗の意味で定義し、自分の唱える自由主義がそんなものとは異なるのだと主張している。
(中略)
彼が自分は保守主義者ではないと言い張るのは次のような意味においてだけである。
彼にとっての保守主義は「現在の世界をあるがままの状態に保っておくこと」であり、それに対し自由主義は「進化としての変化」を受け入れるものである。
(中略)
保守主義者には「新しいものそれ自体にたいする臆病なほどの不信」があると彼はみる。この不信のために、保守主義者には「変化を妨げる為に…政府の権力を使用する傾向があり」また「保守主義者の第一の望みは、賢人と善人が支配する事である」というのだ。
さらに保守主義者には「特定の確立した階層秩序を擁護する傾向があり…(経済政策については)保護主義的であり…(知的活動については)非啓蒙主義的であり…(外交においては)国際主義にたいする敵意と耳障りな民族主義の傾向(がある)」と彼は言う。
何という大雑把な保守主義の定義である事か。こんな定義はアメリカや日本の大衆の耳にはすぐ届くであろうが、伝統の事を少しでも真面目に考えた事のあるものなら、それをアメリカン・リベラルの曲解にもとづく保守主義の定義に過ぎないと一蹴するのではないか。
なぜなら、因襲と異なるものとしての伝統とは、新しいものの適否を見分ける仕方、権力における過大と過少の間で中庸を保つ仕方、競争と保護の間で平衡を持す仕方、理性の啓蒙的側面と錯乱的側面を区別する仕方、そして国際主義における世界連邦主義(コスモポリタン)と民族(或いは国家)主義の間の分裂に堪える仕方といったような事を意味するのだからである。
~思想の英雄達 231.233.234Pより抜粋・引用~
…これを読んでいる皆さんはどう思うだろうか?私は「私の保守主義観」を根拠にした改革への反対論者の保守に対する理解と、ハイエクの保守に対する理解はかなり共通し近いものがあると考える。
そして西部先生はそんな発想を「大雑把」「アメリカン・リベラルの曲解」と一蹴したのである。
実際、福田恆存の真意もその「アメリカン・リベラルの曲解」とは異なる。断言してもいい。
福田恆存という傑物を理解するのは容易ではないし、私自身彼を本当に理解したかと言われればYesとは言えないが、そんな彼および彼の保守思想を理解する為の重要な手掛かりを得る事は出来た。
西部先生が残した著書の一つ 思想史の相貌 の最後に福田恆存の章ががある。ここで 保守思想の神髄 として紹介される福田恆存を彼は 二律背反の人 と呼んでいるのだが、この二律背反こそが福田恆存および保守思想の神髄を掴む為に最も有用な手掛かりになる。
福田恆存は言う。「人々の考える事で容易に決着のつく事、一の正しさが他の誤謬を証明するようなもの、それらは悉くつまらぬものでしかない。思想史は無数の矛盾撞着にみちみちている。気のはやい思索家はそのことを自己の懐疑思想の動機とする。が、これほどばからしいことはない。ぼくは相反する思想に満たされた二千年の思想史を、その矛盾ゆえに信ずるのである。それらは互いに矛盾するものであるが故に思想であり、思想であるが故に今日まで残っている。その時その時に決着され解決されてきたものは、半世紀の命を保つ事すら珍しい。」~福田恆存 1匹と99匹と より抜粋~
保守が残り続けるに足る思想であるなら、これにもやはり矛盾がある筈である。この時「私の保守主義観」を、一の正しさが他の誤謬を証明する様な、容易に決着が付くような、そんな受け取り方をして良いだろうか?そんな単純な保守に対する解釈が福田恆存の真意であるなどと、どうして信じられようか?
更に、思想史の相貌における西部先生の福田評を引くと「神が死んだといわれるこの時代において、神の観念へと上昇していくはずのものとしての理想のことを、福田恆存ほど一貫して議論した人間がどれほどいるだろうか?福田恆存の精神はいつも変わらずにラディカルであった。たんに根底的という意味だけでなく、神への飛躍をおそれないという意味において急進的ですらあった。」とある。(思想史の相貌249.250P)
実際、福田自身が神の問題について自分は急進的であるとし、相当程度キリスト教を意識した主張をしているのだが、そんな彼の保守思想を「アメリカン・リベラルの曲解」のような保守主義観を持つ人々は理解しているだろうか?私はそうは思わない。
私が福田恆存の著書に手を伸ばした理由、またこの文章をはじめとした幾らかの記事を書こうとした理由も、彼らのあまりに単純で原理主義的な、柔軟性に乏しい軟弱な保守思想観が、西部先生をして保守思想の神髄と言わしめた福田恆存の真意だなどとはとても信じられなかった故、これを確認し、それが真に指し示す所を人々に訴える為であった。
…もっとも、福田恆存は政治の言葉で文学を語る事、あるいはその逆を非常に強く警戒した人でもあるから、彼の発言の一つ一つが文学の言葉であるか政治の言葉であるかといった事には細心の注意が必要であり、あまり断定的に言い過ぎるのは私にはまだ早いかもしれない。だが少なくとも保守思想が多くの矛盾を孕んだ複雑なものである事は間違いないのだ。
絶望的な日本の現状を何とか打破しようと足掻く人々の努力に対し、少なからず冷笑的な態度で保守を語る者達の保守に対する甚だしい曲解を今更矯正しようなどとは思わないが、どうしようもなく動き続ける我々の社会と政治を考えた時、彼らの言葉に惑わされてしまう人々があるとすれば、これを見過すわけにはいかない。保守派は彼らが思うよりも、もっとずっと幅広い選択肢を持っている。
その心に神の如き偉大な何かへの信仰を宿すものであれば、滅びゆく運命に抗わず、悲劇へと呑まれていく大切な人々を救わずに諦める筈は無い。そうであるならば、なんとしてでもそれを回避すべき道を探すべく、歴史や社会・科学技術などあらゆるものを頼るだろう。その結論が急進的な改革を避けられないとして、それが保守派に出来ないなどと、私は絶対に諦めない。諦めるべきでないと確信する。
そして、エドマンド=バークから時代と場所を超えて福田恆存・西部邁へと受け継がれてきた保守思想にはそれが出来るし、やるべきであると私は皆に訴えたい。
西部先生は「もはやこれまで」などと繰り返し口にしてはいたが、本当にそうなのか?「もはやこれまで」は保守思想の限界から来ているのか?絶対に違う。
「もはやこれまで」の原因は、我々の知的・精神的・肉体的怠慢に他ならない。そうでないならば私には西部先生の著書の内容や書いた理由がまるで解らない。バークにしてもフランス革命が発生した事自体よりは、その内容や主張の幼稚さ・拙さ・杜撰さ、何より歴史や神に対する冒涜の罪深さを強調していた。
漸進主義も懐疑主義も保守ではない。西部先生の言葉どおりなら、保守主義はあらゆる主義を否定する主義であり、その筋から言って漸進主義懐疑主義は保守主義の構成要素たり得ない。あくまで漸進的・懐疑的態度が基本姿勢であるという事に留まる。
福田的には漸進と急進、懐疑と信仰の二律背反の中で、ただ単純な中間点を目指す為の凡庸な発想とは異なる、適切な平衡感覚の導く場所を探してこその保守であろう。
保守派に改革は可能である。善き前例も存在する。あとは我々がこれを如何にして成し遂げるかが問題である。その為の勇気と蛮勇をはき違えない為の保守思想を、我々はよく学び腑に落とす必要がある。
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