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信州支部メルマガ便り 1月版

  • mapi10170907
  • 2023年2月15日
  • 読了時間: 11分

【コラム】 信州支部 前田 一樹

※信州支部メルマガ配信より、同人ブログ向けに再編集した内容となっております。


▼1月8日配信

私事ですが、1月4日に「八ヶ岳」にて冬山登山をしてきました(と言っても、「北横岳」という八ヶ岳のなかでも一番易しい山です)。下山した帰りに時間があったため、以前から気になっていた「Stove house」という原村のストーブ店に寄りました。

というのも、ストーブを中心に、それだけでなく選び抜かれた「アウトドアグッズ」を扱っているという噂を聞き気になっていた店だったからです。


実際に訪れてみると、噂にたがわず、「アパレル(主に北欧ブランド)、キャンプグッズ、自然食品、登山グッズ、庭仕事系雑貨」などなど、アウトドアライフに関わる道具を網羅的に取り揃えており、そのどれも「実用性、デザイン性、堅牢性」の面からしっかりと選ばれたことが分かる納得の品ぞろえで、どれを買おうか迷ってしまうほどでした(是非、八ヶ岳近辺に行かれた際は寄ってみて下さい)。


しかし、一番目にとまったのは、店の入り口に貼られた、

【当店では店内でマスクをするか、しないかはお客様の判断にお任せしております】

という文言が、はっきりと書かれた張り紙でした。


品物についてを質問しつつ、スタッフさんに「その張り紙」について伺ってみると、

「この店のスタッフも、コロナ流行りはじめたが2022年の中盤(夏)まではマスクをしていました。しかし、後半(秋)からは、店内のスタッフはマスクをしなくなったんです。というのも、コロナのことを調べていた、店長がやる必要がないと判断したからなんです。その後、私自身もネットで調べるなかで、『コロナが弱毒性』だと分かったためしなくなりました。その時から店だけでなく、コンビニやスパーでもしてないんです。もちろんワクチンもやっていません。」とのお話でした。


接客業のお店で、【2020年の段階からマスクをしない】という選択をするのは、「店の評判」を考えればリスキーな選択であったと思います。それでも、あえて冷静にコロナ状況を判断した上で、不必要かつ自分達の関係を規制する「マスク着用」に従わないという決断をすることを重視したのです。

たかが、「マスクごとき、つべこべ言わず従ったらいいじゃないか」という考えもあると思います。しかし、【冷静に状況を考えて行動する習慣を投げ捨てる】ということは、マスクをするかしないかの判断以外にも通じており、その場で波風は立たないにしても、それが必ずしもよい結果を生まないという意味で【高リスク】だとも考えられます。

スタッフさんからお話を伺った限りでは、店長さんは【リスクも分かった上で、マスクをしない方針をとった】とのことでした。


ただ「反発のための反発」ではなく、冷静な状況判断のもとにリスクも許容した判断ができるということに、【お店としての信念】を私は感じとり、それは選び抜かれた「アウトドア道具の選択」にも通じていると思いました。

そこから思い出されたのは、同じく2020年からマスク着用を、お客側にもスタッフ側にも求めなかった、松本市にある知り合いの「高級フレンチレストラン」のオーナーの、

「当店はお客様をばい菌扱いしません。ただそれだけです。」

という一言。このお店も、「接客、料理、ワイン、インテリア」と全てのクオリティが自分が知っている中では、文句のつけようがなく最高級のお店で、提供するサービスについて【確固たる信念】をもっている方でした。


最近、コロナの扱いが、「2類から5類に引き下げられる」という話ができています。それはそれは望ましいことですがが、それにただ従って行動を変えているようでは、結局【官尊民卑】の言葉そのままに、官僚の言うなりに動くロボットでしかありません。


コロナウイルスへの態度が暴いたものは、結局この【日本人の思考停止ぶり】であったといって差し支えありません。せめても冷静に状況を判断し、自分の信念で行動できる人間が一人でも、この日本に増えることが、「文化、経済、社会」が豊かに多様性を持って発展していく礎なのだと思った次第です。


▼1月16日配信

日本の諸問題(緊縮財政、平和主義、グローバリズム、過剰自粛など)について考えると、【なぜそこまで自国を苦しめることを、自らやり続けるのだろうか?】と疑問に思えることがあります。


はじめは「多くの人が問題について知らない」または「理論的に分からないからだろう」と考えていました。

しかし、そうなると、これらは単に「情報と理論の問題」になるのですが、例として、上にあげた4つに対する簡単な返答をあげると、

・「緊縮財政」⇒政府は通貨発行権を持っているのだから財政破綻しない。

・「平和主義」⇒これだけ世界が動乱していれば自国を守る軍備は必要。

・「グローバリズム」⇒国際社会は各国の国益の上に成り立っている。

・「過剰自粛」⇒3年も経てばコロナが弱毒であることは明白。

というような、小学生でも分かる明白な話を、多くの言論人が発信しているにも関わらず、日本の中枢を担う「政官財学」はこれらを改めようとはしません。


「アメリカ政府、ディープステート、国際金融資本」などに操られている(もしくは、強制されている)という考えもあります。「問題を認識できていて、強制的に変革できない」のなら、その可能性も考えられますが、そもそも「問題を認識できない」のだから、やはり他に原因があると考える他ありません。

「理論的認識の欠落」でもなく「外的要因の問題」でもないとすると、一つの仮説として、【日本全体が「精神病」だから】だと考えられます。


例えば、一人の「精神病」の方がいたとして、その方が自分のためにならない、自分を苦しめる行いしている場合、ただ何度も言葉をかけて止めたり、理論的に説得しても受け入れないであろうし、外的要因がなくても自分で苦しめるのを止めることはないでしょう。

このように「一人の人間の精神状態」と、「日本全体の精神状態」をパラレルに捉える考えは、社会を一つの有機体と考える意味で「社会有機体説」に立つ考えです。そのように考えることで、日本が抱える問題の根源がクリアーに見えてきます。

そして、精神病患者である「日本」が自虐的なことを行い続ける根源には深い「トラウマ」があります。それは、明治維新以来、いまに至るまで曝され続けている「西洋文明への適応」と、それに基づく「コンプレックス(劣等感)」、さらに「敗戦」という、筆舌に尽くしがたい惨劇を経験したことが主要な原因だと考えられます。

この根深い「精神病」から癒えるためには、まず、その「トラウマ」そのものの存在を「あるがまま」に認めることが肝要です。その「トラウマ(怒り悲しみ)」を深く受容することができたときはじめて、トラウマに振り回された「逃避」や「ヒステリー」からの行動ではなく、自国のために「いまなにをなすべきか」という考えにもとづいて、有効な選択肢を取ることができると思います。


「個人と国家がパラレル」であるとするならば、日本が抱えているトラウマは、私たち自身の内にも深く根を下ろしているはずです。そこに思いをいたすと、一人ひとりの心のなかのトラウマを受容することは、日本がトラウマから脱するための地道な一歩となることが分かります。

その過程で等身大の自分にできる着実な一歩も見えてくるはずです。民主主義である以上、そこから安定的で良好な変化が生まれてくると思われます。


▼1月22日配信

小林秀雄の影響で「骨董」に凝っていた時期がありました。そのご縁で出会ったのが、長年、東京で古美術店を営まれてきた、古美術商の「U氏」でした。

「U氏」とはもちろん商売上のお付き合いで品物をご紹介いただき、何点か購入させていただく関係でした。しかし、毎回お会いするたびに、自然に「日本の現状」へと話が及び、世間話以上に真剣に会話を重ねてきました。


U氏は「70歳」を越える年齢の方ですが、真剣に日本を憂いおり、「コロナ騒動における過剰自粛」も見抜いておられましたし、なにより、国際的なオークションに参加することで、世界経済の興隆に応じて動く、世界の「美術品」の流れが、ここ数年で圧倒的に「中国」に向かって引き寄せられていることを身を持って痛感し、日本経済の衰退ぶりを嘆いておられました。


「70年代、80年代、90年代」までは、圧倒的に世界美術の名品がぞくぞくと日本に集まっていたおっしゃっており、その時代を知っているだけに、この経済の停滞には忸怩たるものをいつも感じられてきたのだと思います。

また、U氏は日本の政治家が、「美術・文化」に全く関心がないことに不満を持っておられました。これまで直接、何人かの大物政治家の方々と交流を持ってこられたとのことでしたが、

「外交の際に、自国の一級の美術品を紹介することで、国が持っている品格というものを明確に伝えることができる。また政治家としての人格においても一目置かれることになる。でもね、日本の政治家はまったくそのことに気づいていないよ。美術が分かるアドバイザーを一人そば置けばいいのにそれもしない。政治家は文化は『オマケ』だと思っているんだ」

とおっしゃっていました。また、

「国際関係において、文化的外交というのは、たとえ、政治的に敵対していても行うことができるし、双方にとってプラスになるものだよ。そこを分けて考え、様々な外交関係を構築することも成熟した国家として必要なこと。政治的に敵対しているからといって、その他のチャンネルを閉ざしたら交渉ができなくなる。日本の外交にはなかなかできないことだな」

との言葉には、近年「ロシア=悪」の認識に応じて、岸田首相がロシア外交官を追放したことや、「親米・反米」「親中・反中」など、親交か反発か2元的に国家関係を捉えるメンタリティーが広く日本人に浸透していることなどが想起されました。


さらに、U氏はある日本画家の世界的なコレクターでもあるのですが、年齢的にそのコレクションを寄贈先を真剣に考えているとのことでした。しかし、日本国内に作品を保存しその価値を後世に伝えていける美術館がないと考えていたところ、

「それは、大英博物館しかないのではないか」

と友人に勧めらたことに、確かに納得するとともに、大変ショックを受けたとのことでした。


U氏のコレクションは、まさに「日本文化」を代表するコレクションなのですが、これを海外に流出させたくないという思いと同時に、それを「引き継げる美術館がない」というのは、政治家をはじめ日本国民全体の「美術・文化」に対する認識、関心の低さを表していると語っておられました。

しかし、その現状にめげずに、「東京オリンピック」のときにも、東京でコレクションの展示を企画されたりと、これからも元気のあるうちは「日本の美術・文化」の振興に寄与していきたいとのことでした。

その姿勢や活動に、これからも学ばせていただきつつ、機会があれば『クライテリオン』との間の関係もアレンジできればと考えています。


▼1月29日配信

1月26日(水)配信の「表現者クライテリオン・メールマガジン」にて、信州支部の活動に定期的にご参加いただいている、「北澤孝典さん(須坂市)」の記事(「祖父は我が家の英雄」)が配信されました。


この記事の掲載元は、『クライテリオン1月号』の読者投稿です。そして、記事本文にも書かれていますが、その文書が最初に発表されたのは、信州支部定例会において昨年10月に行われた「レポート発表会」でのことでした。

この「レポート発表会」の試みは、信州支部としての「アウトプット力」をつけていくために、まずは参加者各自の研究や問題意識を、支部内で発表することを通じて共有するとともに、それをストックとして蓄積し、長期的に外部に発信していく予備演習としての意味を持った企画でした。


その第1回で、北澤さんの「祖父は我が家の英雄」は発表されました。北澤さんの「レポート発表」を聞いたとき、自分が祖父の歴史(生き様)をないがしろにしてきたのではないかという問題意識と、実際の遺品一つひとつから辿った記憶を伝える文章の完成度、絶対に本人しか書けないであろう内容の強度に、聞いている我々が説得され、これは是非クライテリオンの読者投稿に応募したほうがよいとの声があがりました。

そして、その文章が、登録者約7000名の「クライテリオン・メルマガ」にも採用されたというわけです。


これを受けて、まだまだ本当に小さな動きではありますがが、「表現者塾信州支部」を立ち上げた本当によかったと思いました。

なぜなら、支部立ち上げの前の自分は、「日本の現状について問題を感じているが、周囲の誰ともその問題意識を共有できないし、何の肩書も知識もない無力な自分に何ができるだとうか」と、日々途方に暮れてばかりでした。


しかし、「地方においても、問題意識を持っている人々が少なからずいるはず。そんな人々が集まって議論や意見交換をする場を作ることなら、自分にもできるのではないか」と考え、そのために支部を立ち上げを決めたのですが、今回の件は、ただ問題意識を持った人が集まり議論するだけでなく、参加者の方の意見が、支部の集いを越えて(クライテリオンの読者の範囲内とはいえ)、多くの人に届くこととなったからです。


最近では、信州支部のテーマを「集い、学び、発信する」という言葉に要約しています。この「発信する」という点について、どこから手をつけたらよいか模索していたところでしたが、「レポート発表会」の試みから生まれた、北澤さんの文章が取り上げられたことは、今後の活動の方針に一縷の希望を持つこともできる出来事でもありました。

日本や地域の現状に違和感がある方が「問題意識をもった仲間と集える場」であること、そして、「仲間と語り合い、議論し合い、切磋琢磨できる場」であること、「議論の成果を、共有し発信していける場」であること。


「信州支部」はこれからも、『クライテリオン』の議論に共感しつつ、そのような方針に賛同していただける方々にとっての拠り所、参加する価値のある場となれるように活動を継続していこうと思っています。

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