top of page

『蘇る耕作放棄地』『富山県に行って学んだこと』

  • mapi10170907
  • 2024年10月13日
  • 読了時間: 7分

【コラム】 信州支部 長谷川 正之(経営コンサルタント)


■『蘇る耕作放棄地

今年の夏は、灼熱の猛暑。また台風も猛威をふるっていて、古希を控える身として、生きる緊張感を覚える。


そんな今年、自宅の北側にある耕作放棄地を新たに借り、暑さに強いサツマイモを栽培している。


濃緑色の葉が畑一面にジュータンのように敷き詰められ、雑草と共存しつつ自然のパワーを誇示している。時にゲリラ豪雨にさらされるが、生命力に陰りは見られない。


なぜ草ぼうぼうの放棄地をさつまいも畑にしようと行動しているのか、それは、隣家とのお付き合いから始まる。


我が妻と隣家のおばあさんは草取り仲間。時に家の境界線を挟んで手を休め、1時間以上話し込んでいるが、草ぼうぼうで住環境が悪化する思いは一緒、農業委員会等の町行政に直接対応を迫ったこともある。


しかし、らちが明かず、今度は私が行動をせかされる。私は思い切って知人にこの放棄地をみてもらった。彼は、同じ坂城町でサツマイモを生産・加工・販売している事業者で、現場を見るなり「狭いけどモデル的にやってみよう」となった。


ならば、即行動。介護施設に入っている所有者の息子さん(東京在住)の連絡先を何とか探り出して電話し、無料で借りられた。私は一昨年区長を務めたが、放棄地解消に向け一区民としてトライしたいと思ったのだ。知人の事業者にマルチを張った畝をつくってもらい、途中の肥料撒きは私と妻が請け負った。


続く人手を要する苗植えは6月に実施したが、地区PTA会長に募ってもらったお手伝いの家族参加は、当日朝の雨で中止。大人だけで行うつもりが、2家族は自主的にカッパ姿で参加してくれ、子供たちは地元の新聞とケーブルテレビの取材に喜々して受け答えし、張り切って作業をしてくれた。


今後は、10月のサツマイモ掘りだが、楽しい計画を練りたい。ここで、これまでのことをいくつか振り返ってみる。


地域の課題解決、とりわけ放棄地解消に必要と思うポイントは、①所有者の合意の取り付け②農作業熟練者の取り込み③つながる仕組みづくり④住民の連帯と熱き地域愛、⑤不可欠な子供のパワーである。


なかでも感じたことは、③の「つながる仕組み」について。「6次の隔たり」という言葉がある。全ての人や物事は6ステップ以内でつながっているという仮説。


例えば、一人が45人に年賀状を出すと、それぞれが重複しない相手に6回出せば、世界人口81億人を上回る。日ごろの小さなつながり(スモールワールド)が連鎖し、互いの信用をもって広がることで問題を解決できることは、知っておくべきだ。


また、④の担い手は、経験豊富で世代的に増加するアクティブシニア(60代後半から70代)の存在が期待される。15年ほど前に話題となった「3匹のおっさん」という単行本(その後ドラマ化)を思いだす。


地域の課題解決に向け、熱いハートの3人のおっさんが活躍するストーリーだ。


今回は、私と知人の事業者の2人が中心となって地域住民と関わり、「地域の保守」を目指してアクティブに行動している。


最後に、⑤「子供のパワー(感性)」に関連して触れたいことがある。大人になり忘れてしまっているが、大切な「子供の感性」についてである。昔、こんな子供の詩を読んだ記憶がある。


断片的だが、「校庭はせまいな、せまいなと言って遊んだ。」「校庭はひろいな、ひろいなと言って石拾いをした。」。ウーム、子供にとって同じ校庭でも感じ方が違うのだ。


さつまいもの苗植えのテレビ放映で、最後に低学年の男の子が「苗植えの感想」を求められ、笑顔で元気よく言った言葉が私の脳裏に焼き付いている。


その言葉とは、「楽しかったけど、短い」だった。


そう感じてくれて、ありがとう。子供の感性に力づけられ、「地域の保守」を心に誓った。



■『富山県に行って学んだこと

この夏、住んでいる長野県坂城町から北陸新幹線(上田駅―新高岡駅)で富山県砺波市を訪ねた。


私は、大学時代のサークル仲間・K夫妻(50年来の友人)が関わる一般社団法人「Ponteとやま」の活動を前から注目していた(Ponteはイタリア語で橋の意味)。理事のKさん(妻)は、フェイスブック等で精力的に活動を発信している。


子供から大人まで、障害者や健常者が「ごちゃまぜ」で、元気を取り戻す新たな居場所づくりに取り組んでいる。みやの森カフェでの食事提供、シェアハウスでの学習サポート、フリースタイルスクール、就労支援も手がけ、多彩な活動である。


私は、はたして「ごちゃまぜ」は可能なのか? 無秩序なカオス状況にならないか、トラブルは生じないか等、現場を体感したいと頼みこみ、快く受けてもらったのだ。


まず、子供からシニアまで自由参加の会に加わり、食事、遊び(ゲーム他)、会話、カラオケ大会他、楽しい気楽な空間をみんなで楽しんだ。私に話しかけてきた小学校低学年の女子は、自作の陶芸品を披露、名刺を持参して堂々と名のる。正直、驚いた。


また、自慢の山の写真を見せてくれたこだわりの若者。話し始めたら止まらないという青年も爽やかだ。みなさん、何かしら特徴を持っていることが分かる。


カラオケ大会は、子供から若者中心に盛り上がり、私もシニア代表で「手のひらに太陽を」「およげたいやきくん」を歌った(案の定、音程を外した)。そのあと、K夫妻と夕食、いろいろ話に花が咲く。


翌日の午前中は、Kさん(夫)が主導し、就労支援として受託している特別養護老人ホームの草刈り・草集め作業に参加した。並行して受託している施設内清掃作業の開始ミーティングにも同席。程よい緊張感がある。草集め作業は、急な雨が降る中、リーダーの指示のもと、何とかやり遂げた。


次に、みやの森カフェで、いろいろな皆さんと美味しい蕎麦・野菜の天ぷら等を食す。初めて出会った女性たちとワイワイガヤガヤ話しつつ、これからもつながろうとラインを交換する。一緒に食べていると、つながるエネルギーが増すようだ。


アッという間の2日間だったが、感想のキーワードは「一緒に食べる」と「ごちゃまぜ」である。


ここで、「おいしいものを食べる」とは何を意味するか考えてみる。岩崎邦彦著「農業のマーケティング教科書」では、全国の消費者2000人を対象に、


おいしいものを食べると=「     」


のカッコの中に入る言葉を調査した。圧倒的に多くの人が入れた言葉は…「幸せ」である。


「ごちゃまぜ」のみんなで、おいしいと言って食べることは「幸せ」気分を醸しだし、「一緒に食べることは一緒に幸せになることだ」と思うのだ。


各個人の自然治癒力が向上し、相互作用し元気になっていく。「ごちゃまぜの人たちが一緒に食べる」風景はめったになく貴重である。


今の日本は村社会がほとんど崩壊し、私の小さい頃の「近所の家に夕飯を食べに行き来する」ことなど想像できまい。昔は助け合って生きていた。そして、コロナ禍。家の中で黙って一人一人が食べる食事は、「エサ」となり果ててはいないか。


個人の分断が加速し、リスク管理が叫ばれる社会の中で、「ごちゃまぜ」という場は、「積極的な受け皿」をつくる強い意思がないとできないと思う。


この居場所をつくっている二人の中心となる女性、理事長のMさんは学校教諭の経験が長く、また理事のKさんもフリースクール講師の経験が豊富だ。年数を重ねた結果が「受け皿」づくりにつながったのではないか。


二人は、それぞれの関わる子供たちや若者の現状をよく把握していて、その上で「ごちゃまぜ」空間に任せ、運営している。お互いにリスペクトしあい、醸し出す「自然体の愛情」が倍加して、その空気が「持続可能な居場所」を形成していると感じた。


田舎でも失われつつある地域共同体だが、この居場所(受け皿)は新たな「出入り自由な共同体」と呼んでいいかもしれない。「ごちゃまぜ」だからこそ、予定調和でない刺激や学びがそこにはある。そして、さりげない支えあいも。


「だれ一人取り残さない」というキャッチフレーズを連呼する政府や政党。ここには、その具体的な答えがあると私は思う。


今回、貴重な体験をさせてくれた「Ponteとやま」の皆さんに感謝したい。信州に戻り、今後にどう活かすか、あわてず発酵してくるのを待つつもり。


帰りの北陸新幹線内で輪島朝市ビール&能登産ふぐスナックを食しつつ、今回の小体験旅行を締めくくる。そして、車窓に映る我が身を見つめ、思ったことは…「人生は後半戦が面白い」。

最新記事

すべて表示
祖父について

【コラム】 信州支部 御子柴 晃生(いちご農家) 自分の父方の祖父は大正9年生まれ。スマトラに出征し、戦後は多品目の農業で生計を立て、84歳で亡くなりました。自分は平成元年生まれ、高校1年、15歳まで祖父と同じ屋根の下で暮らしました。...

 
 
 
富士山について

【コラム】 信州支部 加藤 達郎(特別支援学校教諭) 富士山を観たときの感動を言葉にすること、その難しさを感じる。 心にはその時の感動がしっかりと残っているのに、いざ言葉にしようとすると、とても難しい。 年末から年始にかけて、静岡・山梨・長野と3県から富士山を観た。...

 
 
 

Comments


©2022 表現者linkage

bottom of page