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「仏教界と戦争の関わり」を考えてみる

  • mapi10170907
  • 9月16日
  • 読了時間: 4分

【コラム】 信州支部 長谷川正之(経営コンサルタント)


 今年、令和7年(2025年)は、終戦から80年を迎えます。


 私は浄土宗の菩提寺の護持会総代を務めていますが、昨年、「浄土宗『戦時資料』に関する報告書」が令和5年に浄土宗平和協会より作成・発行されていることを知りました。浄土宗の「戦争協力」の歴史的事実を、当時の資料にもとづき、実証的に検証し結果をまとめたものです。


 「仏教界と戦争との関わり」は、紛れもなく「仏教界最大のタブー」といわれ、私も敢えて触らず遠ざかっていました。

 が、今年70歳になり限られた人生を自覚、今まで回避してきたことに取り組んでみようと思い立ち、ご住職からこの169ページの報告書を借りて読んでみました。読み方が浅いことはもとより承知で、まずは取っ掛かりとして感想を記してみます。


【報告書の内容】令和元年に作成委員会が立ち上がり、報告書は、第1章~第6章で構成。戦時下の仏教界と浄土宗の動向、浄土宗の戦時体制・組織、教学・布教活動他、多角的な観点から分析しています。その中で、私が関心を持ったのは以下の4点です。


【「戦争」を「聖戦」へ】大乗仏教の中心的な概念は「利他」であり、「他者を救済すること」です。「東アジアを列強から解放する」ことはまさに「利他」と解釈し、仏教界も太平洋戦争を「聖戦」と位置づけました。本来、「聖戦」とは、宗教的な目的のために武力を用いる行為で、大乗仏教の「慈悲と共感の心で平和的に他者を救済する」ものとは相容れないものです。


【天皇と阿弥陀仏を同一化】天皇と阿弥陀仏の同一化については、「浄土宗における戦時教学の最大の特徴」と報告書で指摘されています。資料に記された「私達に取って 陛下は『阿弥陀』でまします」という文言は、仏教の教えを天皇中心の国家体制を支えるもの(皇道仏教)として解釈したのです。


【宗派としての戦闘機献納】宗派としての直接的な戦争協力は、「戦闘機献納」ではないでしょうか。圧倒的に多いのは浄土宗で、計18機を献納。うち1機は、吉水会と呼ばれる尼僧の団体約1,000人によるもので、愛国精神(戦争協力)の結果といえると思います。私は浄土宗が戦闘機を献納していたとは、正直驚きました。


【なぜ国家に積極的に協力したのか】浄土宗をはじめ仏教界は、なぜ戦争を「聖戦」とし天皇中心の国家体制を支え、「積極的に協力」したのでしょうか。この報告書と私が手元に置いている『親鸞と日本主義』中島岳志著を参考に、二点を考えたいと思います。


 一つ目は、「他力」についてです。日本のほとんどの仏教は大乗仏教であり、「他力」という中心概念を持っています。「仏の力(他力)に依り頼むことで衆生(生きとし生けるもの)が救済される」という教えです。


 特に浄土真宗は「絶対他力」であり、阿弥陀仏の慈悲の力に全てを委ね、救いを求めます。そこから、多くの親鸞主義者は、「阿弥陀仏の慈悲」は「天皇の大御心」と一致するとし、浄土真宗の教学と国体論が同一化するという方向に突き進んでいきました。


 この「同一化」の観点では、飛鳥時代、聖徳太子が仏教の伝来と普及に大きく貢献し、国民による仏教の教えや価値観の共有化で国家をまとめていこうとしました。以降、国体即仏教という思想が構造化され、親鸞はその根本信念を改めて鮮明にしたと解釈されました。


 二つ目は、「廃仏毀釈運動」との関連です。私は明治維新政府による「神仏分離令」、仏教勢力の弱体化を目的とした「廃仏毀釈」運動と関係があると思っています。寺院の破壊、仏像の破棄、僧侶の還俗など、仏教界は甚大な被害を被りました。仏教界は、国家に対する不信感と、自らの存在の危機に遭遇したのです。


 異なった時代に起こった出来事ですが、「廃仏毀釈」によって弱体化した仏教界が、戦争協力によって国家との関係を再構築しようとし、また国家も戦争遂行のために仏教を利用しようとしたという見方があり、私も頷くものがあります。


 その上で、我が国の歴史を振り返り、先人の苦闘に思いを馳せ、憲法9条を持つ我が国のとるべき方向を考えていかねばなりません。かつての世相が大政翼賛会により一気に染まっていったことを想起し、また今のSNS拡散は世相に大きな影響力をもつのではと憂慮します。


 改めて、「仏教界と戦争の関わり」について、他宗派を含め歴史的経過と「その危うさ」を今一度学び直し、いろんな世代の人々と積極的に議論することは、大いに意義があると考えます。

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