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『「オクラ」を通して「粘る」を考える』『「正の外部性」が田舎の魅力を引き立てる』

  • mapi10170907
  • 2024年11月10日
  • 読了時間: 7分

更新日:2024年11月24日

【コラム】 信州支部 長谷川 正之(経営コンサルタント)

1955年長野県生まれ 農協職員、県庁職員、市役所職員を経験

長谷川戦略マーケティング研究所所長


■『「オクラ」を通して「粘る」を考える

私のように、定年退職後、田舎で家庭菜園を含め農業に携わる人が少なからずいるだろう。


まわりでも、キュウリ・ナス・トマト・人参・玉ねぎ・ジャガイモ・白菜他、少量多品種を楽しみながら栽培している方が何人もいる。


私もいろいろな野菜を栽培し、取れ過ぎた時はご近所や介護施設、子ども食堂等に配る。土づくりは、町内に唯一ある牧場の牛糞堆肥を使用し、有機野菜づくりを試みている。


そして、私には特に思いをめぐらせながら作って食べているこだわりの野菜がある。その名は・・・「オクラ」。


意外でしょうか。私にとって、この数年、夏季のオクラを作り食べる生活は、思索をより促しているように思う。それには理由がある。


私は庭の畑の他、隣りの放棄地を借り、整地して畑にしている。しかし、1メートルほど低く、雨が集中して降ると“プール畑"に変身。


あまりの事態に自吸式エンジンポンプを購入し、妻とポンプ隊1号2号を結成(1号は指揮命令者の妻、2号は実行者の私)。毎年出動し、「まさかやー」である。


そんな劣悪なプール畑に浸りながら、生き延びている強健な作物が「オクラ」なのだ。高温を好み乾燥につよく、多湿に耐える野菜として、私にとっては思索を巡らす特別な存在である。


アフリカ大陸原産でエジプトでは2000年以上前から栽培されており、日本に入ってきたのは幕末~明治初期といわれる。普及した背景には、大東亜戦争で東南アジアを転戦した日本人兵士たちが飢餓にあえぐ自給生活の中で、生育の旺盛なオクラにしばしば救われ、帰国後オクラを栽培し定着したそうだ。


朝方に咲く薄黄色の花は、可憐で清楚。この花が五角形の細長い実に変身し、食用になる。この食べごろの実を見つけるのが重要なポイント。私は朝夕収穫するが、小さいと思っているとあっという間に成長し、見逃すと巨大化していることが幾度とある。茎と葉と同じ緑色なので、見つけにくいのだ。


何回か見回り確かめないとどうしても見落とす。大きくなると固くなり木質化して食べれない。このあいだは、20センチほどに成長した剣の様な姿を見つけ、神々しく思い神棚にお供えした。オクラを毎日いただける自然の恩恵に感謝している。


私の好きな食べ方は、みそ汁の実や茹でて和え物にするといったおとなしいものではない。オクラと納豆と山芋とモロヘイヤ(時にモズクも)を一緒にしたネバネバ大集合物をかき回し、豊富なネバネバを創出する。


含有するペクチンやムチン、ビタミンCやβカロテン等により整腸作用・免疫力の強化・抗酸化作用他があり、苦手な方には失礼ながら、夏バテや疲労回復にも超効果的で好んで食べる(オクラ水も)。


この「粘る」という事象について、思うことがある。かつて、「粘る」は「踏ん張る」「我慢する」「辛抱する」というポジティブな価値を表した。


松下幸之助の「粘り強さは必ず不可能に勝つ」や、稲盛和夫の「成功する人とそうでない人の差は紙一重、違いは粘り強さと忍耐力」などのことばである。


しかし、現在はコストパフォーマンス社会であり、「我慢や忍耐」は「コスパが悪い」と遠ざけられていないか。若者は就職してもすぐやめてしまう。もっと手軽に高い給料を得るため躊躇せず転職する。


我慢して勤めていれば気づくことがあり、辛いからこそ学べることを見失っている社会は、行き詰まっていると私には感じられる。


教育界でも、不登校児童に対し、「我慢しなくていいんだよ」と即答する。しかし、イジメや不登校の主因は、相手との関係であり「一人で悩んでいること」ではないか。昔だってイジメはたくさんあった。肝心なことは、「相談する人が身近にいないこと」なのだ。


親も先生も忙しく疲れていて、子供の相談相手になれず、またタブレット学習やゲーム等で子供が個々ですごす時間が増え、小さいときに他者とコミュニケーション能力を育む機会が欠如しているのではと危惧する。


時には、オクラの収穫を子供に体験させ、「注意深く見逃さない」ことを学ぶことは粘りの行動につながると思う。


また、家族でオクラを食しながら「ネバネバ」について語り合ってはどうか。「オクラ」は健康にとっても、生き方にとっても、重要なことを教えてくれる「教師」なのだと、私は勝手に思っている。


今日も朝からオクラを食べ、快調(腸)にすごそう!



■『「正の外部性」が田舎の魅力を引き立てる

「外部性」ということばを聞いたことがあるだろうか。公共経済学で用いられるが、「ある人の経済活動が、全く関係のない第三者に影響を及ぼすこと」である。


この「外部性」には、正と負の両面が存在する。「負の外部性」とは、企業活動による騒音・廃液・廃棄物・地下水の大量摂取による地盤沈下他であり、企業とは関係のない一般住民の生活環境に悪影響を与える。


かつて、「公害」として大きな社会問題となった。発生源の企業はコストを負担しないので、住民へのマイナス影響は増加する傾向となる。


一方、「正の外部性」の例としての「予防接種」は、周囲に病気を伝染させないし、一般に「「都市開発」は近隣住民に地価の上昇や利便性の向上などのプラスの影響(恩恵)をもたらすだろう。


しかし、発生源がコストを負担するので、社会的には少なくなりがちになる。


そこで今回私が論じたいのは、田舎における「正の外部性」についてである。それが田舎の魅力を引き出し、住民の暮らしの付加価値アップにつながれば、地域に人口流入をもたらす可能性がある。


私が実際に体験した「我が家の正の外部性」について、話しをすすめよう。


私は20年ほど前に、隣の部落から引っ越して来て今の自宅を建てたが、適当な土地が見つからず、少し広い敷地を無理して購入し、道に面した部分は庭と畑にした。


塀をつくる資金はなく「(後回し)、道からは家が丸見えだが「(後に樹木で遮断)、防犯上はかえって見通しがよくプラスではと解釈し、暮らしてきた。


ここ10年ほどは、徐々に庭の芝桜が増殖して、4月には鮮やかな「「ピンクのじゅうたん」が現われる。また、限られた本数ながらバラを植えていて、春と秋にレッドとイエローの花が競い合うように咲く。


道の往来は、犬の散歩やウォーキングする人がだんだん増えてきて、足を止めて見入っている人も少なからずいる。


また、畑には、夏野菜のキュウリ用の棚をつくり、トマトやナスの支柱を立て、狭いながら栽培している。道行く人からは、「「毎年、きれいに精魂込めてつくっていますね」とお褒めのことばをいただき、妻は嬉しそうにいろいろ会話をしている。


この「芝桜やバラや野菜づくりが通行人の目を楽しませている」のは、まさしく「正の外部性」といえる。塀で囲む資金がなかったことが、かえって地域の住民(通行人)にプラスの影響をもたらすとは想定外であった。


私たち夫婦も、ウォーキングしながら、他の家の美しい桜や紫陽花等を眺め楽しみ、また野菜の作り方を見て学び、潤いのある暮らしを享受している。


この「「開かれたオープンな暮らし」と「独占よりもシェアするスタンス」を地域住民が保持することは、田舎の暮らしを魅力的にする鍵と思う。


「発生源である私が花や野菜づくりのコストを負担し、通行人「(住民)に楽しんでもらう」という所作は、住民相互のコミュニケーションを深めると思うのだ。


私たちは、田舎の「荒廃した空き家」や耕作放棄地」等の景観を劣化させる、「負の外部性」に眉をひそめ、行政にも対策を強く望む。


一方、個人の自主的な取り組みによる「正の外部性」の存在は、話題になりにくい。


そんななか、官民一体となって取り組んでいる町がある。長野県小布施町の「小布施オープンガーデン」である。


町に伝わる「縁側文化」を基に、観光客を花でもてなす、全国初の官民一体の取り組み。登録された個人の庭は 100 以上で、庭園所有者の好意と善意にもとづくボランティアによって、訪れる人たちに「正の外部性」をもたらしている。


そんな先進事例に刺激を受けつつ、田舎の魅力を共にシェアしたい人たちに向け、バラの枝を剪定し有機肥料を与え、秋に向け新たに白菜・大根を丁寧に植えるとしよう。


道すがら、間近に野菜の芽が出て育つ姿を見つつ、「生きるエネルギー」を感じてもらえればと思う。「正の外部性」が、この小さな発信源から始まると信じて。

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