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NODA・MAP「兎、波を走る」を観て。その母子を忘れるのはAIか人間か。

  • mapi10170907
  • 2024年1月22日
  • 読了時間: 8分

【コラム】 関西支部 N

*2月に有料配信があります。この投稿はネタバレを含みますのでご関心の方はご注意ください。


野田秀樹作「兎、波を走る」を観劇した。

「桜の園」を大枠に、潰れかけた遊園地で上演される劇中劇として「不思議の国のアリス」の話が進められていく。


競売にかけられている「遊びの園」。商人シャイロックは統合型リゾート(IR)の開発計画に園を売って借金を精算するよう勧めるが、女地主の眼中にあるのは幼い頃母と見たアリスの物語を園で上演することばかり。


当時の物語とは結末を変えるよう注文をつけられ、不条理作家のチエホウフ、社会派作家のブレルヒト、2人の作家が筆を奪い合う。登場人物が勝手に動き出したり、AI作家の初音アイまで登場するなど混迷を極めるが、混線しながら描かれたアリスの物語はこうである。


迷子になったアリスを探す母は目の前を駆けていく脱兎を追いかけ、アリスが「もう、そうするしかない(妄想するしかない)国」にいることを聞き出す。脱兎というのは仮の姿で、国(穴倉)に戻った彼の姿はピーターパン。「お前たちは捨てられたんだ!親元へ帰ろうなんて思ってはだめだ!」と連れてこられた子供たちを煽動する。子供たちの中にいたアリスが反論するが、「アリスは探されてなどいない」と嘘をつく脱兎。


家族に繋がるものは全て焼かれ、完全に親と切り離された子供達には兎になる訓練が待っていた。一方、勉強すれば母の元に帰してやると言われたアリスは穴倉の言葉アナグラムを学び、兎とはUSA-GI、即ちアメリカの兵隊を意味することを導き出す。アメリカ人でもない彼らがUSA-GIになるとは、アメリカ兵に成り済ますということを意味していた。アリスは正解を知ってしまったが故に妄想の国から出ることはできないと教官に告げられる。


立派なUSA-GIになれば「もう、そうしなくていい国」へ亡命できると気がついた脱兎はスパイ任務を得て国境を越え、現(うつつ)の国に亡命する。脱兎の本名は安明進。

安明進はアリスの母に、同じ穴倉の兎に聞いたアリスの身に起きた出来事を打ち明ける。

秋の夕間暮れ、バトミントン部の帰り道、中学一年生のアリスはUSA-GIに連れ去られたのだったーー


***


子供たちが穴倉に連れてこられるくだりでは子供と親の双方から「家族制度を打破しよう!」という合唱が起こる。

薄甘い呼び声で家族の枠組みが壊れていきそうな昨今、伝統や故郷から切り離されクライテリオンを失った現代人、根を断たれた個人はいとも簡単に狂っていくのだなと、目の前の日本の姿を重ねながら見ていた。ところが明らかになった彼らの正体はかの国の工作員候補生。多くの日本人が自分とは全く異質だと思っている存在ではないだろうか。その異質者と自分達の姿が重なった時のショックは重いものだった。


【日本人そのものの女地主】

「遊びの園」の女地主は今の日本人を象徴した存在である。自らが抱えている現実(潰れかけの園)には真剣に向き合わず、アリスの舞台上演に現を抜かしている。舞台に拘っている理由は昔母と見た思い出があるからだ。ならば受け継いだ園に対して出来うる限りの対応を図るべきである。それをせず昔の思い出に縋っているのは、国が沈みゆく様からは目を逸らし、受け継いだものを繋いでゆくことに心を配らず、「日本はスゴイ」と現を抜かしている日本人そのものに見えた。


成田闘争の映像を見るシーンがあるのだが、女地主は彼らの姿を見て「どん百姓どもはさっさと土地を売って金を貰い、もっといい所へ行けばいいじゃないか」と言ってのける。商人に「貴女も土地を売れば借金を精算できる」と勧められるが「どん百姓と思い出が詰まった園を一緒にしないで!」とのたまう始末。この手合いもよく見かけないだろうか。自分が愛するものだけをことさら特別視し、他者を慮ることがない。


【自ら妄想の国へ入っていく愚】

「遊びの園」を買った商人シャイロックは園を壊してカジノ(チエホウフにIRじゃないのかと突っ込まれるが意に介さない)を建設しようとするが、初音アイに操られ仮想通貨、メタバース(初音アイはメタバースを「もう、そうするしかない国」と呼んでいる)、アバターと、この世にない金、土地、肉体に夢中になっていく。せっかく「もう、そうしなくていい国」にいるのに自ら妄想の世界に入り込んでいく。


シャイロックにVRゴーグルをつけさせた初音アイは「現実空間に見えないはずの妄想が入り込んできたでしょう」とポケモンGOの名を借りながらAR(拡張現実)について語り出すと、これは半世紀前に流行ったゲームだという。ゴーグルに映し出されたのは飛行機のタラップを上がるハイジャック犯。


  『なにかしそう』という思想を旗印にどこにでも座り込んだり暴れ回るどや顔たちが、現の国ではにっちもさっちもいかなくなって、あっちへ行って拉っ致の手助けをするのがファイナルステージ。(初音アイ)


  いつの世も、強がり思い上がり独りよがりのどや顔たちは、どやと言ったままだ。その勇ましい谺が作り上げる戦いのゲームの中で、僕ら兎が作られた。その兎によって何も知らない少女が拉致される。何も知らない少女の人生が、連れ去られる。その運命は少女の人生の真上から投下された爆弾も同じ。(脱兎)


日本は「もう、そうするしかない国」への道を着々と歩んでいるようだ。「もう、そうするしかなくなった」どや顔たちーー専門家、言論人、政治家、メディア、そして国民ーーを、殊に2020年以降どれほど見ただろうか。ポケモンGOよろしくPCRに一喜一憂、現を抜かし、誰かの人生に爆弾を投下した3年ではなかったか。

国の借金、民営化、規制緩和、大阪都構想、SDGs、42万人が死ぬーー。様々なARで遊んできたが最新作はライドシェアとかいうらしい。


【人間を凌駕するAIが誕生しても変わらない我々の生の本質】

アリスの母は「もう誰もこの話を聴いていないのね、まだ終わっていないのに」と落胆を滲ませつつも「これがただのお話ならばここで終わる。でも、私のアリスはここで終われない」とその気丈さは揺るがない。


クライテリオン9月号の巻末オピニオンで川端先生が「人間を凌駕するAIが誕生しても変わらない我々の生の本質は何であるか」確認することを問われているが、次の野田秀樹の言葉は1つの答えになるのではないだろうか。


  母はけして絶望的な言葉を吐かない。その”強靭さ”は等比級数的に進歩しているAIが取り残す問題。(野田秀樹/公演パンフレットより)


  アリスの谺が聞こえるまで40億年も経ってしまったが、一滴でも時間が残っている限り、声が聞こえる限り、妄想の闇を降りていく。アリスが消えていった闇よりも母の愛は深い。だからいつまでも声を出しつづけるのよ(アリスの母)


「妄想の闇」とは、母子を襲った不条理に加えてAIの進歩も表しているように思う。AIとは違い、母の愛に限界はない。

アリス自身も「この話を終わりにしないで」と谺を送り続けているがーー


  AIには忘れる機能も備わってきていて、AIの記憶量から重要でないと判断すると忘れて切り捨てる。それが現実に置き忘れられる「母」という存在だったりする。(野田秀樹/公演パンフレットより)


【その母子を忘れるのは誰か】

女地主、商人、2人の作家、やがて皆、アリスの母一人を現実に残してメタバースへと消えていく。女地主はこう言い残して立ち去る。


  何かあたし忘れてしまった気がする。ママと見た何か、なんだったのかしら……気がするだけね(女地主ヤネフスマヤ)


  このわたしたちを、現実に忘れていったのね。(略)一生が過ぎてしまった。まるで生きた覚えがないくらい。精も根もありはしない、もぬけの殻。この……。(アリスの母)


そのまま眠りに落ちたアリスの母はようやっとアリスと再会を果たすが、抱擁した刹那アリスは消えてしまう。アリスの母はアリスを抱いた姿のまま固まってしまい幕を閉じる。


野田氏の「AIには忘れる機能も備わってきて」というコメントを見れば、また、劇中劇の脚本がAI作家に乗っ取られたことから、このアリスの物語を切り捨てるのは一見AIのようだが、女地主が現を抜かしていたから操られたのだ。忘れて切り捨てて去っていくのは人間だ。今のAIは「自律的な意思を持って行動する主体」として設計されているわけではなく、人間が入力した命令を処理するだけのものである(*)ということは、重要でないと判断したのは我々ということである。若い観客の中には拉致問題のことを知らない人もいたという。この話が置き忘れられている証左だ。


女地主がママと見たアリスの物語とは拉致問題の報道ではないだろうか。結末を変えたいと言ったのは当時北朝鮮から報告された内容を変えたい、めぐみさんたち拉致被害者の帰国を叶える結末にしたいということだろう。

女地主がアリスの物語をせがみ続けたのは、かつては国民の関心が高かったことを表しているのではないか。ところが最後には当時拉致事件のニュースに齧り付いたことまで忘れてしまっている。結局は消費したに過ぎなかったということ。

政府要人が拉致被害者やその家族に会うというと人気取りに利用するなという批判が起こるが、我々の側も拉致被害者を政府批判に使うだけではなかったか。我々が忘れずに関心を寄せていたら、政治家に問うていたら、彼らだって動かざるを得ないのだ。

かの国の人は我々が現を抜かす姿を鼻で嗤っているのではないだろうか。


このわたしたちを、現実に忘れていったのねーーアリスの母の言葉は我々に向かって発せられたものだ。その瞬間、観客は、黙って見ているだけの、そのうち忘れていく消費者として舞台に引き摺り上げられたような心地がした。いや、初めからずっと観客は傍観者としてこの不条理な物語の一員だったのだ。


現実を忘れ「もう、そうするしかない」どや顔で誰かの人生に爆弾を投下した者の行く末は脱兎が教えてくれる。

アリスを救い出すべく国境線を越えようとする脱兎だが、「自業自得」のアナグラム、「蛆と地獄」と言い残し、国境警備兵に連行されて消えてゆく。


*表現者クライテリオン2023年9月号巻末オピニオン(生成するAI、構想する人間/川端祐一郎)p226

1 Comment


go 恭平
go 恭平
Jan 25, 2024

どれだけAIが進化しても、母親の愛を計算しきることはないと信じていきたい

するべきではない妥協は絶対容認してはならない

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