お祭りに参加して気が付いたこと
- mapi10170907
- 6月20日
- 読了時間: 5分
【コラム】 岐阜支部 林 文寿(NPO職員)
前回の投稿「お祭りの練習で気が付いたこと」の続きの内容となります。
令和7年4月13日に岐阜県中津川市蛭川の杵振り花馬まつりが行われました。
当日は生憎雨の天候となってしまいましたが、12時過ぎに出発。途中休憩を挟みつつ、踊子は踊り、お囃子部隊は音楽を奏で、獅子舞隊は練り歩き蛭川街道を進んで行きました。
私は道中で日本酒が効いてきて、雨の寒さも気にならなくなり、いい気分で太鼓を叩きました。本体が神社境内に入る頃には雨も止み桜の花びらが舞う中、社へたどり着きました。そして最後は花馬が階段を駆け上がり、今回のお祭りを無事に奉納がする事ができました。
観客として眺めるお祭りの風景も楽しいものですが、祭りは参加してその内側から見るのがやはり一番だと感じます。脳内にアルコールが回って正常な判断を欠いている事実はあるのせよ、祭りの最中は自分と周囲が一体となる感覚があります。これは日常にはあまりない感覚です。
神へ奉納するという祭りにおいて自分がひとつの役割を与えられて、一歩一歩その場面に近づいて行くこと。その喜びを感じていたように想い返されます。恐らくはそれを意識している参加者は皆無だったと思いますが、皆がやり切って満足気な顔をしている。喜びに満ちていた時間がそこにはありました。
分析してその喜びの理由に様々な理由をつける事は可能でしょう。しかし、最終的にその理由の行き着く答えは、自分たちが一緒になって“神へ捧げた"こと。それに尽きると思います。
凡そ二百名が其々の一日をお祭りのために使い、一体何を得たのでしょうか。金銭的な見返りを得たのか?自身のキャリアに役立つ知識を身に着けたのか?自分たちが掛けた時間に対する正当な対価があったのかと分析してみれば、その答えは恐らく否でしょう。逆に疲労を得たようなものです。
皆と共に“神へ奉納をした瞬間"に立ち会えたこと。それが対価ではないでしょうか。(それ以上のものを望むのは野暮というもの)その瞬間を創り出すもの、それが神という存在ではないか。そんな気がしています。
また祭り関係者ではない人々がなぜ観客として集まってくるのかを考えた時に、“神へ奉納するその瞬間"に自らも立ち会いたいと無意識に願っているからではないか。そんな人々をも包み込んでしまう大きな存在が神ではないか。そんな気がしています。
何故毎年同じあの場所に祭りをする為に人が集うのかと疑問が湧きました。安弘見神社が何故あの場所にあるのか、不勉強な私はその理由をあまり知りません。
歴史を調べていけば理由は出てくるでしょう。只々、あの場所で祭りを行う理由のひとつは、毎年あそこでやっているから。そうやって決まっているから。お祭りをする場所だと昔から伝わっていて、自分もここでお祭りをしてきた場所だから。案外そんな単純な話ではないかと。自分の中ではそう結論づけました。
私のように不勉強な素朴な蛭川の人々が杵振り花馬祭りに参加しています。昔から人々が神を願い集う場所に、神は存在し、そこに現れるのではないか。そういう意味でこの場所以外に祭りの場はないのです。
この場所であることを神が望んだのか、この地域の伝統がそうさせたのか。私はどちらでも良いのです。自分がお祭りに参加し、皆と奉納する瞬間に立ち会える場所がここにある。それ以上にこの場所がここである理由は必要ではありません。
特定の場所に神が存在するには為には歴史と伝統は不可欠になるでしょう。その歴史と伝統を作ってきたのは受け継いできた人々です。地域に住む人々が神を望んだからこそ、神のための場所を作ってきたのではないかと感じます。宗教的には神が人々にその存在を示すため、特定の場所に人々を集わせていると教義で言っているかもしれません。
どちらにせよ、お祭りという祭事を通じて人々が集うことでしか、皆で一緒に神に出会う事はできないのです。神に出会うために人々は祭り催し、そこに集うのです。
そういった意味において、神という超越した存在が地域共同体には不可欠だったと強く思います。地域で共同体を構成しその核として神がある。神に出会う作業を通じて皆で協力していく動機が作られる。そのお陰で日常の共同体生活がなんとか円滑に廻っていく。そして生きていける。
人が神をコスパで計算するなど許されませんでした。そんな事をしたらバチが当たります。祭りを個人主義的な損得勘定で計り始める人々が増えていく事が、その地域を確実に衰退に導いていくことでしょう。日本の地域に元気がなくなっている理由の一つは祭り(神)に対してもコスパ思考に侵されているからではないかと思えてなりません。
この文章で綴った、杵振り花馬祭りが残る蛭川地域に関しても共同体意識などというカビ臭いものは干上がり続けています。物質至上消費社会の時代において、片田舎の伝統文化を継承していくことの困難さを感じずにはいられません。
しかし、この祭りを1度でも経験した人間は、無意識レベルであっても“何か"が残るのではないか。それが故郷への想いなのか、神への畏怖なのか、なんやら土臭いものなのか…
表現はできませんが“何か"が残り続けると私は思いたいのです。残念ながらその無意識の“何か"がこの地域の衰退を止める手立てには幾分弱すぎるのでしょうか。
ただ、それが弱かったとしても、のっぺりとして無機質で温度の感じられないこの現代社会において、この祭りが熱(誇り)を感じた出来事として人々に残り続ければ良いのではないかとも思うのです。
そんな事に気が付いた今回のお祭りでした。
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