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AIやロボットに希望を見出せない理由

【コラム】 東京支部 日髙 光


私には30歳を過ぎた頃から数か月に一度、会って色々とお話を聞かせて貰っている先生が居るのですが、2021年の4月だったか、変わった質問をされた事がありました。


先生曰く「自分は物心ついた頃から、自分の事を他人に理解してもらおうと思った事が無い。彼らに私自身の考えや悩みなど、到底伝わる筈もない。そうとしか思えなかった。日髙さん、あなたはどうでしたか?」…と。


それに対し私は「私は先生と違って大して優秀な人間でもなく立派な考えがある訳でもないものですから、世の人々との間にそんなに距離を感じた事は無いのですが、道徳や人生に関する幾らかの問題については、似た思い出があります。私は自分の考えを身近な人々に理解して欲しくて彼らに訴えましたが、人生のかなり早い時期に、これを諦めました。」と答えた。


先生はそれを聞いて「確かに、私も本当は最初はわかって欲しかったかもしれませんね。」と言って笑っていました。


…思い出話はさておき、近年AIやロボットの活躍やその将来についての話題が多く語られていますが、私はその夢物語に付き合う気にならないのです。

前述の会話中にある私が人々に訴えようとして諦めた幾らかの話というのが、AIやロボットに関する話を根本から疑問視する理由となるものであり、その点に答えがでない事には何の希望も見出せません。


思う所、訴えたい内容は多種多様なものがありますが、AIやロボットに最も期待されている事は人々に豊かさを齎す事でしょうから、それに一番関連深い話からはじめて、一体何が問題なのかを訴えたいと思います。


私がまだ小学生の頃、所謂バブル崩壊が起こって多くの人々が経済苦に喘ぎ、その種の悲しい出来事が沢山報道されていました。


そんなニュースの中に、借金を苦に自殺をする人々の話が幾らかあって、私はその事について母親に尋ねました。


「政府は何故この人たちを助けてくれないのか。浮ついた儲け話で失敗した者達はまだしも、ただ真面目に働いていただけの人が、単に景気悪化の影響で仕事を失ってしまったというだけで、何故死を選んでしまう程に困窮しなければならないのか。」


…幼い私が口に出せたのは精々この程度でありますが、大人になった私が当時の想いを代弁すると、こう言いたかったのです。


確かに彼らは幾らかの景気判断を誤ったかもしれない。その点で彼らの結末は大人として経済人としての自己責任であるという指摘もあり得るでしょうし、どれだけ巨大な借金を抱えたからと言って、死を選ぶか否かは個人の判断であり国家の責任とは無関係であると抗弁できるかもしれない。


しかし、我が国では殺人ですら死刑を約束される程の罪とは限らず、それが未成年であれば将来の立ち直りを考慮して氏名の公表すら配慮される。


そんな人々に対する優しさには手を尽くすのに、経済の専門家達ですらきちんと読めなかった景気の流れを、企業の経営者や社員たちが読めなかった程度の些細な過失に端を発する受難が、何故救済されないのか、私には意味が解らない。


巨大な景気の流れに翻弄された人々は、刑法犯ほどにも情けをかける必要のない愚か者だとでもいうのか、私はこれに全く納得できない。


突然の社会変動によって思いもよらぬ巨大な借金を抱えたり、仕事や家などを失い路頭に迷ったりしてしまった人々がその重荷に堪えて生きる事は、誰の助けを必要とせずとも果たしうるような簡単なものだろうか?以前ほどの豊かさを維持できないにしても、憲法に書いてある文化的な最低限の生活と安心安寧くらいはどうにかならぬものか。その位の救済を果たす力が経済大国日本にはある筈ではないか。


…私の質問を受けた母は言葉を濁し、多くを語りませんでした。その「仕方ないじゃない」とでも言いたそうな苦笑いに、ちっとも仕方なくないと思っていた私は落胆しました。


「アメリカの民衆政治」の著者 アレクシス・ド・トクヴィル、及びその盟友ジョン・スチュワート・ミルは口を揃えて「人々の習俗は女が作る。母親こそが道徳教育の根幹を担う存在である。」といった旨の主張をしておりましたが、私の場合も当然そのようになっていましたので、この問題で母親の解答がこんな調子だと、幼き日の私はどこの誰にこの事を尋ねていいものか、わからなくなってしまいました。


他の人が私の問題意識を共有してくれる感じは全くしませんでしたし、そもそも話に付き合ってくれる気すらしなかった。実の親ほどに腹を割った話が出来る相手などそうは居ませんし、私が母に訴えた問題意識など、他の誰の口からも聞こえてこなかったからです。


きっと誰もが社会の現実とやらに屈服し、その情けない実情を誤魔化す為に現実派を気取って、私の理想論的な主張をお花畑の戯言に過ぎんと一蹴するのだろうと幼いなりに感じたのです。実際、少しくらいは話を聞いてくれる人も探せば居たかもしれませんが、私が経験した結果は、予想通りでした。


理想とは大抵実現不可能とまでは言わずとも、中々現実には難しい内容となっていますが、簡単に実現可能な話など理想たり得ません。


実現の難しい美しい理想が道徳的正しさの輝きを放ってこそ、我々はそこに向って歩いて行けるのであって、理想が無ければ我々は何処へ進めばいいのか解らなくなってしまい、ただ欲望や気まぐれのままに迷走を繰り返し、最後は散り散りになってしまうでしょう。


さて、特別罪がある訳でもない人々を救う事にすら大した関心を持たない人々がAIやロボットの力を使ったとして、一体何を救いうるでしょうか。


そんな人達がAIやロボットの活躍によって得られた果実を、特に理由もなく分け隔てなく皆に分け与えるなんて事があり得るのでしょうか。


経済学の祖、アダム・スミスが国富論を書いたきっかけは、産業革命によって市場に安くて良いものが溢れかえるようになったにもかかわらず、その安い商品すら買う事が出来ず路頭に迷い死んでいく人々を見た事が切っ掛けだったそうですが、それと同じ事が繰り返されるだけではないでしょうか。


実際、バブル崩壊で多額の借金を抱えた人々に対する救済措置など聞いた事がありませんし、その後の就職氷河期世代に対しても特別な救済措置はありません。


AIやロボットによる労働の代替にあたって、それによって生まれる失業者たちの今後をどうするのかについて救済策が無いままであれば、AIやロボットはその生産活動の意義を殆ど失ってしまうでしょう。


アダム・スミスの時代にそうであったように、安くて良いものは店頭に飾られ、その後腐ったり陳腐化するまで誰のものにもならないとしたら、そんな生産活動は単なる資源の浪費でしかありません。しかもそれは、我々の居場所、生き甲斐としての仕事を奪い去った挙げ句の無駄遣いです。


私たちの労働・生産活動の目的、その先にある理想について何の考えも無いままであれば、AIもロボットも意味を為さない。


また、肉体を持たないロボットやAIが、新たな道徳的理想を持って人間を導くという展開も期待できない。道徳の基礎には共感が必須であり、それ故に過去の時代には王侯貴族や騎士・武士などが一般庶民や奴隷たちをぞんざいに扱う事を全く気に留めず、一方の庶民たちもお偉方の理屈に付き合うのもうわべだけで、陰では手前勝手に振る舞っていました。


同じ人間同士ですらこんな有様なのに、電気信号や鉄の塊で出来たAI・ロボットと肉の塊である人間が、一体どうしてその理想を共感を持って受け入れられるのか。AI側はさておき、人間がそれを信じるに至る真っ当な経路があるとは私には考えられない。


…まぁ、私はシンギュラリティなど全く信じていませんし、ロボットによる労働の代替にしたって言う程多くは期待できないと思っているのでその点に関する心配は殆どしていないのですが、ロボットやAIに目的を与えるだろう人々の態度には多くの問題があると思います。


「馬鹿と鋏は使いよう」なんて言いますからAIもロボットもそうでしょうけども、コロナを他人にうつした程度で自責の念に駆られ自殺をする者が出る程に感傷的な善意を持つ一方、バブルや就職氷河期の被害者が首を吊ったり電車に飛び込んだりする事には大した関心を示さない奇妙な人々が、AIやロボットをどんな考えに基いて使うのかを考えると、どうしても悲観的にならざるを得ません。


ロボットに農作物や工芸品の収穫や作製をやらせる方法や、AIに何かしらの学術的成果を出させる方法を考えるのもいいですが、その1割でも結構ですから、人間の道徳や生き方についての理想と、今できる事について真剣に考える時間を持っていただきたい。この問題はAIやロボットがあってもなくても、人類にとっての最重要課題に違いありません。まずはそこに取り掛からなければならないでしょう。


しかしこれは冒頭にある通り私が幼い頃、世に理解される事を諦めてしまった話、あまり期待はできません。問題にとりかかった挙句の結論が、SDGsだのLGBTQだのといったChatGPTに吐き出させた失敗論文以下の戯言ならやらない方がよいでしょうが、現実は見ての通りなのです。


私から見たAI・ロボットの待望論は、そうした知性や精神の見窄らしさに何の自覚もない者達の迷走としか思えないのです。私たちは科学の力では救い得ないものを理解し、それと向き合わねばなりません。この問題意識無きままにどれだけ優れたAIやロボットを作っても、人々は幸せになれない。


ろくすっぽ「馬鹿と鋏の使いよう」も解らぬような人々が、過ぎた道具を使ってどれだけ社会に混乱を招くだろうか。その時、我々は国富論執筆前のアダム・スミスの比ではない、焦燥や絶望感を味わうでしょう。

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