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寛容の湯

【コラム】 東京支部 吉田真澄


その湯は、自宅から車で10分ほどの位置にある。いわゆる昭和レトロな銭湯である。浴室には、富士を遠景とする渓流のペンキ絵が描かれていて、その渓流の段差を模したような岩棚から、お湯が湯船へと注いでいる。

 

ハプニングはここで起きた。とある夏の午後。筆者は、一番風呂とは言わぬまでも、なるべく早い時間の、清浄で熱めの湯を求めて、この銭湯にやってきたのである。先客は、わずか数人。浴室の高天井の両側に設えられた窓からキラキラと陽光が差し込み、カタン、コトンとプラスチックの桶を動かす音が心地よく響いている。どこか古の時間に迷い込んだような懐かしさがあり、三が日のように、無垢な雰囲気があり、筆者が最も心落ち着かせることのできる時間帯でもある。

 

「おい、冗談じゃねーよ。」静謐は、ある初老の男の声で破られた。血相を変えて浴室から出ていったその男は、番台に座る少し耳の悪い老婆に何やら苦情を申し立てている。「赤ん坊のくらいなら、まだ我慢できるけど、あんな魚雷みたいなのが三本もぷかぷかしてる風呂なんか入れねーよ。」洗髪を終え、身体を洗い終えた筆者は、まだ何事が起きているのかを掴めず、聞き耳を立てる。老婆は、脱衣場にいた嫁(多分)を呼びよせ、息子(多分)を連れてくるよう指示したようである。「しかもあの爺い、手に持って洗い場で、こねくり回してたぞ。一体どうなってんだ、まったく。」騒ぎを聞きつけて近寄ってきた他の客も加わる。どうやら、認知症の先客が湯船の中で、大きな方の粗相をしてしまったらしい。それも、かなり大量だった模様なのである。ようやく全容を理解した筆者は、つい先ほどまで湯船の縁に腰掛けていた、でっぷりと肥えた老人の姿を思い出していた。彼なら、まだ脱衣場の隅っこに腰掛け、何かモゴモゴと呟いている。騒ぎに加わったもう一人の客も「うぁー、俺、入っちゃったよ。」などと叫び、身を捩らせている。その足で浴室へと戻り、シャワーを浴びて全身をくまなく擦り始めている。よく見ればカラン(蛇口)の下を樋状につなぐ排水路には、粒状になった黄褐色の残滓さえ認められる。小さな鳥肌が立つ。

 

一連のパニックが収まりかけた頃、バックヤードから息子と思しき男が長ズボンをたくしあげて、浴室へ入ってきたかと思うと、深い方の浴槽の湯を半分ほど抜いて、新しいお湯を注ぎ始めている。手慣れた立ち振る舞いで、洗面桶に湯を汲んでは、排水路へジャーッと流して、番台の母親と一言二言、会話を交わして帰っていってしまった。「えっ、それだけ?」「こんなこと、しょっちゅうなの?」筆者は、浴槽に浸かることを諦め、もう一度シャワーを浴びて帰ることを決意した。

 

脱衣場で口々に文句を言いながら帰り支度を始めた客たちは、誰もこの事件の首謀者である、あの太っちょの老人を問い詰めたりしない。「なんか、マズイ雰囲気だなあ。」と察し始めたふうの老人は、少し目をキョロキョロはさせているものの、慌てて逃げ帰るわけでもない。ましてや番台で、返金を求める者さえいない。「まったくよー!」「まあ、しゃーねえか。」「飲みにでも行くか。」などと嘆き、励まし合い、背中や上腕に少し色褪せた刺青を施した常連たちは、帰っていってしまったのである。気持ちの整理がつかず、身の処し方に迷っていた筆者は、一人、そこに取り残されたのである。

 

そんな出来事があったにもかかわらず、筆者は以前にも増してこの銭湯のファンになってしまった。よく晴れた日の早い午後、時間の都合がつけば、湯船に首まで浸かり、立ちのぼる湯気を眺めながら「あの老人は今頃、どうしてるのだろう?」などと思い返しているのである。

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