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フットボール、グローバル経済、地域への愛情

【コラム】 東京支部 浅見 和幸

 世界で最も愛されているスポーツ、フットボール。単一競技ながら地球上最大規模で開催されるワールドカップを例に上げるだけで十分な証明である。また2024年は、欧州では「EURO2024」、南米では「コパアメリカ2024」というW杯並みのビッグイベントが開催され、世界中のフットボールファンは固唾を飲みながら「結果」を追っている。


 そんな世界一の人気スポーツに”お金”が黙っているわけがない。以前は欧州と南米で「覇権」を争っていた競技構図が、米ソ冷戦終結後の1990年以降に変わっていく。

 冷戦後に軍事・経済一強となりながら「サッカー不毛の地」と言われた米国において1994年にW杯が開催。大会総入場者数、1試合平均入場者数共に未だに破られていない、大会史上最高記録となる大盛況振り。更には日韓、南ア、カタール開催といったグローバル開催の先駆けとなった。競技がグローバル化し人気と注目が増すのは金の成る木を生むことなのか、選手の年棒、移籍金、グッズにチケット代、そして放映権料が、以降に鰻登りに高騰していく。遂には昨年、日本代表のW予選の数試合が放映権高騰を理由に地上波で放送されなかったことは記憶に新しい。


 世界の人気クラブは大富豪に買われていく。勝利でクラブの価値を上げて新たな買い手に売りさばく。クラブは大富豪オーナーとっては地元サポーターへの愛情など関係のない、単なる投資対象でしかないのか?クラブの価値評価に直結するのが「勝利(タイトル)」。故に今度は勝利至上主義が加速する。勝利の為にチーム・監督は、ボールを扱う技術より、規律を求めアスリート能力を重視して選手を揃える。試合はボール保持者にプレッシャーを掛ける。特にボール保持者がキーマンに場合によっては複数人で潰しにかかる。要は考える時間と場所(スペース)を与えない。

 2000年初頭にレアルマドリードがフィーゴ、ジダン、ロナウド、ベッカムといった当時のスーパースターを軒並み獲得し「銀河系軍団」などと称され一世風靡したが、華麗な足技で観衆を魅了する「ファンタジスタ」(想像力溢れた多芸多才な選手)より、現在は指揮官の指令に忠実にマシンと化せる選手を集めた方が勝利に近づけるのだろうか?


 そんな状況に辟易してか、近年かつての名選手達が現在のフットボールに対して「退屈だ」「ハイライトで十分」といった苦言を呈する記事を目にすることが多い。私が目にしただけでも、ピケ、グティ、ロナウド、トッティ&中田英寿、プラティニ。極めつけが、コパアメリカ2024でウルグアイを率い王国ブラジルを撃破した、”狂人”の愛称の名将ビエルサが、サイト「GOAL」で発信された意見。次に要約するが、哲学的でもあり大変興味深い。


 「”フットボールがなにか”を想像して欲しい。フットボールは5分間のアクションではなく、もっと多大なる何かだ。これは文化やアイデンティティーの形を表明するものだよ。更にはフットボールは大衆のものに他ならない。何故なら貧者は幸せに近づける力が足りない、幸せを買う金が無いからだ。だからこそフットボールは大衆のものであることを起源として存在したのだが・・・貧者が保つことの出来たわずかなものの一つであるフットボールは、もう彼等に属していない。何故なら17歳のエンドリッキ(ブラジル期待の選手)は欧州(レアルマドリード)に移籍してしまう(南米は欧州の青田買いに太刀打ち出来ない意味)。私がこんなことを話さなくてはいけないのは辛い。批判しかされないわけだからね」


 フットボールだろうが何だろうが、”金の匂い”がすれば海山を超えて飲み込んでいくグローバル経済。五輪やW杯のような大きな国際大会となると最も大きな金の成る木であるライブ中継が行われる。国民の目に触れるとなると普段は競技に興味がなくても「国」を背負う選手達を応援したくなるのは万国共通だろう。


 五輪やW杯、野球のWBC等が、たとえ薄っぺらなお祭り騒ぎであっても「日の丸」を背負う選手を応援し、「日本人であること(アイデンティティー)」を国民に感じさせる機会を与えてくれる。「愛国心」を卑近に落とせば「地域」「土着」だろう。地元の文化やアイデンティティーを感じながら、自分の根をしっかり地域に降ろす。そして自分の役割を全うしながら日々を暮らしていく。たまにスポーツ等から高揚を頂きながら。

 グローバル経済は国境を潰すことはできたとしても、世界各地の「地域への愛情」はそう簡単には潰せないだろう。

 もうすぐパリ五輪が開幕する。五輪を通じて感じる押しつけがましい”何か”に違和感はあるが、たまには競技を観戦してみようか。

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