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古きよき暮らしの面影

【コラム】 関西支部 小町




先日、母と兵庫県の龍野という町を訪ねました。


龍野を訪れるのは昨年の春に続いて二度目で、初めてこの町を訪ねたときに感じた、時の流れの緩やかさや美味しい食べ物、眺めていて飽きない町の景色が母も私も心に残り、今年の春も龍野へ小旅行することになりました。


鳥かごのような形をした小さな山、鶏籠山のふもと、揖保川のせせらぎを聞く龍野城下町では古くから淡口醤油の生産が盛んで、今も末廣醤油やカネゐ、ヒガシマルなどの醤油蔵が龍野の町並みに残っています。


鶏籠山を右手に見ながら揖保川を渡ると、古き良き日本の町並みが現れます。

龍野の人々が暮らす町屋の並びはほどよい静けさに包まれ、ときおり山の方から小鳥の囀りが心地よく聞こえてきます。

枝垂れ桜や青紅葉、つつじの花が庭に植えてあり、爽やかな風は格子の門を通り抜けてゆきます。


龍野は、私に時代の流れを感じさせる場所です。

町を歩いていると、昔は共用で使われていたであろう古井戸を所々に見つけることができます。

釣瓶で水を汲み上げ、担いで家まで持って帰った時代、手押しポンプで水を汲み上げられるようになった時代、やがてそれぞれの家庭に水道が通るようになった現代。

ぽつんと取り残された井戸に、それぞれの時代の人々の面影が目に浮かびます。

現代は、家庭のなかでほとんど一切の用事を済ませることができますが、かつては井戸のような生活に欠かせない共用の場が町にあったから、人々の結びつきや協力が自然と生まれていたのだと考えることもできます。

どこで産まれようと、緑の山々と清い水があり、その自然とうまく寄り添っている町や村の暮らしに「故郷」を感じる人は多いのではないでしょうか。


色褪せながらも今なおひっそりと佇む古井戸に、私は寂しさよりも都会にはない安心と小さな希望を感じました。

なぜなら、その古井戸が、人と自然とが調和した暮らしがそこにあったことを、たしかに伝えていたからです。


自然とのつながりや地域のつながりがあったころ、人々にとって、そこは自分以外の人と共に暮らす場であり、それゆえにそれぞれが協力して町を維持し、暮らしていたのだと思います。人々の胸には、課せられたものではなく、自ずと芽生える責任があったはずです。


それに引きかえ、現代の私たちは地域とのつながりを放棄し、設備や施設の管理も行政に任せ、欲しいものを要求し、それを消費してばかりのように思われます。

私たちが現代を不安に思うのは、自らの手で生産できない、できないことをよく知っているからなのかもしれません。


豊かに生きていけるのは、文化や伝統、歴史を知り、感じ、そして生み出し、自然と調和して暮らしている人々ではないでしょうか。



先に書いた龍野の醤油蔵の一つ「末廣醤油」の醤油を、昨年、旅のお土産に持って帰りました。味わい深さに感動し、醤油蔵へ手紙を書いたところ、注文していた醤油と一緒にお返事を添えて送っていただきました。

そこには、


「淡口醤油発祥の地の醤油蔵も少なくなって参りましたが、この味を守り続けられる様、より一層精進して参ります。」


と書かれており、私は大変ありがたく、嬉しく思いました。

昨年の春から毎日食事作りを続けられたのは末廣さんの醤油を使って、醤油ひとつでこんなにも味が変わるものかと、家庭料理や和食を作る、味わう楽しみを教えていただけたからです。


便利なものや、速いもの、時の流れに知らず知らず流されていくなか、自然や町、人と調和し、地道に歩み続けている人、あるいはそこにひっそりと残されたものに文化は緩やかに息づいている。そして、私たちは必ずそういう場所に帰りたくなるものだと思います。


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