お金を落とすべきところ
- mapi10170907
- 2月17日
- 読了時間: 4分
【コラム】 岐阜支部 髙江 啓祐(公立中学校教諭)
1986年岩手県生まれ 愛知大学文学部卒業。
令和6(2024)年7月末、岐阜県最後の百貨店である岐阜髙島屋が閉店した。目に涙を浮かべて別れを惜しんだ岐阜県民もいただろう。
だが、筆者は岐阜県に長年暮らしている人々に問いたい。岐阜県民は果たして晩年の岐阜髙島屋をどのくらい利用していたのだろうか。
筆者は岐阜県で生活し始めてまだ数年しか経っていないが、岐阜県内の繁盛しているショッピングモールをいくつか知っている。
岐阜髙島屋の例に限らず、日頃は便利な方を利用しておきながら、いざそれが消滅することになると急にそれへの愛着を語り出す人がいるけれども、はっきり言って見苦しい。
今年はこんなこともあった。岐阜県在住の筆者から横浜市在住の知人へ、郵便物を送ったときのことである。
岐阜から横浜なら、恐らくは2日もあれば届くだろうと思って、水曜日の朝、普通郵便としてポストに入れた郵便物。
読者は、横浜に届いたのはいつだったと予想するだろうか。その郵便物は、届いてほしいと筆者が考えていた金曜日の夜になっても届かず、翌週の月曜日にようやく相手の家に届いたのだった。
今は便利な時代で、インターネット上でこちらと相手の郵便番号を入力すれば、到着までの予想日数を知ることができる。後の祭りだったが、投函後に調べてみると、筆者の自宅から相手の住む地域に普通郵便が届くのは、「3日後」と表示された。
この経験をする前、普通郵便の配達が1日程度遅くなり、普通郵便の土曜配達もなくなるというニュースは確かに見ていた。けれども、実際に普通郵便を利用してみて、これは非常に不便だと思った。
それほど遠くない地域への郵送であっても、所要日数をよく調べ、土日を挟むか否かまで計算に入れなければならない。それが面倒なら、速達にするしかない。
さらに、令和6年10月1日から、はがきは63円から85円に値上がりし、定形郵便物は84~94円だった料金が110円になった。かなりの値上げである。
そうせざるを得ない理由は簡単だ。我々はいつの頃からか、目の前にいない人との会話にあの長方形の道具ばかりを使うようになった。もちろん、筆者もその1人である。
老舗百貨店の閉店。郵便事業における利便性の低下や料金改定。
それだけではない。公共交通機関の廃線も思い出される。廃線が決まってから寂しさを感じたのでは遅い。利用者が少なければ、存続はできない。
細かいところでは、今年の日本シリーズの地上波中継を見ていた一部の視聴者が、勝利監督のインタビューを放映しなかったテレビ局を批判したらしい。
けれども、我々は昨今どの程度地上波を見ているだろうか。地上波にかつてのような充実した放送内容を求めるなら、日頃からたくさん視聴して応援するのが筋だろう。
こういった事例を見ていくと、我々はちょっと日々の暮らしを見直したほうがよいのではないかと感じる。
便利なものは確かに便利だ。全く利用しないわけにはいかない。けれども、便利さの一方で苦境にあるものにも目を向け、それを利用する、そこにお金を落とすといったことも必要ではないだろうか。
例えば、年賀状。近年、「年賀状じまい」とか言って、「今後は送りません」という年賀状を送る人が増えているそうだ。
実に寂しい話である。
かつては、年賀状だけで繋がっているような人が、もう少しいた。年賀状は、全然やり取りしなくなってしまった人と繋がるチャンスという意味もある。
住所が分からなければ、それこそSNSなどを使って尋ねればよい。それが疎遠になっていた人との会話のきっかけにもなる。胡散臭い人には教えなければいいだけだ。
葉書を買うお金がもったいないとか、書く時間がないとか考える人もいるだろう。しかし、コンビニへ行けば新年の干支のイラストが描かれた葉書が並んでいるし、1枚85円の葉書で人と繋がれるなら、筆者は高い出費とは思わない。
お金を落とすべきところに落としませんか。年賀状ぐらい出しませんか。
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