「消滅可能性自治体」について考える
- 7月27日
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【コラム】 信州支部 長谷川 正之(経営コンサルタント)
「消滅可能性自治体」という用語は強烈な言葉ですし、馴染めない方がいるかもしれません。私の住んでいる町も該当し、正直に言って、心穏やかではありません。
2011 年、東日本大震災後の閉塞感を打破し、今後の日本のグランドデザインを描くべく民間組織として設立された「日本創生会議」は、2014年に「消滅可能性都市」を公表し、大きな反響を呼びました。
10 年後、改めて「人口戦略会議」は人口から見た全国の地方自治体の「持続可能性」について、2020 年から2050年の若年女性人口(20歳~39歳)減少率が50%以上に急減する自治体を、「消滅可能性自治体」と定義しました。
全国の自治体1729のうち消滅可能性自治体は744で、実に43%を占めます。
解決策として、若年女性の流出を防ぎ、定住を促進する総合的な「地方創生」が不可欠であり、出産・子育て支援(給食費・保育料無料化)の強化、サテライトオフィス誘致等による雇用創出、空き家バンクの活用による移住支援、行政のDX化等が挙げられています。
多くの消滅可能性自治体は、無理をしてでも予算を多く配分し、若年女性を呼び込もうと努力しています。
しかし、若年女性が流出するのは、域内に子ども病院や保育施設、買い物に便利なスーパーや魅力的なお店、働き場所(サービス産業や事務職等)等が不充分なのが主因であり、実現はなかなか困難なのです。
役場職員も、レッテルを貼られた「消滅可能性自治体」というキーワードは、やる気を削ぐので話題に出したくないというのがホンネでしょう。ずーと先の2050年など想像できないし、身近な危機としては地震や台風等の大災害の方がよほど心配、と自らに言い聞かせているようにも思います。
それに対して、人口増加(社会増)に転じている元気な自治体の事例を調べると、例外なく住民・行政・NPO・企業など「多様な主体が協働」し、キーマンの「よそ者」「若者」「馬鹿者」が活躍しています。
しかし、「そんなキーマンなんか、なかなかいません」と言いたくなります。では、どうしたらよいのでしょうか。
最近、近隣の町に住む友人Tさんの活動をお聞きしていて、気づいたことがあります。何か気持ちが明るくなったので、その話をします。
私より年長のTさんは、昨年町長選挙に立候補し、惜敗しました。その後、選挙運動を共にした仲間たちや周りの住民達と、親睦会や童謡唱歌をうたう会、子ども食堂などを開いています。明るくオープンな雰囲気で、楽しい住民活動が伝わってきます。
そこで、私が感じたことは、Tさんは選挙後の住民との活動を通じて、町おこしをされているということです。落選後にすぐ仲間に励まされ、楽しく活動するバイタリティに驚かされます。
そして頭に浮かんだ単語があります・・・「塊(かたまり)」。
元気のよい自治体には、「民間の主体」が存在します。Tさんは、町長選に2回続けて立候補し、身を投げ出して「確かな塊」をつくられました。
この町は、我が町と同じく「消滅可能性自治体」ですが、楽しく元気に活動されている住民の皆さんを拝見し、「持続可能性」を感じます。
パワーある民間の主体である「住民の塊」ができれば、「よそ者」「若者」「馬鹿者」を呼び込み、種火となって地域を変えていけると思うのです。
Tさんの行動に学びつつ、私に出来る「塊」づくりは何かそれとなく心に問うてみると、あることを思いつきました。
私は1995年1月17日の阪神淡路大震災時に、いてもたってもいられず、友人の落語家や中学校の同級生たちと「救援寄席」を開催し、義援金を神戸の被災地に送りました。以降4年続け、現地の復興セレモニーには家族で義援金を届けに行きました。
その後、町のお年寄りや障害者を無料招待する「寄席」の実行委員長として、計13年間仲間達と続けてきました。今は休止中ですが、仲間たちとの絆は維持されており、「塊」になり得ると思ったのです。
この塊は、「笑い」の仲間です。2050年の「消滅可能性」・・・アハハ、と元気に笑い合い、そして知恵を出して新たな展開を見出していく。笑いは「輪来」「和来」として人を呼び込み、「塊」をさらに醸成していけるのではないか。仲間と主体的な行動を模索したいと思います。
人口戦略会議の公表には、留意すべき点があることに触れておきます。
平成の大合併による旧市町村は、合併によりそれぞれの地域の人口減少は覆い隠され、都市部に集中する人口で中和されています。その地域への関心は徐々に薄れていくでしょう。
それに対して、合併しない現自治体は厳しい将来予測に直面していますが、地域の歴史や伝統を堅持する機会を与えられているともいえるのです。堂々と立ち向かいたいですね。 最後に、私が大切と思う言葉を記します。
「消滅可能性」という言葉が漂わせる「悲観」は「感情」のものであり、住民が一緒に暮らし醸し出す「楽観」は「意志」のものである。
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